2018年05月26日(土曜日)
5.26.私は夢を見ない
昔は、私も夢を見ました。
眠っている時に見る夢の事です。
怖い夢を見て、胸がドキドキしながら目が覚めたこともいっぱいあったし、
楽しい夢を見てわくわくしたまま目が覚めたことも何度もあります。
だから普通に夢を見ていたのだが、
ふと気が付くと、私は夢を見なくなっています。
熟睡しているから夢を見ないのかと言うと、
夜中に必ず一度は目が覚めてトイレに行ったりもするので、
必ずしも熟睡しきっているとは思わないのですが、
そういえば、
夜中に雨が降り始めたとか、
地震があったとか、そういうことは全く憶えていないほうなので、
熟睡しているのかもしれません。
でも、無呼吸症候群で慢性的に睡眠不足だった頃と同じように、
車の助手席に乗って運転してもらっている時には、
すぐにウトウトっと寝てしまうので、睡眠が十二分とも思えないのですが、
いずれにしても夢を見なくなって何年経つでしょうか。
そんなにも昔の事ではありません。
自分にはよく解りません。
眠って見る夢だけではなくて、
私は、人生の目標みたいな「夢」を持つこともあまりありません。
仕事において、自分がなりたい姿の「夢」がある訳でもなく、
頑張って稼いで、○○が欲しいと思うような物がある訳でもありません。
私は自らが思い描いた何か「理想=夢」があって、
それを目指して着々と実現していくと言うようなことがないのです。
と言うと、つまらない人生のようですが、
私の人生は、自分で言うのも何ですが、とても波瀾万丈で面白い人生でした。
後悔すべきことはありません。断言できます。
ただ、決して劇的でもなく、華やかなものではありません。
毎日やるべきと思ったことを、
毎日やり続けて、あまり妥協はしませんでした。
しかし、私は決して体力がある方でもなく、根性がある方ではないので、
歯を食いしばって、人が出来ない事を成し遂げてきた訳でもありません。
何か目指すべきものを求めてまっしぐらに突き進むタイプではないのです。
あえて言うならば、
やりたいことより、やるべきは何かをつい考える方ではあります。
それがいつの間にか積み重なっています。
行きたいところはありません。
さんざん出張で出かけてきたので、それこそ世界中に行ったので、
見知らぬどこかに行きたいと思わなくなってしまいました。
行くべき所には頑張って行きますが、
行きたいと思うところはありません。
自分がなりたいと思う姿はありません。
自分は自分であって、自分以外の誰でもなく、
どこまで行っても寸分たがわぬ自分であり続けるのだから、
あらゆる意味で、自分が自分であり続けることに不満はありません。
ただ贅沢が苦手で、
せっかく、たまたまそれを実現できる立場になっているのに、
贅沢を楽しめる能力と意志を持っていないことは、勿体ないなとは思います。
自分の家族にこうあって欲しいと思う姿もありません。
それぞれが自分の意志で、自分の選択をして、
なってきた姿が今であって、これからも一人一人自身が選択して、
自分の意志で、ありたい姿になっていくのでしょう。
それで十分だと思います。
会社のありたい姿はあります。
こうありたいという姿はあります。
あるいは、こうあるべきだと思う姿はあります。
それを積み重ねてきたら、現状があります。
まだ、こうしたい、こうでありたいと思う姿はあります。
しかし、自分が出来ることは時間が限られていて、
その時間が過ぎたら、自分がありたいと思った姿は、
誰も望むものではなくなっているのは当然であって、
そのことに未練はありません。
私は夢を見ない人間かもしれません。