2002年09月11日(水曜日)
514話 私的3日間日記
月曜日は、朝4時に起きた
大阪の「泉南」に、朝8時までに行くためだ
運転の応援として
H.オサムに手伝ってもらうように頼んだので
彼が朝5時に迎えに来た
快洗隊を検討している南泉のSSさんに、レイアウトの提案をするために行く
これは、H.オサムにもいい勉強になると思ったのだ
朝4時起きは、やはりつらい
しかし、朝ご飯だけはしっかり食べるのだ
おまけに風呂まで入ってしまった
まだ暗い中
5時きっかりに出発
車の燃料が心もとなかったので
その辺で入れて行こうと思っていたのだが
ガソリンスタンドが、意外と開いていない
名古屋高速に入り口にある
長距離トラック相手のスタンドで
路線スタンドとしては日本一大きな会社の店だったので
24時間営業は当然だろうと思ったのだが
開いていなかった
最近は、よく分からない
仕方がないので
国道1号線を少し北上したら
意外な店が開いていた
私達のコーティングをたくさんやってくれている店
つまり、私達のお客様で、トラック相手の店ではない
うれしくなって
お店の子に挨拶しようかと思ったが
若いアルバイトの子であったので
挨拶しても、きっと驚かすだけだろうと思い
おとなしく給油して、そのまま出発することにした
そのころには、やっと、東の空が明るくなってきた
“泉南”は、大阪市の南に位置する
だから
今回は、名神高速道路ではなく
1部一般道路(制限速度60km)が入る名阪国道(制限速度80km)で
行くことにした
この時間なら、渋滞は全くない
快調そのもの
約200kmの距離を、途中の休憩も入れて
2時間で着いてしまった
計算が合わない事は、気にしないほうが良い
私も、H.オサムも
国内A級ライセンスの持ち主なのだ(まったく関係ない!)
泉南の店は素晴らしかった
周辺のたくさんのスタンドが、 “セルフ”になってしまい
そろって価格競争の泥沼にはまっているのに
この店は
独自の理念の元に
独自のフルサービスを実践して
独自の価格を維持している
周りの価格は、全く気にならないという
そして、今現在も良い実績を出している
自分自身の考え方をしっかり持った経営者の方
そしてマネージャーであった
そんな自らに自信のある店だからこそ
「快洗隊をやりたい」と
思っていただいたものと思う
(手前味噌であるが、本当にそう思っている)
混沌としたスタンド業界
自ら生き残っていく意思のあるものは
自らの責任で
決して“回りのせい”になどせず
自らの生き残るべきスタイルを、しっかりと作り上げている
また、確実に生き残り、勝ち名乗りを挙げる、であろう店を見た
何とか、一生懸命お手伝いをして
快洗隊を成功させて
もっと、もっといいお店にして行きたい
そう強く決心したのだった
それから滋賀に向かう
途中で大渋滞
滋賀では、快洗Bossの改善について話し合う
滋賀から刈谷に帰り
走行距離500kmちょっとであった
事務所に帰って
放っておけば、たちまち山になってしまう仕事を、さっさと片付けて
家に帰り着くのだ
しかし、その日は訃報が入っていた
北海道の大切な代理店の会長さん、創業者である方が急逝された
告別式は明後日
しかし、開始の時間から
10日中に札幌に入る必要がある
10日も予定がビッシリで
良いことがいっぱいあった
まず
土屋経営の3KMセミナーを導入することにしたのだ
このセミナーについては、いずれ、しっかりと書く
それから、もう一つ
快洗隊直営2号店の店舗デザインが出来上がった
すごく気に入ったデザインで
ラフスケッチを9月25日発行のキーパータイムスに載せるので
是非、ご覧いただきたい
全部の仕事が終わってから
夜8時発の札幌行き最終便に乗った
札幌のホテルに着いたのが10時半
すぐ休めばいいのに
馬鹿みたいに、ススキノに飲みに行った
実は、なんとH.修が札幌に居たのである
昨日、泉南に一緒に行ったのだが
この日は札幌ワンデーの応援に、勉強を兼ねて前日入り
朝7時20分発の飛行機で札幌に来ていたのである
9日・10日連続の、朝4時起きらしい
な・の・に
「飲みに行くか?」の誘いにノコノコと出てきて
夜11時から飲んだ、飲んだ
午前様で、お互い別々のホテルに帰って
翌日、つまり今日は
私は告別式、彼はワンデースクール
そして
私は今、帰りの飛行機の中
千歳空港を飛び立って
ほんのチョットのち
右側に
恵庭山、支笏湖、室蘭の噴火湾、羊蹄山、洞爺湖、駒ケ岳、函館
次々とすばらしい景色が見えてくる
千歳空港発の飛行機に乗るなら
進行方向に向かって右側
つまり
B-767なら「G」の席
A-320、B-737なら「F」の席
絶対です。
今日は少し雲がかかっていて
残念ながら
絶景シリーズは見られなかった
それでも、恵庭山に、まばらな雲から漏れる光が差して、なかなかであった
何となく、日記を書きたくなって
書いたのだが・・・・
自分で書いていて、「よー、やっとるなー」と
名古屋弁で感心してしまったのでした
しかし、私達の仲間達
スタッフ達は、もっとすごいスケジュールをこなす時もあるのだ
改めて、感謝する
Posted パーマリンク
2002年09月11日(水曜日)
513話 飛行少年の1日
0時を回ってしまって
