2001年10月22日(月曜日)
254話 パソコンキライ
パソコンは便利である
大変便利である
しかし
どうにかならないものだろうか
操作が分かりにくい、という事については
いい加減に頭にくる
機能がべらぼうに多くて
簡単なことをやりたくても、かえって、簡単ではなくなってしまっている
操作を深く憶えれば、ものすごく便利な機能
私にとっては
そんなものは、いっそのこと要らない
そういう機能は、一部の人が使えばいいわけであって
一般の人は、パソコンを日常の道具として使うのだから
もっと、もっと、もっと、シンプルなものでいい
電話感覚で使えるものが、あってもイイのではないか
ホントにそう思う
かといって、iモードは字が小さすぎて
情報量も小さすぎて
遅すぎて
やっぱり使う気になれない
字が大きく見える
画像も大きく見える
通信も早く、情報量もそれなりに大きい
でも、シンプルな機能のパソコンも、あってイイのではないだろうか
特に通信については、何をどうしていいのやらさっぱり分からない
私は、パソコンを買っても説明書を読んだことがない
元来、私は何を買っても説明書を読んだことがない
車でも、カメラでも、テレビでも
使っているうちに、大体どう使えばよいか、分かってくるもんだ
パソコンソフトの教本も読んだことがない
あの分厚い説明書を、読んでいる人がどれだけいるだろうか
みんな、会社の子に教えてもらって、使っていくうちにある程度覚えた
それで充分に使えている
大して機能は使いこなしてはいないだろうが
大変便利に使っている
その程度の機能しか使えなくても、充分にその便利さを享受している
しかし
たくさんの機能がついているからか
使っているうちに何をどうしたのか、自動的に何かがどうにかなって
元に戻らなくなってしまう
その度に、会社のIT推進室のスタッフに助けてもらう
私は、助けてもらえる人が身近にいるから、何とかなっているが
そうでない人は
いちいち、どこかへ電話して聞いて助けを求めなければならない
私もやったことがあるが
電話で聞くと、かえってよく分からなくなってイライラしてくる
電話で答える人も大変だろうと思う
パソコンはあくまでも「道具」である
「パソコンを使っていること自体が仕事だと思っている」
そんな人間が今、あらゆる職場で大きな問題になっている
パソコンで作った“もの”が、仕事で使われるのであって
そのあと本当の仕事が始まるのだ
道具として、パソコンは便利であって
それを本来の“ビジネス”に役に立てなければ
何の意味もない
膨大な機能よりも
道具として、洗練され、使いやすい事の方が大事だと思う
シンプルで、イライラしなくてもバリバリ動いてくれる
たくましいパソコンとソフトがあったら、絶対売れると思う
世の中のためになると思うし
その方が、コストも低くなって
たくさんの人が一斉に使うようになれば、ますますコストが下がって
いっぺんにIT革命も加速するのではないか
ITバブルが崩壊したのは、ITそのものをネタに、ビジネスをしようとしたところ
ITを活用して、独自のビジネスを発展させているところが
本当の意味で、ITを使いこなしているところだと思う
明日から、ドイツに“仕事”に行く
こんなときこそ、ITを活用して
あたかも日本に、まだいるように思われるほどに
日本での仕事を、同時進行で進めて行きたい
このコラムも、ぜひ、ドイツから送って行きたいと思っている
※ドイツから、向こうでの日程がメールで送られてきた
しかし、それにしても
今、22日の午後4時
このあとのひと仕事までのチョイの間に、これを書いている
明日の出発まで16時間ほどしか時が無い
なのに
まだ、ドイツ行きの支度を、な~~んにもしてない
「飛行機の乗る時間が11時間というだけで、いつもの出張と同じだよ」
と言って、ノンキに構えている
土壇場でジタバタするのは、毎度のこと
何とかなるでしょう!
