2021年03月25日(木曜日)
3.25.久しぶりに思い出すKeePerの原点
この会社は、36年前、
ガソリンスタンドとして私と連れ合いが二人で始めた会社です。
㈱タニと言って、現在、KeePer技研㈱の筆頭株主でもあります。
当時のガソリンスタンドは、
全国に今の二倍くらいの軒数があって、
よせばいいのにいつも値引き合戦をして、
少しでもたくさんのガソリンを売ろうと競争をしていました。
ガソリンはどこで売っているガソリンも規格で決まっていて
全く同じ品質であり、
値段が1円でも安ければ、お客様は得なので、
1円でも安いガソリンを買おうとしていたので値引き競争になっていたのです。
独立したばかりの頃の㈱タニも一緒になって値引き競争をして、
売り勝っていて売り上げはたくさんありましたが、利益はほとんどなく、
いつまでたっても、貧乏な会社のままでした。
それでも無理をして、
二軒目のガソリンスタンドを造ったのですが、
何とかいう法律があって、1年間ガソリンを売ることが出来ずに、
ガソリンスタンドの建物と設備を持ったままガソリンはなかったのです。
だから、その店では1年間だけですが、
洗車がほとんど唯一の収入源でした。
しかし、普通の安い洗車をやっているだけでは潰れてしまうので、
当時始まったばかりのコーティングの技術を憶えて、売ったのです。
それが、技術の差で良いコーティングならば、
他の店より値段が高くても、むしろお客様は買ってくれて
お客様が喜んでくれて、だから、スタッフの私たちも嬉しいことを憶えました。
するとそのお客様はその店に定着してくれて、
繰り返し来てくれるので、
お客様のご来店がどんどん増えて、
売り上げも増えて、安売りをしていないので、利益も増えて、
社員さんの給料も上げられて、
喜んで働いてくれるようになり、とうとうその新しい店は、
洗車売り上げのコンテストで日本の二番目になって、
業界誌に載ったのです。
その店のオープンは平成元年で、「クリーンベースWith」と言います。
それで、日本全国から、
そのクリーンベースWhithがどんな店なのか、
どんな洗車(コーティグ)を売っているか、
どんな売り方をしているのか、と、見学者がどんどん来るようになって、
そこでやっていた「技術」を皆さんに教えて、材料を売るようになったのです。
それがKeePerの最初の姿です。
それから特許をいくつも取ったり、
定期的な技術研修会「KeePerスクール」を開かれるようになって、
随分苦労しましたが、
その商売が日本全国に広がって、今では日本国中で売られ、
直営店KeePer LABOは全国85店舗(4月で)になり、
技術認定店のキーパープロショップは、なんと6,000店を越しています。
だから、この会社は最初ガソリンスタンドで、
安くしなければ売れないガソリンを売っていて、
売り勝ってはいたのですが、貧乏会社でしかありませんでした。
それが、二軒目のガソリンスタンドを造った時に、
判断ミスで(世の中を舐めた?)、
不運にも、1年間ガソリンが売れない店になってしまって、
仕方なしに、
ほぼ洗車とコーティングだけで、食っていかなくてはならなくなって、
だけど、その中で、
人よりも良い洗車、良いコーティングを造り上げれば、
他の店より値段が高くても、
むしろお客様は買ってくれて
お客様は喜んでくれて、だから、スタッフの私たちも嬉しいことを憶えました。
するとそのお客様はその店に定着してくれて、
繰り返し来てくれるので、
お客様のご来店がどんどん増えて、
売り上げも増えて、安売りをしていないので、利益も増えて、
社員さんの給料も上げられて、
喜んで働いてくれるようになり、とうとうその新しい店は、
洗車売り上げのコンテストで日本の二番目になって、
今の全国で一番売れているKeePerの最初のきっかけになったのです。
平成元年、ガソリンを1年間売れなかったガソリンスタンドは、
果たして本当に不運だったのでしょうか。
あの時、幸運にも、ガソリンの販売が出来ていれば、KeePerは有りません。
ひょっとしたら、あの不運が、
KeePerの最大のラッキーだったのかもしれません。
私の人生の最大のミスと思ったあれが、
私の最大の人生の幸運だったのでしょう。
KeePerは技術的な優位性があって、
はじめてここまで来れた訳で、それを失ったり、
おろそかにしたら、KeePerの意味がすべて無くなってしまうのです。
それがKeePerの原点なのだから。