2003年03月27日(木曜日)
675話 だけでもの視点
「洗車だけでも大歓迎」という言葉が
一般ユーザーから見ると
その看板を掲げているSSの気持ちとは逆に
「やっぱりガソリンスタンドは、燃料を入れて欲しいのだなぁ
洗車だけでは、やっぱり“でも”なんだなぁ」と思わせてしまい
洗車収益の向上に対しては
むしろ危険な標語になってしまっている
少なくとも、私には、そう思える
そんな話を前日のコラムで書いた
なぜ、こんな現象が起きるのか
それは「視点の違い」があることが原因、であると思っている
売る側の視点と、買う側の視点
その違い
ガソリンスタンドのメイン商品である「ガソリン・軽油などの自動車用燃料」
これは、買う側からすれば
「入れないと車が止まってしまう、だから買うもの」
必要だから仕方なく買う商品
オイルも、車検も、タイヤも、そういう側面が強い商品で
ガソリンスタンドで売っている商品は、そういう性格のものが多い
だから
買わざるを得ないから買っているものであって
好きで買っているわけではない
特に燃料においてはそうだ
車の燃費が良くて
燃料をあまり入れなくても済むのなら、その方がいい
それで性能が落ちなければ、もっといい
「あまり燃料をいれずに済むのなら、その方がいい」のだから
言い方を変えれば
「スタンドに行かなくて済むのならば・・」という事にもなってしまう
ただし強調しておくが
スタンドという商売が
燃料というエネルギーを社会に供給するという
社会的に非常に重要な役割を果たしている商売であること
それは基本である
だからこれは、あくまでも一面的な見方であることを断っておく
しかし、そういう言い方も出来るという事だ
そして加えるならば
その商品を
わざわざ自分の店に買いに来てくれたお客様に対して
私たちは断然感謝すべきなのである
燃料が仕方なく買う商品であるからこそ
だからこそ私たちは感謝すべきである
逆の言い方をすれば
ガソリンスタンドという商売こそ
心こもった感謝の接客が出来る店と
いかにも「入れてやる」という悪しき姿勢の店との
差が大きくなる商売もない
だから、感謝の接客が
客を呼び、リピートを獲得する力になりうる商売で
燃料販売とは、「本物の接客」が
繁盛店のもっとも大切な要素
(値段という要素は、それに比べたらむしろ小さい)
かたや、洗車とは
買おうと、買うまいとどちらでも選択できる
ユーザーにとって自由な商品である
洗車に関しては
ユーザーは自分の好みだけで
自分の好きな方法を選ぶことが出来る
だから
買わざるを得なくて買っている燃料を売っているスタンドから
「その燃料は買わなくてもいいから
洗車だけでも歓迎しますよ」
と言われても
スタンドで洗車をするかどうかは、自分の自由なのだから
“ガソリンは買わなくてもいいよ”と言われても
“洗車だけでも歓迎”と言われても
ユーザーは
「じゃあ洗車だけでもやってもらおう」とは思わない
むしろ、反対の感情を持つ方が自然ではないのだろうか
そんな心情を解っていただけるだろうか
売る側の視点
ユーザーが買わざるを得ないものを売っている者としての
その視点からは
その買う側の心情は、理解できないのがある意味では当然である
だから・・・・・
・・・
この続きはまた、明日
今日は大阪で、朝一番から夜まで
びっしりとスケジュールをこなした
さすがに、しんどい
先週の日曜日撮った「もくれんの花」
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