2003年03月01日(土曜日)
653話 雨降る静かな日
朝起きたら雨が降っていた
雨が降る日は静かで、とても好きだ
雨が降っていると
雨音が雑音を吸い取ってくれるから、街がとっても静かに感じる
洗車にかかわる者としては
雨の日は仕事がなくて、悩ましい日であるはずなのだが
私は雨の日が好きだ
日ごろ思いっきり充実している
だから、雨が降って静かな日も、たまにはいい
こんな日には、世の中がいつまでも変わらず
みんなが今の幸せを、しっとりと楽しみながら
争わず、静かに
淡々と過ごしていけたら
どんなにいい人生だろうと思う
生き物は必ず死ぬのだから
自分も必ず死ぬのだから、何もこんなにあくせくするともないか
そんなふうにフッと思うのだ
静かに平和に暮らす
そして、淡々と歳を重ねて枯れていき
ひっそりと死んでいく
そんな人生と
激しく生きる人生と、どちらがいいのか
優劣など、何処にもあるものではない
どちらも、それぞれに意味があって
存在としての尊厳に、いささかの違いがあるものではない
ならば、静かであって平和な人生の方が
より多くの人が幸せになれるのではないか
とも思えてくる
しかし、こうも考えるのだ
たとえば、私が主体的な考えを持って
静かな存在でありたいと考え
じっと静かにしているとする
人々に対して投げかけられる消費への扇動と誘惑
人口的な豊かさへの誘惑
ありとあらゆる手段を持って、執拗に行われるそんな扇動と誘惑を
掻き分けて
征服欲、自己顕示欲
そんなもの雑念を、強固な意志を持って
かなぐり捨てて
心の豊かさを持った静かな人生を
しっとりと楽しむことが出来るとする
しばらくは、いいとしても
いつにおいても環境が変わっていくこの世の中で
自分の望む静かさを
「闘わずして維持することは、じきに無理になってくる」
どうしても、そう思える
静かでいるために
どんなに自分の環境・状況を整えても、それは孤立しているものではなく
その外の環境・状況に大きく影響されるもので
不変であり続けることは出来ない
あるいは、攻撃もやってくる
特に、経済的な攻撃は、絶え間なく繰り返される
いわゆる競争だ
その時にどうするのか、闘うのか
静かであり続けるために、闘うのか
闘い続けるのか
おかしい
結局、闘うのか
ならば
全力で闘うか
奪うために闘うか
違う
奪ったもので、幸せを得ることなど出来るわけがない
ただ単に、つかの間の欲望を
刹那的に満たすだけ
そんなものが欲しいわけではない
私が欲しいのは
みんなと同じように、平和な幸せ
みんなと同じように
だったら
みんなの幸せを願い、行動すれば
いいのかもしれない
きっとそうだと思う
人々に喜んでもらえることを
みんなと一緒に、一生懸命やると
きっと、みんなが幸せになれると思うのです
もちろん自分も
結局、静かな平和というものは
一生懸命の中から産まれてくるものなのか
また、明日から、一生懸命働くか~
午前中、ミーティング
午後から
ちょっとした休暇
降り続く雨の音を、静かに聴きながら
ボォ~~っと、そんなことを考えました
昨日!
空が晴れ渡っていた
人々に喜んでもらうための、真っ白なテントが出来て
喜び浮かれる一人の若者
彼も、いっぱいの人たちと共に幸せになれるだろうか
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