2023年01月21日(土曜日)
01.21.「自浄トリオ」を「勝手にキレイ」と表現してみました。
70歳になった私が思うに、
5歳の時に幼稚園で「ビッコ」といじめられて、
幼稚園から逃げて池のそばの道を走った記憶が、私の一番古い記憶だ。
あの頃から私は私だった。
今の私と同じ私だった。
それからの私もずっと私は今の私であって、間違いなく続いている。
しかし、いちばん古い記憶の前の私は、
何も憶えていないので、無であって存在として無い。
そして、
私が何年か、或いは何十年か先に死んだ時から
また、私は、また無になるのだろうか。
無という意味が、いまいち理解できないが、
一昨年手術を受けた時、術前に麻酔を受け眠いと思う間もなく意識が無くなり、
手術が終わってから麻酔が覚めるまで私は完全に「無」であった。
腹を切って、腹の中をいじり回されても、
全く分らなかったのだから、ただの睡眠とは違う、
それで「これが”無”なのか」と思ったことがある。
しかし、それが永遠に続く「無」が死とは、やっぱり理解できない。
70歳を通り越して、明らかに、
終わりへのカウントダウンが始まっていることを自覚しながら、
それが何年先なのか、何十年も先なのか分からないが、
今の自分の行動とスケジュールから、
「そのうち・・・」が無くなった。
やるべきと思うことは、
そのうちではなく、今から、今日から始めるというパターンに変わっている。
それで、やっと、
いざ、終わる時に、
「しまったぁ~、やり残しちゃった。」と思わずにいられるのかもしれない。
明日からうんと寒くなるという予報を裏付けるような放射冷却の空。
いやっ、そんなことよりも、
とりあえず「フレッシュキーパー」と「ECOダイヤ」「EXキーパー」の
「自浄トリオ」を表現するビジュアルづくりを真剣に進めなければならない。
3つの「自浄トリオ」を「勝手にキレイ」と表現しましたが、どうでしょうか。