谷 好通コラム

2003年06月20日(金曜日)

734話 高き志とは何だ

また、レースという一つのドラマを通じて、色々なことを学んだ
自分がいつもいる仕事の世界の中だけでは、なかなか得られない体験を通じて
違う角度からの視点をもって学ぶことが出来る貴重な機会だ
それがレースに参加する意義の一つの大きな要素でもある

 

今回は志の高さについて考えた

 

志の高さとは、目指す到達点の高さか
それとも大きさなのか

 

多分違うと思う

 

志の高さとは、より多くの人と共有することが出来る目標であって
共有できる人の多さ、共有の強さ
そしてその高さ、大きさ
そんなものではないかと思うのです。

 

だから、その目標が高いほど、たくさんの人がその目標を見ることが出来
共有することによって
目標を達成したときの感動が大きくなるものだと

 

また、志の高さとは
より多くの人にとって、その志が遂げられることによって
より多くの、より大きな幸せが実現されること
とも言える

 

レースにおいても、そんなことが言えるのではと感じた

 

レースはドライバーだけのものではない
たくさんの人によって成り立つものだ

 

レースカーを作り
レースにおいては、車をセットアップし、メンテナンスを施すメカニックの方達
彼らはドライバーと共に、レースの成果の是非を大きく左右する
最も重要な要素である
ドライバーも、メカニックの人に走らせてもらっているとも言える

 

先日のS耐・富士戦で
山本選手がCドライバー走行に出て行くとき
メカニックの人にしっかり言われていた
「昨日エンジン潰れてるから、もう、一つしかエンジンないからね。わかってるよね。
気合入れていくんだよ。
9000回転まで回していいけど、わかってるよね、ちゃんと帰ってくるんだよ。」

 

 

あとは、冗談いっぱい言って、山本をリラックスさせる
メカニックは、レースのもう一方の主役である

 

そして、ピットで色々と雑用をこなしてくれるマネージャーとそのサポート
この人たち無しでもレースは成り立たない
ほとんどが無料奉仕のボランティア

 

 

同じくボランティアで参加してくれているサインマンの人たち
彼らの存在も、同様に重要であることに違いない

 

 

そして、スポンサーの面々
アイ・タックはキーパーと快洗隊
そして、みんなそれぞれの会社名、製品名のステッカーを
レースカーに所狭しと貼って、その名前を宣伝する

 

 

そして、ドライバー
たくさんの人に支えられて走るドライバーは、レースの花形
誰でもドライバーになりたい
しかし、誰にでもなれるものではない
まず、資金が要る
レースドライビングを身に付けるには、それなりの練習が必要で
そして実際のレースに参加していく中で、実戦的な力がついていく

 

レースカー自体は中古で買えばかなり安い
私も、25番キーパーレビンを70万円で買った
年式からすればノーマルの車より、むしろ安いぐらいだ
しかし、消耗品が高い
タイヤは、1シーズンで5セットぐらい履き潰すし(走行距離300kmしか持たない)
レース用ブレーパッドも高い
エンジンのオーバーホールもあるし
レースカーはナンバーがついていないので
車載車での移動にも費用が要る
なんやかんやで
草レースのみの1シーズンでも、100万円以上は掛かる
高いレベルのレースに出ようと思ったら
もっともっと掛かる
しかも、通勤車にはならないし
公道を走れないので、デートにも、家族サービスにも使えない
(足としての車は、みんなびっくりするほどのポンコツに乗っている)

 

よっぽど何かの強い志を持っていないと
続けられるものではないのだ

 

特に、清水選手、山本選手は事業をやっているわけではないし
普通のサラリーマンであって
みんなの応援がないと、とてもレースを続けることなど出来ないのだ

 

そんな中で清水選手は三十数年レースを続けてきた
もう52歳、孫までいるので、そういう意味では“おじいちゃん”なのだ
天然記念物的存在といってもいい

 

ただただ
「レースで走りたい
もっと速く走りたい、もっと走りたい」
ひたすらそんなことを思っているのだろう

 

では、これが高い志と言えるのであろうか
走りたい、もっと速く走りたい、というのは、清水選手個人の問題であって
そのことによって、誰かが幸せになるというものではないだろう
自分自身の欲求を追い求めつづけることが
高い志につながるとは思えない

 

ところが
先に言ったように
レースとは決して一人で出来るものではないのだ
たくさんの人に支えられてやるもの
清水選手は、それを雇うほどの稼ぎをもっているわけではない

 

彼のレースを支えてくれているのは
みんなボランティア、手弁当で手伝ってくれている
今までの草レースにおいては
メカニックの人までボランティアでお願いしてしまっているのだ
私にしたって、彼のレース活動にかなりの金額をサポートしている

 

