2004年12月05日(日曜日)
1071.俺って、中国人?
昨日は部長会議。
中国上海から飛行機で帰ってきたその足で、午後からの会議に出る。
空港からの直行は思ったよりきつかった。
飛行機の中ではちゃんとリラックスしていたつもりだが、
やはりそれなりの緊張感があったのだろう。
飛行機を降りて、
空いているイミグレーションを通過して、
税関をパスして、到着ロビーに出たとたん、
いっぺんに緊張感が抜けたか、
どっと疲れが足からきて、その場に座りたくなってしまった。
こんなことは初めてだ。
“移動”は、それが新幹線であろうと飛行機であろうと
自分で運転する自動車での移動でなければ、
ただ単なる休養でしかないと豪語してきたが、やはり少しは疲れるのかもしれない。
それでも、頑張って会社まで行く。
今度は会社の駐車上から事務所までのほんの10mが、
またがくんと下半身に来た。
この日の私はホントにおかしかった。
部長連中が待っている会議室に入り
ニコッと笑って「ただいま」と言ったつもりが、
「あ~しんど」という言葉になってしまう。
「目が真っ赤っかですよ。
それに目の周りにクマが出来ていて・・・、ものすごく、くたびれてますね。」
と誰かが言った。
くたびれた一番の原因は、
またもや上海空港のイミグレーションであった。
上海空港でのチェックインは、あっけないほど簡単であったが、
ロビーにあふれる団体さんの姿を見た悪い予感どおり、
恐怖のイミグレーションは、
またもや人の群れで溢れ返っていた。
目測では30分から40分か、あるいはやはり1時間はかかるか。
飛行機の出発時刻は午前9時ちょうど。
イミグレーションの列に並んだのが7時50分。
1時間かかってしまうと、ちょっとやばいが、
こんな時は搭乗に間に合わない人が大量に出るので、必ず飛行機は待っている。
それほど心配はない。
それに、イミグレーションに並んでいる列は意外と細い。
(団体さんの場合、横にふくらんで並んでおしゃべりしているので、列が太くなり、
列の“長さより”もかなり時間がかかる。)
しかし、前に並んでいるケバイ若いアベックがわざとらしくベタベタとして、
そちらの方がうっとしい。
それでも、かなりの時間がかかりながら列が進み、
4分の3ほど進んだ所で、
いつものように、
「前に入れてくれませんか」と中国人が来た。
(中国語は分らないがそう言っている事は分る)
30歳前後の男性。
心の中で
「また来たか。冗談じゃない、絶対に入れるもんか」と思った。
その男性は、
自分が持っているチケットを見せて、
「搭乗までもう時間がないのです。」と示す。見ると「出発8時20分」となっている。
時計は、8時15分を指していた。
私は、「I don’t know」と言って、手を横に広げて見せた。
メガネを架けたその男性は、一瞬悲しそうな目で私の目を見て、
「I’m sorry」と言って、私の前から去っていった。
私はビックリした。
列の前に入れてくれと言ってくるいつもの中国人なら、
私が断ると、必ず怒った表情で何かなじる様な捨てぜりふを言うのだが、
その男性は、「I’m sorry」と私に謝っていった。
・・・・・
本当に困っていたのだろう。
それでも私に断られて、きちんと謝っていった。
「入れてあげれば良かった・・」
その男性が去って、しばらくしてから周りを見渡したが、
もう見えるところにはいなかった。
断られて、私をなじるのであるならば、
きっと、ずるく列の前に割り込もうとしたのを断ったと言うことで何とも感じないが、
ずるい人が、断られてなお「I’m sorry」とは言わない。
彼は本当に困っていたのだろう。
出発時間5分前のチケットを持っていたことで、
それは解かったはずだった。
ちょっとだけ譲ってあげれば、どんなにあの男性は助かっただろう。
私は、自分勝手なあの中国人になってしまったのだろうか。
いや中国人ならば、ではないだろう。
例えば、
任さんだったらどうだっただろう。
陶さんだったら、頼さんだったら、李さんだったら、紗さんだったら、あるいは・・・
どうだっただろう。
私が信頼しているあの中国の人たちだったら、
きっと入れてあげたに違いない。
私は、あの時、人を信じない、身勝手な、
割り込みばかりする乱暴な運転手のような、
そんな風な一方の中国の人のようになってしまったのか。
中国人だって、日本人だって、色々な人がいて、
持っている価値観の幅も広い。
だけど中国はあまりにも人が多くて、それはそれは多くて、
身勝手な人の数も相対的に多くいて、それが目立ってしまうのだろう。
そんな中にいて、
変な意味で突っ張ってしまった私は、「目には目を」になっていたのだろう。
人は疲れるとやさしくなくなる。
私は今、一体どうなっているのだろう。
一瞬私の目を見た彼の悲しそうな目が、私の目に焼きついている。
