2003年02月25日(火曜日)
651話 いくらですか?
商品の値段のつけ方は難しい
現代における“物・サービスの値段”とは
一言で言えば
「その商品に対する、買う側と売る側の価値観の一致点」
かつて、その昔
人々の生活水準が、ものすごい勢いで上がりつつあった時
つまり、それぞれの家庭に
テレビとか冷蔵庫とか自家用車が徐々に行き渡りつつある時
貪欲なまでの需要が供給を上回り
造れば売れる
そんな時代には
開発費と材料費、製造費、販売経費
これからの設備投資に回す資金、株主の配当などなど
かかった費用と
会社が伸びていくための利益を「積算して算出」すれば良かった
つまり、物を作る側の論理で、物の価格が決まっていた
もちろん、同じものならば
あるいは同じ付加価値のものならば、「安い」方が売れることは違いない
だから
厳重な品質管理をもって商品の付加価値を維持するとともに
“大量生産”によって
良質のものでありながら
一個当たりのコストを下げることが出来るかどうかという事が
すなわち競争力であった
それは日本の、海外に対しての
かなり大きな競争力として、圧倒的な貿易黒字を生み出し
高度成長期
すばらしく人々を豊かにした
ところが、人々が満遍なく豊かになると
必要な物は十分に、人々の中に行き渡り
「持っていないから、欲しい」
という欲求から
とりあえずは満たされていることが、前提の上で
「もっと便利なものを」「もっと美味しいものを」
「もっと豊かに」「もっと上質に」など
向上の欲求
そして、個人としての個々の欲求に変わってきた
最近よく使われる言葉で
「ナンバーワンより、オンリーワン」というのがある
消費者心理という次元で言えば
「人よりたくさんの物を、人が持っている物より良い物を」
から
「自分自身が良いと思った物」
という消費動機に変わってきた
購買の意欲を感じる対象が
細分化されて
少量多品種の生産が必要となり
消費者の嗜好に合わせた物作りがされるようになってきて
物の値段を、単なる積算だけで算出することが出来なくなってきた
物、あるいはサービスの価格とは
相手に対する付加価値の大きさによって決まる
それは、消費者が「買う」「買わない」という行為で
自動的に決定していくものだ
かつての昔は
造られた商品は種類が少なく、嗜好が入る余地があまりない中において
消費者の所得により
「買えるか」「買えないか」であった
テレビがそうであり、自家用車がそうであった
今は、「欲しいか」「欲しくない」か
値段は、消費者が「その値段で欲しいから買う」
「その値段ではいらないから買わない」で決まる
しかし
客観的に金額が決まっているもの(たとえば公共料金等)までを
勝手に、自分の都合で、利益だけのために
自分勝手な利益を乗っけて金額をつけると
「ごまかしている」という
致命的な不信を背負ってしまう
形のないものを売っているビジネスでは特に
自身の身をいつもきちんと正していないと
そんなところで
とんだボロが出る物だ
物・サービスの値段は
昔のようにコストと利益の積算では通用しないところに難しさがある
「その商品に対する、買う側と売る側の価値観の一致点」
経営者としての資質を、試される時代でもある
咲き始めた春の水先案内人「梅の花」
この美しさは、一体いくらなのかな?
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