2004年06月18日(金曜日)
979話 みんなと会えた
今日から社員旅行の第一班が上海にやってきた。
総勢32名、
私と荻野は今日の夕方からみんなに加わる。
それまではお仕事である。
そして、明日は午前中にみんなとは別れる。
李は、社員旅行のガイドとして午前中に飛行場にみんなを迎えに行った。
今回で15回目の中国出張
つまり、必ず来ている上海にも仕事として15回目。
それでも、今日みんなが観光しているであろう「人民広場」も「上海タワー」も
行ったことが無い。
上海は私にとって生活の一部になっていて、観光するところではなくなっている。
だからと言うわけではないが、
社員旅行のみんなと一緒になるのは晩飯と
夜の観光BANDOだけである。
だから、こんな変則的な参加の仕方も、マゾヒスティックで面白い。
アイ・タックの出張は原則的に単独で、と決まっている。
二人でやらなければ出来ない仕事など滅多にあるものでなく、
スクールを二人でやるぐらいで、
複数人数での出張は基本的にあり得ない。
一人でやれる仕事を二人でやると、チンタラとなって余計に効率が悪く、
ダラダラとなってだらしなくなる。
一人で出来ることは一人でやる!
私も国内での出張は、ほとんどの場合一人で出かける。
誰かと行くときは、
その出張において、その人に何かを伝え、
次は、その人にやらせたい事がある時と決まっている。
海外であるこの中国出張だって、その延長線上。
少なくとも出張そのものは、一人が一番である。
何かにつけてそうだ。
しかし、一人で外へ出て行くということは
何もかも自分ひとりでやるということであって、
何かにつけて結構つらい事も多い。
とはいっても、誰かが一緒でもプライベートなことをやらせるわけではないので
結局一緒であるが、
それでも一人での出張はなんとなくツライ。
しかし、今回の出張では
誰かと一緒どころか、社員旅行と一緒になっているので
みんな、それも32人ものたくさんのみんなが一緒なのだ。
もちろん、こんなことは初めてで、
みんなと一緒であることだけで、ルンルン気分で楽しい。
出張は一人と決めているが、
そんな事は当然ではあるのだが、
それが、仕事であるのかどうかは別の問題として
一人は、すごく寂しいのだ。
そんな寂しさぐらいは、はねのけて当然ではあるのだが
やっぱし寂しいものは寂しいのだ。
人間が一番つらいのは、孤独地獄であるという。
イジメで一番つらいのは“シカト(無視)”であるという。
そんなオーバーなことを引き合いに出すまでもなく、
出張先に、みんなが大勢で来てくれたうれしさを思うと、
やっばし、一人の出張ってさびしいよな~
やっぱし、みんなと一緒がいいよなぁ~って
そんな風に思ったのでした。
晩御飯は、ホテルの目の前にある“火鍋屋”
かなり日本の味に近い料理と思って選んだのだが、
“食べられない”という“ひ弱な奴もいた。
こんなうまい物も食えないなんて、私には信じられない。
みんなに一番見てもらいたかったBANDO
上海に来て、しんどい~って思った時、私はここで元気をもらう。
みんな、どう思ったのかなぁ、
帰りのみんなに「どうっ?すごいだろ。きれいだろ。元気が出るだろ?」って
おもわず聞いてしまった。
おつかれさまでした。
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2004年06月18日(金曜日)
978話 国も人もそれぞれ
只今、18日の朝
昨日上海に着いて、それから仕事をして
夜はかなりお酒を飲んでしまったので、昨日のうちに書けなかった。のです
(言い訳)
ということで本文
国それぞれ、人もそれぞれ
中国の場合
日本のように大まかにでも一つのくくりで語れる国ではないようだ。
都市としてそれぞれ特徴があって、
その文化としての差は大きく、
まるで複数の国家が集まっている連合体のようにさえ感じる。
たとえば日本ならば、
東京に行っても、大阪に行っても、福岡に行っても、札幌に行っても
あるいは何処へ行っても、
街の風景は90%が同じで、
(冬に雪景色になるかどうかは別にして)
同じようなビルが立ち並び、
同じように流行の服を着た人が歩き、
同じような車が、同じように走っている。
私たちは、それが当たり前のように思っている。
それに比べたら中国の街は、街によってその風景がかなり変わる。
特に上海」と「北京」では、
