谷 好通コラム

2004年07月05日(月曜日)

986話? 見たくない時

話は4日ほど戻る。
寧波を目指して上海を出てから約4時間
紹興を通過して、乗州(正確には“乗”は、“山へんに乗”と書く)で、高速を降りる。
乗州は、田舎ではあるがちゃんとした街であり、
住みやすそうなところであった。

 

目的地は、乗州市と寧波市のちょうど境目にある工場だ。

 

実は、快洗Taoるに不良品が一部混入した事件があった。
不良品とは、2~3回洗うとタオルの生地がほつれやすくなって
ひどい場合にはボロボロになる。
お客様からの通報で発覚した。
今はすっかり落ち着いたが、1ヶ月ぐらい前のことだ。

 

原因は、タオルを縫製する前の段階の作業で、
工場が停電で機械が止まり、作業が止まった事による変質。
快洗Taoるの製造責任工場である陶さんの下請けさんによる事故である。

 

全部でタオル200枚ぐらいに発生した模様だ。
それが、たくさんのタオルの中にバラバラの状態で混入した。
その事故が発生したのが3月18日。
奇しくも、私の誕生日であった。

 

だから、どのロットの中に混入したのか絞りきれず、
なんと3ロット分18万枚(約1か月分)の配送先すべてに連絡をして、
異常なタオルが1枚でも混入していた場合は、発送したタオルの全部を、
あるいは、そうでなくても希望によっては全部のタオルを回収し、
すべて新品と交換した。
結果、回収・交換されたタオルの総数約1万枚。
その中には不良品が混ざっているはずだが、
・見た目では分からない。
・洗わなくては分からない。
という2つの理由で、不良品と正常品の仕分けが出来ない。
仕方ないので、全部、廃棄処分とする。

 

200枚とは、1か月分の約900分の1の枚数。
たったそれだけの不良品が正常なタオルに混入した為に、
何十倍もの正常品が商品として使えなくなって、
たくさんの労力を要したうえに
大きな損失であるが、
そんなことより何より、商品に対する信用を失墜させることになったことが
涙が出るほど悔しい。

 

ご迷惑をおかけした方々に深くお詫びいたします。

 

 

事態があらかた落ち着いた時点で、
とにもかくにも中国・寧波の工場を訪問することにした。

 

工場の社長からの
原因に対する説明と、2度とこのような事態を発生させない為の対策を
手紙によってもらってはいた。
李さんを通じて、間接的ではあるが話もした。
その時、工場の社長は泣いて詫びていたという。

 

責任工場の陶さんも、その悔しさをあらわにして、
寧波の工場の社長に詰め寄り
その対策を全力で実現させると言ってくれていた。

 

いまさら、私が、一日かけて寧波まで出かける必要はないのかもしれない。
しかし、どうしても行かねばと思った。

 

実際に現場に行って、実物を見て、対策を確認して、
社長の顔を実際に見ながら、生の声で話をしたい。
そして、“本当の事”を知りたい。
そして、たった200枚でも、それが混入したことによって
どれだけの被害が出て、
信用を失墜させるものなのか、本当の事を
自分の生の声で知らせたい。

 

 

寧波の社長の話では、
停電は何度もあったらしい。
中国は深刻な電力不足で、工業の発展のスピードに電力の供給がついていかない。
慢性的な電力不足は、春以降クーラーを使うようになると一層深刻になっていて、
突然の停電は日常茶飯事のようだ。
その度に、ディーゼルエンジンでの自家発電でその場をしのぐのだが、
その発電機は当たり前のように中古であって、
それもかなりの時代物だ。

 

 

うまく停電と同時に自家発電に切り替えることが出来ない場合もある。

 

だから、何時間も機械が止まってしまうことも何度かあるのだろう。
その時、機械にかかっていた作業がどの段階であったのかによって違うが、
場合によっては、機械にかかっていた製品がダメになってしまう場合もある。
その度に、工場の社長とかが目で見て、
それが使えるか、使えないかを判断する。

 

しかし、それが何度も続くと「見たくなくなる」
見ることによって、それがダメだったのならば、廃棄させなければならない。
損が出る。
損が出ることを分かってて、見なければならない。
「見たくない」気持ちになるのも分からないでもない。

 

あの日、工員さんが
「社長、また停電になりました。すぐ自家発電に切り替えたんですが、
また発電機が動かなくって、直す間15分ぐらい機械が止まりました。
処理中のタオルが入っていたんですが、社長また見てください。」

 

社長
「この間停電した時は、30分機械が止まってもタオルは大丈夫だっただろう。
15分なら絶対大丈夫だ。見なくても大丈夫だ。
出荷していいぞっ」

 

これはフィクションであるが、話の感じからこんな風ではなかったかと想像した。

 