日付が変わっている
今、札幌のホテルでこれをアップしようとしている
書いたのは、飛行機の中
相当疲れてはきているのだが
つい
すすき野で、H.オサムと飲んで
アップするのが遅れてしまったのだ
513話 飛行少年の1日
私は、飛行機が大好きだ
小学生の頃から、飛行機が大好きであった
プラモデルもよく作った
生まれて初めて作った飛行機のプラモデルは
駄菓子屋で買った
「ゼロ戦」(零戦とも言う)
部品数10箇ぐらいの
思いっきりチャチナ物であったが
出来上がった時のときめきは、今でも鮮明に覚えている
あれから
ひたすら軍用機を作り続けた
第2大戦中の日本海軍機、陸軍機が主で
「ゼロ戦」
20ミリ機関砲を両翼に持つ、世界の名機であった
「隼」(ハヤブサ)
形はゼロ戦に似ているが
7.7ミリ機銃2丁のみ。
ひたすら軽さを生かして小回りが強みの陸軍機
「紫電改」
中翼の「紫電」を改良して下翼とし戦闘力が上がった
20ミリ機関砲を4門持つ重戦闘機
「飛燕」
ドイツ・メッサーシュミットが積んでいたエンジン
ダイムラー製水冷式倒立V12気筒をライセンス生産して
この機体に乗せた。スマートなボディが超カッコいい
他にもいっぱい作った
「雷電」「震電」「呑竜」「月光」・・・・
外国ものなら
アメリカ
「ノースアメリカンP51ムスタング」
「リパブリックP60?サンダーボルト」
「ドーントレス」「ヘルキャット」
「B17、B19、B29などの爆撃機」
双発、双胴の戦闘爆撃機「P38ライトニング」
(私はこれが一番好きであった)
イギリス
「スピットファイア」「タイフーン」
ドイツ
「メッサーシュミット」「ウォッケウルフ」
作った、作った
小遣いの大半を注ぎ込んで、プラモデルに没頭した時期があった
それにしても、
名前をよく覚えているものだ
我ながら恥ずかしい・・ (*^。^*)
学生の頃、しばらくブランクがあって
働き始めてから、またプラモデルを作り始めた
その頃は
親からもらった小遣いではなく
自らが働いたお金なので
でっかい箱に入った、縮尺率の低い、大きなプラモデルを買えた
戦車とか、戦艦、F1カーなども作ったが
やはり、飛行機が一番多い
「F-14トムキャット」「F-15イーグル」「A-10フェアチャイルド」
「F-16ファルコン」「F-18ホーネット」
「戦後初の国産旅客機YS-11」
「スウェーデンのビゲン、ドラケン」
ソ連の「ミグMi21フィッシュベット、23、25フォックスバット」
・・・・・
もう、やめよう
キリがない
これらの飛行機の名前
覚えても一銭の得にもならないこのような名前
これを見て
ワクワクする人がいたら
あなたは
私と同類のオバカサンかも知れない
この間の日曜日
岐阜県の南端、各務原市にある「航空宇宙博物館」に遊びに行った
そこには
自衛隊で使われた航空機を中心に
たくさんの本物の飛行機が展示してあった
各務原市には、航空自衛隊の基地
各務原航空基地
つまり自衛隊専用の大きな飛行場がある
そこで卒業となった飛行機たちが中心に、展示してあるのだ
大戦後、街の復興と共に
自衛隊は国産の飛行機をたくさん作り
日本の航空産業を育てた
その中の一つ
「US-2A海難救助飛行艇」
PS-1という対潜哨戒機を、飛行艇に改造したもの
説明版にそう書いてあった
巨大な機体と
飛行艇という、空と海
その両方に接する稀有な存在が
飛行機とも船とも相通ずる、奇怪な形をしている
プラモデルで作ったら
絶対面白いであろう
館内にも
たくさんの飛行機が展示してある
一番目を引くのが
STOL(エストールと読む)実験機
「飛鳥(あすか)」
STOLとは、ショート テイク オフ & ランディングの略で
日本語では
「超短距離で、離陸と着陸の能力を持つ機体」という意味
この機体を使っての実際の実験が盛んであった頃は
テレビにもよく登場していた
バイパス比の大きいターボファンジェットが
高翼の上に4基も据えられ
主翼の後ろに大きく下げられたフラップに沿って
噴流が下向きに曲げられ
大きな揚力を生みだす
実物を見ると
その巨大さと大胆な形態に圧倒されて
しばし絶句してしまう
機体の前にビデオが流されていたが
巨大な機体が
大きな揚力に支えられて
極端にゆっくりとした速度で
フワ~~~~ッと
着陸してくる様子は、幻想的であり
こちらが酔っ払ったような気分になってくる
次に宇宙服
実際にスペースシャトルで
宇宙遊泳に使われるものと同じものだそうだ
カメラを向けると
ヘルメットの金メッキされたバイザーに
自分が映っている
金メッキは、上海での変なビルの窓にあったように
極端に薄くすると
光を部分的にカットした上で、一部を透過し
非常に安定したサングラスの役割をする
金色のバイザーに写った自分を見ていると
中から見られているような気がして
ドキドキしてしまうのだ
私達の平凡な日常とは
別世界の
特殊な用途のために作られた道具達
飛行機
退役したとはいえ
それらの実物を目の当たりにして
静かな興奮を感じ
私は、ひととき“飛行少年”になったのでした
家には、あの時買った「宇宙食」が、3つもある
楽しみに取っておいてあるのだ
美味しいかどうか、また必ず報告しよう
Posted パーマリンク