これはまったく違う街で、同じ国を代表する大都市とは思えないぐらいだ。
上海は、
今も大開発中で、
古い旧市街地をぶっ潰しながら
新しい高層マンションを凄まじい勢いで建設している。
新しく建てたビルも近未来的という言葉がぴったりの独特のビルだ。
なんと言うか、ケバイ街が出来上がりつつある。
新旧の街が入り混じっており、
道路は都市高速が発達しているが、大混雑が日常的である。
そして車の種類。
道路を走る約半分の車がタクシーであり、ほぼ例外なくVWの“サンタナ”である。
サンタナ以外は黒塗りの高級車。
ビュイック・リーガル、VWパサート、アウディA9、ホンダ・アコード(インスパイア)など
どれも、「俺は金持ちなんだから、どけっ!」って感じで威張って走っている。
タクシーも「俺はプロだ。素人はジャマだ。どけっ!」
上海の道路は「どけっ!」が基本的ルールである。
だから、朝も、昼も、夜も、深夜も、早朝もクラクションの音が鳴り止まない。
上海は「どけっ!」
上海は、中国の中でも独特の都市である。
一言で言えば、「混沌」
平たく言うと
「ぐちゃぐちゃで、やたらうるさく、溢れるチャンスに、無数の人が群がっている街。」
てな感じ。
それに比べて北京は、
さすが中国の首都であり、
街全体がしっとりと落ち着いている。
建物も、歴史のありそうな建物が立ち並び、ムードがある。
建設中の新しいマンションはあるが、
その数は上海よりはるかに少ない。
デザインは非常に落ち着いており、
カラーの使い方など基本的にヨーロピアンである。
日本人が好きそうなデザインだ。
道路は広い!
原則的に片側3車線。
上海の街よりうんと余裕がある感じがする。
街を走る車もバラエティーに飛んでおり、シトロエンのZXとか、MAZDAのファミリア、
フォード・モンテオが中国風の顔に整形されて走っているのには驚いた。
タクシーは上海より一回り小さい鈴木自のカルタス。
ルノー、ローバーなどもいる。
VWはジェッタ、ポロ、パサート、ゴルフはいない。
日本車も多い、日産・ブルーバード、セドリック(古いセドのV8がいたのは仰天)
ホンダはFIT、シビック、アコードなど結構いる。
車種は北京の方が圧倒的に豊富である。
特にマイカーであろう小さめの乗用車が多い。
これは上海とは決定的な違いである。
そして高級車はアウディのA8が意外にたくさんいて、A6、ビュイックと続く。
BMWは7シリーズ、ベンツはSクラスと最高グレードの車種が目立つ。
もちろん黒塗りで、権威の象徴のようである。
北京の道路の基本ルールは「どきなさいっ」
「どけっ!」ではなく「どきなさい」なのだ。
クラクションは鳴っているが、あまりうるさくない。
首都であるだけに権力の集まるところで、特別な階級の人が多いらしく、
黒塗りの高級車が、小さなタクシーとかマイカーに
クラクションを鳴らして「どきなさい。」とやっているのだ。
北京を一言で言えば「権威ある街」
平たく言うと
「官僚のニオイがしていて保守的なところもあり、引っ掛かりが鈍い街」かもしれない。
落ち着いていて、歴史を感じさせると手も感じのいい街で、
とても住み易いだろうと思う。
KeePreにとっても、マイカーが当たり前のように走っているこの街は
タクシーと黒塗りの車が圧倒的に多い上海より、ずっと合っているだろう。
しかし、活気という部分では上海に何歩も譲る。
時間をかければ上海より大きな成果が出てくるだろうと感じたが、
やはり、時間がかかりそうであることも強く感じた。
錦州は三輪トラックがいまだに幅を利かせている街。
まだ三輪トラックの新車が供給されているぐらいなのだ。
(ロバの馬車もけっこういる。)
それだけでも街の様子が想像できるが、
秘めているポテンシャルは計り知れないものがあるようにも思った。
住むなら錦州はいいかな、と思ったぐらいだ。
以前に行ったことのある西安は、
これらの街とは、また、まるっきり違う街であった。
もう5年ほど前になるが、そこはスズキ・アルトの世界であった。
それも四角い赤いアルト。
都市によって走っている車がまるっきり違うなんて国は
そうそうはない。
国の政策の結果と言ってしまえばそれだけだが、
そう簡単に、はっきりとした色分けなど出来るものではないのだ。
中国は、都市を移動すると国を移動したぐらいに感じる。
それだけ大きな国であるということかもしれないし、
私たちの日本があまりにも小さな国であるということかもしれない。