※ノンキにニヤニヤしている“aho”
こんなんで、ホンマにいいのかいな
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2001年10月22日(月曜日)
253話 恐ろしいこと
今日テレビを見ていて驚いたこと
考えてしまったこと
ニューヨークでの連続テロの
その根が
イスラエルとパレスチナとの紛争にある、とテレビでやっていた
そして、この紛争の根は、もともとユダヤ問題
ユダヤ問題の根は
紀元前一千年以上昔からの宗教問題
そして紀元の頃
キリストを売った民としてユダヤ民族が迫害され
あらゆる職業から追放された結果
下賤の職業とされた“金貸し”が、民族の職業となった
そして、追いやられた形で世界に散ったユダヤ人が、世界の富を牛耳ったとき
迫害は、憎しみを持って加速された
ヒットラー率いるナチスのホロコースト
ユダヤ人皆殺しの狂気
なんと、このホロコーストによって虐殺されたユダヤ人は、600万人だそうだ
600万人!
この悲劇の後、つまり第2次世界大戦後
ユダヤの聖地であるエルサレムにユダヤ国家・イスラエルが作られた時
同じエルサレムを、聖地の一つとしていたイスラム教のパレスチナ人を追放した
追放されたイスラム教徒と、ユダヤ教のユダヤ人
そしてそれをバックアップするアメリカ(アメリカにはユダヤ人が520万人住んでいる)
それが、こじれにこじれて
中東戦争であり
パレスチナ問題であり
旧ソビエトとのアフガン紛争
そして今回の
連続テロと、アフガンにおける報復攻撃
話がややこしくて大変だが
もともとは、“同じ宗教”であったユダヤ教と、キリスト教と、イスラム教
これらの宗教が、もともとは同じ宗教であったとは
ビックリ仰天であるが
それぞれの宗派が、違う民族の中で発達して
似ても似つかぬ別の宗教になってきた、ということらしい
民族とは、家族の延長線上にあるもの
たまたま血のつながりが近いというもので
元をただせば、みんな“サル”
たまたま進出した地域で住み着き、繁殖し、進化し、血のつながりが偏っているもの
分類学レベルで言えば同類、同目、同種の“ヒト”
DNAレベルで見れば99.何%同じ生き物
宇宙の誕生“ビックバン”より140億年
=14,000,000,000年
ヒトの種としての誕生は、約100万年前
=1,000,000年
宇宙誕生に対して1万4千分の1
文明らしきものが生まれたのが4,000年前とするならば
宇宙誕生に対して3百5十万分の1
1時間=60秒×60分=3,600秒
1年=24時間×365日=8,760時間=31,536,000秒
宇宙誕生から今までを1年と考えてしまうと
ヒトの文明は、わずか9秒
9秒/31,536,000秒
神が1年前に、この宇宙を創ったとするならば
私たち“ヒト”は、まだ9秒しか文明をもっていない
その9秒前に、ヒトが造った神が、9秒の間にいろいろな形に変化して
それぞれが絶対神・創造神だと言っている
ヒトがヒトを殺しあってもしかるべき、絶対のものだと言っている
キリスト教は、「汝の隣人を愛せよ」と言っている
ユダヤ人モーゼの十戒の中で「汝、殺すなかれ」と言っている
イスラム教は、元来、異教徒の存在を許す伝統があって
聖戦“ジハード”は、大ジハードと、小ジハードとあり
大ジハードとは
自らの征服欲・権力欲・食欲・性欲など(仏教で言えば)煩悩との戦いを指し
小ジハードが、他からの征服者との戦いを指すそうだ
もとが同じ宗教だけあって、よく似ている
どれも、平和のための宗教であって
ヒトの欲望を否定している
民族とは、家族の延長だ
家族の平和を願わないヒトはいない
民族と民族の戦争は、その意味で自己矛盾しているし
宗教はヒトの欲望を否定し、平和を説いている
宗教戦争は、その意味で、それ自体が矛盾している
戦争は、ヒトの欲望の結果であって
それは往々にして、権力者の欲望あるいは狂気の結果と思える
狂気のヒットラーは、一説によると、自分を“神”だと信じていた
自分を、ヒトではなく、神だと思っていた
そこに、600万人の無抵抗のヒトを虐殺できた狂気があったように思える
ひょっとすると、自国民の4分の1を殺したポルポトもそうだったのかもしれない
権力者は、自分が決して神などではなく
ただ単に
たまたま何かのめぐり合わせで
権力を持ってしまった“ヒト”であることを忘れると
そこに憎悪すべき
ヒトのもっとも残虐な一面が出てきてしまうのか
恐ろしいことである
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