2017年12月06日(水曜日)
12.06.休みが苦手な人もいる。
この会社には、年間114日間のお休みがあって、
週休2日はもちろん、GW、盆暮れなどでプラス14日間のお休み。
114/365だから、ほとんど二日働いたら一日休むようなペースです。
とはいっても誰もがそんなにたくさん休みを取れている訳ではなく、
毎月、何日かは休日出勤があるようですが。
いずれにしても、お休みはたっぷりとあります。
今はそれが普通なのですね。
しかし、私は昔から仕事が大好きで,
多くの創業者がそうであるように、
仕事ばかりしてきたので、
自分は根本的に休むことの意味が解っていないのだと思います。
豊かな人生を送るために、
一生懸命に仕事をして、適度に休みも取って
家族との時間を多く持ち、自分の趣味を生かした時間を楽しむ。
というようなことが、よく言われるが、
私には仕事が自分の趣味みたいなものなので、話がややこしい。
たとえば、野球とかマラソンなどのスポーツが大好きで、
趣味の範囲を超えて、プロになってしまった人は山ほどいるが、
そんな人にとってのそのスポーツは生活の為の仕事でもあるが、
大好きな趣味でもあるでしょう。
そんな感じなのです。
自分がやりたいと思った仕事をして、
自分がやるべきと思った姿を実現すべく、
全力で考え、出すべき結果を出すことに全力で行動して、
たくさんの力を集めて、
みんなと一緒に一つ一つ実現を積み重ねていって、
その結果を仲間たちみんなと共に喜ぶ。
しかし、思い通りに行くことばかりではなく、
出来ないことがいくつもあって、
悔しい思いをしながら、
それでも歯を食いしばって働き、
頼りになる仲間たちの存在を感じながら、
頑張って、頑張って、小さな成功を思いがけずに造り上げた時、
皆と共に喜ぶ。
その結果、手元に報酬が得たとしても、
その報酬を得た喜びは、
皆と共に実現すべきと思ったことを実現した喜びほどではない
金銭としての報酬とは結果ではあって、本来的に目的ではない。
事業は利益が目的であるが、
自分の利益だけを目的として事業すると、
事業の対象である他人は、その人の利益を目的とはしないので、
主体と対象の利益が相反することになって、どちらにも利益を生まず、
すると事業はうまく行かず、事業の主に報酬は与えられない。
結果として事業そのものに利益は発生しない。
仕事とは、誰かの役に立つことであり、
その仕事によって自分以外の誰かの利益あるいは価値を生み出して、
その誰かからの報酬を得ることが仕事であり、
それが金銭的な報酬になる。
金銭は誰かの役に立つことによって得られた結果であって、
それ自体が目的になると返って得られない場合が多い。
自分がすべきと思ったことが、
自分以外の人にとって役に立つことならば、
自分以外の人から支持されて、
それが実現した時に、
結果として、自分以外の人から報酬として与えられる。
金が目的であり、
仕事はそれを得るための単なる労苦ならば、
労苦なしであぶく金を得ることが、最も利口なことかもしれない。
だとするならば、
遊んで暮らすことが最も幸せかもしれないが、
その人は、その人が得たあぶく金を取ろうとする人ばかりに取り囲まれ、
その人自体は誰からも必要とされず、
その人の幸せを願う人はいないので、
誰からも愛されず、そのあぶく金が無くなった時、
そのあぶく金を取るために囲んでいた人は一斉に散り、捨てられる。
仕事とは誰かの役に立つことであって、
それがスポーツであっても、
プロとはその技と力を見た人が、お金を払っても見る価値があると認めた時、
その人が趣味で始めたスポーツであっても、
人の役に立ったことになる。
その人は立派なプロであって、その技も力も立派に仕事と言える。
その人にとって、そのスポーツは、どんなに苦しくても、
どんなにつらいトレーニングが伴ったにしても、
そのすべてが楽しいことであって、その人がしたくてしたことであり、
結果として、大きな結果であればあるほど大きな報酬が得られる。
しかし、その人は、
その報酬を得た喜びよりも、
たぶん、その試合に勝ったことの喜びの方がはるかに大きいのでしょう。
自分のファンに応えることが出来たことの方がはるかに大きいのでしょう。
転がり込んだあぶく金によって、
遊んで暮らす人生を最良とする者では決してわからない真の幸せだ。
人から必要とされる仕事をしているからこそ、
休みも充実するだろうし、楽しいはずだ、
仕事は楽しい。
圧倒的に楽しいし、大好きだ。
しかし、休みが苦手でもある。
仲間たちが適切に休みを取ることに何の異論はないが、
私は休みが苦手です。人それぞれ、そういう人間もいるのです。