彼の周りには、人がいっぱい集まって
みんなが彼のレースを支えているのだ
“たのしそうに”
その意味において、彼は多くの人を幸せにしていると言ってもかまわないであろう
高い志を持って生きている人の周りに人が集まって来るように

 

不思議だ

 

私の想像するに
きっと、彼の「レースをしたい」という馬鹿が着くほどの単純な想いに
自分も、そうありたい、と思う部分があって
共感を持って集まってくるのか

 

人生の在り方として
一つの明確な意思を持って生き続けていることに
共感をもつ部分があるのであろう
これも、一つの志のあり方といえるのかもしれないと思った

 

今回のS耐シリーズには
田中選手がメインのドライバーで
サブドライバーとして、清水選手と山本選手が付いている
S耐のレースは、通常2名のドライバーが走るので
レースによって清水選手と山本選手が交代で乗ることになっていた

 

今回の富士戦は、アイ・タックの社員がたくさん観戦に来ることもあって
山本選手が走れればいいな、と思っていた
だから、山本選手は
レースの前に、自分で何とか工夫して、事前に下見に走りに行ったり
それなりのことをしていた
「走りたい」という想いは
清水選手負けず劣らずあると感じた

 

が、それでも結果的には
清水選手が今回も走ることになった

 

事前に田中選手から相談されたときには
「それは、私が決めることではありませんので
レースにとって、どちらが走るのがいいか判断してください。
どちらでも、というのなら
社員の士気もありますので、山本が走るとありがたいですが」
と、答えた

 

そして
田中選手は山本選手にも聞いたらしい
山本選手は
「走りたいです!・・・けど。
清水さんのほうが、富士でたくさん走行していますし、レースを考えると・・・
どうなんでしょうか」
というような意味のことを答えたらしい

 

私は考えた
ならば、金曜日のフリー走行のときから
「走りたい!走らせてください!」とアピールすれば良かったではないか
山本選手の方が
「走りたいっ」という気持ちが、清水選手に負けているのではないか
それでは、いつまでたっても
彼が走ることはないのだろう
そんな風にも考えた

 

色々考えながら
レース中に不思議な光景を見たのだ
清水選手が自分の出番を走りきり
消耗しきって降りてきた時、山本選手とすれ違った
その時に
自然に清水選手が手を出して
山本選手も手を出して、無言で手をパチンと合わせていったのだ
そのときの表情が
なんとも表現しがたいいい表情をしていて
思わずシャッターを押した

 

二人が、うんと深いところで、このレースを共有していて
清水選手が自分の任務を果たし
山本選手に、「ちゃんとやったからね」と伝え
清水選手からのその伝えを「そうだね。よくやったね」って感じで
一瞬のうちに応えた
そんなパチンであった

 

※すれ違った清水選手の後姿が左にいる

 

 

清水選手と、山本選手は
サブドライバーとして、同等の立場にあり
どちらが出場するか、そういう意味ではライバルである

 

しかし、二人とも、そんなことの前にキッチリとこのレースを共有していて
まさに戦友であるようだ
どちらが決勝に出ても、100%相手を応援する気持ちを持っていて
私には立ち入りがたい何かがあるように思えた

 

 

たかがレースではあるが
一つの目標に向かって、みんながその気持ちを一つにしていくことは
幸せなことである
それが良くって、レースをやっているような気もする
レースによって、得られるものは実利的な物もあるが
それだけではなく
その共有した連帯感を持って、勝利向かってレースに全力を出していく
そのプロセスが魅力なのかもしれない

 

高き志とは、多くの人の幸せを実現するもの
だから
いくら高い理想を追うものであっても
それを実現する手段の中として、人を不幸にするものがあってはならない
それは高い志とはいえない

 

「走りたい」を思い続ける一途さに共感を覚え
みんなが協力したくなる清水選手の生き方に高い志を見出すか

 

お互いにライバルなのだから、決して譲ったりはしないが
チームことも考え
相手を押しのけてまで「自分が走りたい」と言い切らなかった
山本選手の志が高いのか

 

いずれにも、高い志を感じ
いずれを否定することも出来ない

 

※レースをヘアピンで見る山本選手
走れなかったことが、悔しくないわけがない

 

 

さぁ、MINEはどうしたものか
私には解からなくなってきている。

 

 

私たちは
「日本に新しい洗車文化を創る」
そんな志を持って、仕事をやっている
そのことが、それを担う人にも、それを享受する人にも
多くの人に幸せを作り出すと信じているから

 

しかし
それが独りよがりに成っていないか
また、間接的にでも不幸なする人を作り出すことになりはしないか
よくよく考えながら進めていかねばならない

 

そんなことを考えてしまったのでした

 

朝一番で東京に来たが
今日も富士山は姿を見ることが出来なかった
しかし、富士山があるべきところに
笠雲の変形のような雲が見えた
あの場所に富士山がある

 

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    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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