この工場では、
この事があって以来、
・自家発電のための発電機を、もう一台買ってきて2台体勢にした。
・手作業の一部を機械化した。
・機械が止まった時の対処マニュアルを作り、明文化して大きく張り出していた。
・停電があった場合の記録をすべて記帳することにしていた。
・それでも万が一、機械が止まった場合、責任工場である陶さんに必ず報告する。
・陶さんはその報告にしたがって、その時のタオルを確実に確認する。
・当然、社長は必ず見る。
・そして疑わしきは、す・ベ・て・廃・棄すること
などなど、今出来うる限りの対策を講じ、
絶対に事故の再発を防止することで一致した。

 

ジックリと話し合い、
自分の納得の行くまで話をして、
納得の行く返答が返ってくるまで問い詰めた。
いい加減な陳謝など要らない。
軽々しい涙など見たくない。
数々の対策はしても、それは方法であって、
その方法を運用する人間に
品質に対する責任感がどれほどあるか、
それが問題であって、
その部分で納得がいくまで帰らぬつもりできたのだ。
妥協はしない。

 

当初は、
わずか200枚のことだと、タカをくくっていた工場の社長も、
前もってされていた陶さんの度重なる抗議と説得で、
事の重大さは、すでに十分に分かっているようであった。
観念しきっている。

 

 

 

私にだって
「見たくなくなること」ってある。

 

8月のスーパー耐久・十勝24時間に出場するために
2ヶ月前から始めたダイエットとトレーニング。
当初の体重92.5kgあったものが、
最初の1ヵ月はそれなりに順調に進み、88.0kgにまで落ちた。

 

その後、中国に行く機会があって、
完全にカロリーオーバーの食事が続いたが、
ハードスケジュールをこなして心底疲れたせいか、体重は増えなかった。
88.0kgキープで中国出張をクリアしたわけだ。

 

しかし、一週間後にまた中国出張の時は、
前回、カロリーオーバーの食事をしても体重をキープできたことで、
平気で中華を食べ、油断をしたのだ。
加えて、スケジュールが思ったよりハードでなかったこともあって、
帰ってきたら88.6kgまで戻ってしまっている。

 

ガックリときた。

 

順調にダイエットとトレーニングが進んでいる時は、
一日に何度も体重計に乗って、
刻々と落ちていく体重を見るのが楽しみあったが、

 

ガッカリするような体重に戻ったら、
もう体重計に乗る気にもならないし、
体重を見・た・く・も・な・い。
そうすると、食事を制限しての空腹を我慢する気にもならず、
しんどい目をしてトレーニングする気にもならなくなってくる。
「明日からやろう」とつぶやいて、今日のところはとりあえず食べる。
で、とうとう89.6kg

 

このダイエット、失敗か?
ならば、十勝24時間出場もあきらめなければならない。
この体重と体力では、絶対に持たないと実感で思っている

 

どうするのか。

 

一昨日、「今日からやろう」と腹に力を入れ、決めて
食事を制限して
昨日の夜は、
思いっきりトレーニングをした。
かなり汗をかくほど運動をした。
今井さんからいただいているプログラムの3倍以上の運動をしてしまった。
叱られるかもしれないが、
ちょっとやけくそだったのだ。
イヤ~、運動ってすごいものですね。
30分ぐらい腕立てやら、腹筋やら、ダンベルをやったら
ポンと0.5kgぐらい下がってしまうのだ。

 

そして今日の朝、計ってみたら、
88.0kg!

 

ホッとした。
とりあえず前回の中国行きの前にまでは戻った。

 

「油断してはイカン」ということと
「見たくなくても、キチンと見る」が、大切なのだ。

 

そうな風に寧波での工場のことを思い出しながら、
今日からもダイエットとトレーニングをしっかりやろうと心に決めているのでした。
24時間レースまであと1ヶ月のちょっと
真剣にやれば、まだ間に合うかもしれない。

 

 

 

話は戻って
中国・寧波の工場からの帰り、
乗州の街で、面白い乗り物を見た。

 

※オートバイにフレームごと荷台をつけ、三輪車にしてしまった車。

 

 

※トラクターを改造して、やはり“車”してしまった車。まるで装甲車のようだ。

 

 

寧波、乗州、
もう、太陽が赤くなって夕日になりかけている。

 

 

そして杭州。
杭州の街の家は、特徴的である。
屋根がとんがっていて、おまけにアンテナのように物まで立ててある。

 

 

中には、エッフェル塔のようなアンテナまである。

 

 

杭州の“新しい街”は、超近代都市に成長しそうであった。

 

 

上海に向けて、陶さんのオデッセイは飛ばしに飛ばした。
「陶さんの高速ドライブはホントに安定しているよ。まじレースに出てみない?」
と言ったら、陶さんその気になったのか
ますますアクセルを踏み続ける
時速150kmは出ている。
上海に近くなった頃、もう夜9時に近く真っ暗だ。
時速は時折160kmを越す。
「レースに出てみない」なんて言った事を少し後悔した。

 

 

今日は、福岡への日帰り出張
西日本の営業スタッフが全員集まってのミーティングであった。
もう7月、日が長くなった。
午後7時の飛行機に乗ってしばらく、そろそろ8時に近く
夕日がとっても綺麗であった。

 

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    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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