2025年08月02日(土曜日)
08.02. 若い人達は「俺達を殺すつもりかっ!」と、怒るべきだ。
私は、たぶん、あと10年は生きない。
私の代の人が、先日、初めて亡くなりました。
そういえば私の代の上の代、
つまり私の親の代では生きている人がほとんどなくなりまとた。
いよいよ、私の代の人間が、
順番に死んでいく時になったのです。
だから、
連日、40℃越えが当たり前になってきた気候変動の危機本番の到来も、
私が生きていても、どうせあと数年だろうし、
その間「この程度の暑さならクーラーの効いた部屋にいればいい。」
と、無意識のうちに思っています。
気候変動の危機を
自らの生命の危機として感じる事は無く、
気候変動の危機に
自分が死んでしまうような恐怖を感じることはない。
どうせ、私はあと数年生きているだけなのだから。
どうせ、生きていても冷房の効いた病院や、老人施設で涼しくしているだけ。
気候変動の危機。
今40℃が連日続くようになってしまうように”変わってしまった事”が、
これがもう後戻りすることなく、
あと10年とか、あと20年程度で、
毎年、最高温度の記録更新をし続けて、45℃越えは来るのだろうか。
死の50℃越えが100年先ではなく、
若い人たちの代が生きている内に、
あるいは我が子、我が孫の代では、確実にやってきて、
人類の滅亡に直結するような危機が目の前にある事を想うべきなのだろう。
世の中の権力者や、実力者は、だいたいが年寄りなので、
気候変動の深刻な危機に、
世の中を動かしている権力者、実力者達は、
本当に一大事だとは思っていない。
若い人たちが年を取った時の事なんて意識していません。
少なくとも我が事とは思っていない。
若い人は、真剣に、
気候変動を止めようともしない私達のような年配者に、
「俺たちを殺すつもりかっ!」と、怒らなくてはならないのです。
空想空間の中のゲームにうつつを抜かされている場合ではなく、
「自分が、人からどう見えるか」なんて事に
意識を奪われている場合ではないのです。
気候変動を止めようともしない私達のような年配者に、
「俺たちを殺すつもりかっ!」と、怒らなくてはならないのです。
と同時に、若い人たちも、
自分達と、子供達、孫達を殺さないような事をして行くべきなのでしょう。
今朝、今日も40℃を越す予報を見て、そんなことを想いました。