国それぞれ、まったく違うところを持っている。
今、上海連絡所の李さんがホームシックにかかっているようだ。
何かにつけて、「日本がいい。こちらに来て日本の良さが余計に分かる。」と嘆く。
李さんは10年近く日本に住んでいたので
日本の生活習慣や、
価値観がすっかり自分の中にまで染み込んでいるのだろう。
ふるさとの中国に帰ったら、
中国の習慣とか価値観に違和感を持つようになっていた。
特に喧騒の街“上海”には、嫌悪感をすら持っているようだ。
これはある程度仕方のないことかもしれない。
しかし、李さんに言う
「そんなこと言ったって、李さんは中国人なんだから、
“中国人として”、どう生きて行くのかを、自分で考えるしかないよ。」
きちんとした仕事を持って中国に帰ってきたことに、
“中国人としての”誇りを持って
がんばって、中国での仕事と、中国人としての新しい生活を作り上げて行くしかない。
私も、ドイツに行ったときには
大きなカルチャーショックを受けた。
大都市フランクフルトは、古い文化と新しい文化が見事に調和していて、
その歴史が田舎の隅々にまで、いまだに現役として残り、活き活きとして生きている。
それは素晴らしいものであって、
住んでいる人々のマナーも素晴らしかった。
そして、自分のふるさと日本の街が、
あるいは自分がとても陳腐に思えたことがあった。
中国に来はじめて、一番いやだなぁと思ったところ。
たとえば飛行機に乗った時、
大きな荷物を平気で機内に持ち込む。
特にブランド物のバックなどを持った
いかにも、軽薄そうな人が「私は金持ちだから」と言うニオイをぷんぷんさせながら、
巨大な荷物を手荷物入れに無理やり押し込んだりしている。
そして、席に着いても平気で携帯電話を掛け続ける。
そんな連中がかなりの数いて
マナーを守らない事が“金持ちの特権”であるようなそんな一部の風潮は、
中国の今の文化の底の浅さを感じさせる。
しかし、日本だってそんな風潮が無いわけではない。
新幹線のグリーン車などに乗ると、
横柄極まりない乗客を目にすることがある。
日本も大した変わりはない。
しかし、ドイツにはドイツの良さがあり、嫌なところもあり
日本には日本の良さが有り、やはり嫌なところもある。
それは中国だってそうだ。
上海の「どけっ!」も、北京の「どきなさい」も、
金持ち面を撒き散らす連中がいることも、
私にとっての中国の好きではないところだが、
私が知っている人、
多くの人とお付き合いしているが、
その一人一人は、人として尊敬できるし、大好きである。
一人残らず大好きである。
中国人だからと、違和感を持ったことはまったくない。
一人残らず、間違いなく大好きなのだ。
国によって、
それぞれ好感を持つところもあれば嫌なところもある。
しかし、それは、
人によって、それぞれ大好きであって尊敬できる人もあれば、
そうでない人もいる事と同じで、
あるいは、その人の中に好きな部分とそうでない部分が混在していることと同じだ。
国もそれぞれ、人もそれぞれ
それぞれが違うものであって
一つの価値観で優劣をつけることは出来ない。
そして、私は日本人であることを肯定的であろうと、否定的であろうと、
事実として受け入れた上で、生きていくことになるのだし、
それは中国の人にとっても同じことだと思う。
私は中国が大好きであるし、中国の人々が大好きである。
私が日本人である事が大好きであり、日本が大好きであるように。
錦州のバスを乗る駅で、乾電池を買った。
デジカメの電池が少なくなってきていたからだ。
単三電池4本セットで2元(約26円)
多分あまり持たないだろうなと思って、3セットも買った。
それで、昨日の夜いよいよデジカメの電池が無くなったので、
その電池に入れ替えたら、最初からまったく動かなかった。がっくりである。
で、上海についてからの写真が一枚もない。
しょうがないので、昨日の朝
北京のホテルから取った朝の写真と、北京空港での写真だけ
外国からの要人が泊まるという高級ホテルに泊まった。
北京の会社の方のお世話で割引価格であったが、
それにしても意外と安かった。(約5,500円)
北京空港の乗降車場で
北京空港のチェックインカウンターは恐ろしく広かった。
こんなカウンターが何十もあるのだ。
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