2024年04月22日(月曜日)
04.22. 39話.ドイツから「東京は壊滅する、早く社員を愛知に集めろ。」
2011年.東日本大震災と巨大津波によって福島第一原発が危機状態に陥り、日本国中が事態の進捗を固唾を飲んで注目していた頃、ドイツSONAXのドクターピッチから私のPCに切実なメールが届いた「フクシマに破滅的な危機が迫っている。このままでは東京は壊滅する。一刻も早く社員を愛知に集めろ。」と。信頼するDr.ピッチからの切羽詰まったメールを私は軽く考えることは出来なかった。
日本政府は東京での大パニックを恐れて黙っているだけなのかもしれない。本当の情報がドイツには届いていて彼のメールが本当なのかもしれない。そんなことを思いながらも、しかし、私が大騒ぎをし始める訳にはいかない。間違っても、無くてもいい大パニックの発端になっては絶対にいけないから。しかし信頼するDr.ピッチのメールを無視できない。私は東京の社員全員(当時はまだ少なかった)にDr.ピッチからのメールを転送して、皆それぞれの判断と意思に任せる事と、皆を愛知に迎える用意はある事を伝えた。・・
約半数の社員とその家族が大府にやって来て本社の寮に分かれて泊った。それから何日ぐらいだったか憶えていないが、緊迫の事態を脱したことが報道されてから、皆、東京に帰って行った。あれは空騒ぎだったのかと思ったこともあったが、最近放送されたドキュメンタリーで、あの危機は、実は、Dr.ピッチの言ったとおりの重大かつ深刻な危機であった事を知った。
福島第一原発事故が末期的な危機を脱した後も、残留放射能で避難生活を強いられた人々が多かった時期、避難先での飲み水の放射能汚染の不安があると聞いて、その頃開発した逆浸透圧式・純水生成器「快洗ROⅡ」という機械が、放射能の除去性能が高いという事で5台、飯舘村に寄付してそのメンテナンスを何年も仙台営業所の澤田課長が続けたことがある。それを宣伝に使うことは決してしなかったが、澤田課長のレポートが切実で、素朴で、みんなが共感をもって楽しみに読んでいたことがある。
当時、福島に向かう東北自動車道はいつもこんな風に渋滞していた。(当時の写真)