2024年08月17日(土曜日)
08.17. 取り残されたような気がする。みんなが帰った後。
現役に今より近かった時は、
帰省客などで賑わっているお盆前後のLABO店舗を何軒も回って忙しくし、
6月期決算の発表が8月のお盆前にあって、
家に帰れば、子供や孫がバラバラに帰って来ていて
お墓の掃除などをやってくれて、
それぞれの子供たちと晩御飯を一緒に食べるのが楽しみだった。
そして、
それぞれがバラバラに帰って行く頃には、
投資家とのインタビューの予定も重なっていて
さらに9月の株主総会の準備など
この時期は次から次へとやる事があって、
暑い暑いと言いながら、忙しくしていた時期でした。
それが70歳くらいを境にして、
薄く変わってきた。
それ迄は、仕事は何でもかんでも、みんなで寄ってたかって、
お客様との境目がまったく無い同じ空間で、同じ空気を吸いながら
汗まみれの自分事としてやっていたものが、
いつの間にか、
それぞれ一人一人が、バラバラに、表っ面の他人事として、
涼やかで、クールなビジネスとして分業されてきた。
もう、お金に汗の臭いがしなくなってきた。
それどころか、お金の臭いすらなくなって、
ただの数字としての意味しかなくなってきたのは、
価値がアナログとしての意味を持たなくなってきたからなのかもしれない。
もっと昔、
私がまだ40才台の頃、
お盆でも、実家に帰ってお墓の掃除をするなんてことはまったく無かった。
子供たちを実家に預かってもらい、
自分たちは目いっぱい店で仕事をして、
店を閉めてから、お盆のご馳走を揃えて実家で待っていてくれた親たちと、
彼らにとっては孫である子供たちと一緒に、
仏壇に手を合わせて、皆でご馳走を食べた。
それから、夜、子供たちを連れて家に帰った。
それを、まったく惨めとも思わなかったし、
私の親は、お盆の度(年末も)に
孫(私の子供)を預かる事を、むしろ楽しみにしていた。
だから、私達は子供たちの事を全く心配せずに思いっ切り働いた。
子供達も、お盆と年末は、爺ちゃん達に遊んでもらうことを楽しみにしていた。
昼ご飯は吉野家の牛丼が楽しみだったらしい。
たまに映画館に連れて行かれると、
お爺ちゃんは必ずイビキをかいて寝たらしいので、
子供たちは、恥ずかしいので、決してそばには座らなかったらしい。
そういえば、
あの頃は、親子三代でお盆と年末の時間をそれぞれの役割で共にしていた。
現役から離れてもう数年、
子供たちは、時には孫を連れて、お墓の掃除に帰って来てくれるが、
彼らも帰って行ってしまうと、ふと、取り残されたような気がしてとても寂しい。