「I’m sorry」の声が、耳にまとわりついている。
今日は全体会議。
全国から28人の仲間が集まって、今年最後の会議を行う。
昨日の疲れも取れて、(私は一日で元気になれる。)
元気満々であった。
何より、全国の信頼すべき仲間たちの顔を一度に見れば、
元気になれないわけがない。
会議の途中の昼飯は、外に食べに出た。
いつもの会議場、刈谷産業会館が全館禁煙になってしまったので、
昼飯あとの一番うまいタバコが座って吸えず、
それなら外に食べに行こうとなったわけだ。
行ったのは5人、ちょっと離れたイタリアンレストラン。
時間があまりなかったので5人とも同じメニューのランチを注文した。
10分ほど待ったら、3人分出てきて、
あと2人分がなかなか出てこない。
「あと、2人分がまだ来ないよ。」と池本部長が催促する。
出てきたスパゲッティのランチは大変うまかった。
また来たいと本気で思った。
しかし、私を含めて先に食べだした3人がすっかり食べ終わっても
まだ2人分が出てこない。
「残りの2人部は約お願いします。」と、
もう一度催促した。
催促されたウェイトレスは、カウンターに行って、
同僚と笑って何かを話している。
感じが悪い。
待たされている増田君と青木君が気の毒であった。
出てきても、大急ぎで掻きこまなければならない。
先に出た3人前の器を下げに来たウェイトレスさんに
「2人分忘れたんでしょ。」と言うと、
「今、ちゃんと作っています。」と答える。
カチンと来た。
「最初に10分で出たのが、同じメニューなのに残りのが何で30分も出ないの、
今作っているはないでしょ。忘れたに決まってるじゃないか。ばか!」
少し?声が大きくなる。
このレストランのウェイトレスさんはみんなモデルさんかと思うほどきれいであった。
しかも、その時忙しそうに働いている。
そんなことがあって、しばらくやっと残りの2人前が出た。
「お待たせしました。」とだけ言って、置いて行った。
お詫びの言葉もないことに、またムカッと来る。
増田君と青木君は、それでも一生懸命食べて、何とか時間に間に合った。
すぐにレジに行って、支払いをする時、
少し文句を言った。
そうしたら、レジに並んだ後ろの人が、
「急いでいるんですけど!」と言って、振り返った私をオバサンが睨んでいた。
あっそうか、私は悪者になっているんだ。
混んでいる店でみんな待っているのに、
私は「早くしろと」文句を言って、
挙句の果てには「バカ」と、
きれいなオネェサンをなじったデブの無礼なオッサンなのだ。
一瞬にして悪者になっている自分を悟った私は、
「急いでいるんですけど」言って、
レジのオネエサンをかばった正義のオバサンを、
私は無視した。
駐車場に出て車に乗った私は、
車を車列から出して、通路に出たとき、
さっきのオバサンが、わたしの車の前にいて私を睨んでいた。
一瞬だけ、ホンの一瞬だけだが、
私はアクセルをちょっと踏み込んだ。
驚いて逃げると思ったが、オバサンは「轢けるものなら轢いてみろ」と身を乗り出す。
そのオバサンと一緒にいたご亭主が、オバサンの身を制し、
車はかなりの距離を持ってオバサンを避けた。
一緒に昼飯に出た5人は、みんな気まずくて黙っているしかなかった。
あのレストランの中では私は、悪役であった。
あのレストランの接客は、商売をやっている者からして最低であった。
苦情を言われたので、余計に後回しにしたのであろうあのシェフも、最低であった。
しかし、ビジュアルとして私は悪役であったので、
だから、あのレストランの人たちは被害者であったのだ。
被害者であるから、悪役にまともな接客などする必要はなく、
謝る必要など当然なく、
後回しにされるのも当然であったのだ。あの人たちは被害者であるのだか。
端から見れば、間違いなくそうであったろう。
だから、あの正義の味方に違いないオバサンが出現したのだろう。
でも、それが日本的な現象ならば、
私はあからさまに何でも言う中国のほうが良いと思った。
しかし、私を睨むオバサンの姿を見た時、
一瞬、ホンの一瞬だけでも、アクセルを踏んだ私は、何だったんだろう。
私の頭には、中国の悪い部分が、沁みこんで来たのだろうか。
あるいは中国の良い部分も沁み込んでいるのだろうか。
少し、混乱している。
一緒に行った4人には悪いことをしたが、
昼飯が終わって、午後からの会議場に入ったその時には、
こんなことはすっかり忘れる。
充実した時間があって、そんなことを思い出す余裕なんてまったくなかったのだ。
晩飯を食べて、ボォーっとしていると不意に思い出して、書き始めただけである。
しかし、少し私は混乱していることは事実である。
また、中国に行きたくなっちゃった。
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