2024年10月20日(日曜日)
10.20.「七人の侍」で最後に勝ったのは百姓だった。
今日は、九州大分県「オートポリスサーキット」でスーパーGT戦がある。
午後1時半からなので、どこかに出て行くことも出来ないので、
午前中、時間を持て余してこれを書き始めた。
プーチン、金正恩、過去には毛沢東、ポルポト、スターリン、ヒトラー、
いいずれも独裁者で、
敵のみならず国民に対しても残酷なまでに無慈悲である。
ウクライナに侵略したロシア軍は既に60万人に及ぶ死傷者が出ているらしい。
独裁者プーチンにとって自軍の兵士、自国民は”人”ではなく、
ただの使い捨ての消耗品のようで、
味方に大量に戦死者が出る事が目に見えているような作戦でも、
自らの得の為なら平然と遂行する。
そんな風に残酷なまでに人扱いされていない軍の兵隊は、
その一人一人も自然に残酷になってしまうのか、
北朝鮮軍がウクライナに派兵されつつあるニュースを聞いたウクライナ人は、
「ロシア兵より北朝鮮軍はもっと残酷だと聞いた、怖い。」と、怯えていた。
人間はその扱われ方でそれに準じた自分に変わるものらしい。
残酷に扱われると、自分も残酷になる。
たぶん、優しく扱われると自分も優しくなれるもののようだ。
独裁者は、自分を自分以外の人間と同じ存在とは思っていない。
ちょっと違うかもしれないが、
独裁者は自分を人間ではなく神だと思っているのではないか。
肉体は人類であっても、
自覚、精神、自意識は他の人とはまったく違う存在、
人を超越した神のような存在だと。
これは、必ずしも独裁者にだけ言えることではなく、
会社などの組織の中で、
”長”が着く役職になった時、
自分が長となったその組織が大きかろうと小さかろうと、
その組織のトップに立った訳で、
その組織の自分以外の人、
つまり部下はすべて”下の者”と位置づけ、
自分の言う事、やる事が正しく、下の者はそれに服従するべきだと思っている。
その専制的な言動を繰り返すうちに、
ひょっとしたら、
その人は”上等な人間”とか、自分をプチ神的に勘違いするようになる。
そういう人が生まれやすい組織は、
その組織の上の方の者が、特にトップがそうだと、
大きな組織の中の、小さな組織の”長”までが、いちいち勘違いするようになる。
いちいち勘違いしている組織は、残念ながら滑稽なまでに陳腐だ。
そんな陳腐な組織の中では、
お客様の存在は、ただの消費者となっていて、
物あるいはサービスを買ってお金を払っていく要素でしかない。
出来るだけ安く商品を造って、安いコストで、出来るだけ高く、多く売って、
残念ながらそのような商品、店舗、組織を贔屓にするお客様はいないので、
その組織はそんなには長持ちせず、
勘違いの神たちは、静かに滅んで行く。もちろん勘違いしたままだ。
我々は一人一人が、すべて、唯一無比の存在であるが、
誰一人として、人の上にある存在であることは無い。
プーチンであっても、金正恩であっても、習近平であっても、
隣ん家のサッちゃんとかユキ君とかと、
その価値の重さは1gも変わらない。
我々は一人一人が、すべて、唯一無比の存在であるが、
誰一人として、人よりも上の存在ではない。
昔見た映画、黒澤明監督の「七人の侍」で、
最後に勝ったのは百姓だったように。
スーパーGT「オートポリス戦」
昨日の予選は、霧の為に予選が中止になり、
今朝8時過ぎからの予選となった。
残念ながら我らが№38は13位(どべ2)からのスタートとなった。
昨日の霧のオートポリス。