2026年02月20日(金曜日)
02.20 開催が四月から三月に変わって<「桜」が「梅」に変わった。
雪が降った道路に撒かれる「融雪剤」は、車の底をサビさせることがあって、
皆さん、冬のシーズンが終わったら、
車の底を高圧の水スプレーで流す「アンダーWASH」を喜ばれます。
なので、春のシーズンになると「スプリングフェア」と銘打って、
「アンダーWASH」を、
ご来店のお客様全てに無料で提供しています。
出来れば、日本全国のLABOで一斉にやりたいので、
北海道、東北の北国の季節の事も考えて、以前から毎年「四月」にやっていて、
各店舗のお客様名簿を使ってDMをお送りしています。
ところが今年は、
四月から、新車購入時に発生する「環境税」の「撤廃」があって、
新車納車時の諸経費が、四月から環境税分の数万円下がるので、
今年の四月は、多くの車の新車納車が殺到する事が予想されていています。
(昨年の11月頃から、いやに新車が減ったのはこれが原因のようだ)
ですから、
KeePer LABOにもKeePer PRO SHOPにも、
4月には
納車されたばかりの新車が、沢山来店されることになる筈です。
とすると、その4月に、
ある程度手間がかかる「スプリングフェア」の開催は、
不適切であると考えられます。
更に、
珍しく今年は、東京に雪が降り
街中の道路に融雪剤がいっぱい撒かれたので、
それを早く落としたいという要望が、
最需要地である東京に既に出ている筈。
そんな事を考えて、
例年ならば四月に開催のスプリングフェアを、
三月からの開催とすることにしました。
そこでふと気が付いた。
今回のスプリングフェアのポスターやDMに載っている「桜」は、
三月にはまだ咲いていない。
桜は入学式の頃のものだ。
(一昨年四月、近所の吉川小学校の入学式の満開桜)
そう気が付いて、
スプリングフェアの「桜」を、急遽「梅」に変えた。
桜→→梅 ↘
ウェブバナーの「桜」も「梅」に変えた。
こんな気が付けば当たり前である事に、
一連の作業の流れの中で流されて
気が付かなくなってしまう事は日常的にある。
今回はたまたま、
みんなで話している時に気が付いた者がいただけで、
みんなで話していなければ、
三月に季節外れの「桜」のポスターが、実際に貼られたかもしれない。
これは、ここでいう「みんなで話した」がポイントで、
違う立場の、違う価値観を持った者が、違う視点と感性を持った者達、
つまり、”みんな”が話したことによって、
当たり前の事に気が付いた。ということです。
逆に、その仕事の采配が「一人」に集中していると、
客観的に見ればすぐ判るような愚策が、
まかり通ってしまう事はしばしばあります。
※国家の権力が一人の独裁者に集中した時、
信じられないような愚策で残酷な悲劇が起きる事と同じです。
(中国・毛沢東の世紀の愚策「大躍進」は、4千万人もの餓死者を出した。)
その仕事について、
自分の思い通りにする事に執着することは、よくあることだ。
そして、それは「自分の思い通りに出来る事情・状況」があるから、
そうしているだけで、
それが正しいとは、本人も実は、思っていない。
しかし、自分の思い通りに行かなかった時の「ただの反発」があるだけで、
ただ反抗的に自分の思い通りを押し通そうとすると、
ろくな結果にはならない。
しかし、
前述の「自分の思い通りに出来る事情」が無くなった時に、
その者は、必然的に排除される運命にある。
そうはならない為にも、
「みんなで話する。」を、受け入れるしかない。
独りでやってしまった方が早い場合もあるし、
その方が正しい結果を造り出す事もある。
それでも、
「みんなで話する。」「みんなでやる。」が正しい。
それは、
この会社という小さな社会の中で、
その小さな社会を自分で作ったので権力者になっている私自身が、
「みんなで話すこと」「みんなで決めること」が、
絶対に必要だと、強く思う。
独裁者は、自分が、
ある多くの人にとっては害のある人間であること
また、ある多くの人には我の死を熱望されている事をよく知っているので、
「暗殺」を極端に恐れ、
あるいは「失脚」を恐れて、
我が敵を、「粛清」「排除」し、「殺す」事に、執拗となる。
しかし、必ず、本人も死ぬ。
あるいは、
世界の独裁者の一人であり、
世界一の人口の中での独裁権力を持つ者は、
「臓器移植を繰り返せば、私は150歳まで生きられる。」と、語ったそうだ。
ゾッとする話だ。
その臓器移植の為の臓器を提供するのは誰なのだろう。
その権力者は死んだ人間の臓器は”弱い”ので嫌うでしょうし、
犯罪者の臓器は嫌でしょう。
とすると、
どこかの優秀な健康な人間の臓器を無理やり取ってしまうのでしょうか。
腎臓などのように、複数ある臓器ならば、
臓器提供者も健康を維持することが出来るが、
それが一個しかない心臓だったりすると、提供者は確実に死ぬことになる。
そんな事をしながら、自らは150歳まで生きるとしても、
とても、その人は幸せとは思えない。
その上で、
それがたとえ150歳まで伸びようと、やはり死ぬことには変わりない。
独裁者の周りには服従する者しかいず、
服従する者は、服従する理由が無くなれば、その多くが裏切る。
だから独裁者は、
心が休まることなく生き続けている筈だ。
だとしたら、何人もの若者を殺してまでして
臓器移植を繰り返し受けて長く生き永らえても、
独裁者自身も含めて、誰も幸せになるとは思えない。
独りが我を張っても何もうまく行かず、誰も幸せにはならない。
みんなで話して、
みんなで決めて、みんなでやって行きましょう。
みんなが幸せになる為に、みんなが話ししてやって行きましょう。









