谷 好通コラム

2005年01月18日(火曜日)

1102.洗車長屋ノ快洗隊

昨日・17日に南昌(ナンチャン)に飛んだ。

 

朝8時10分の朝一番、上海からの飛行機に、
頼さん新婚夫婦と乗る予定で
午前7時20分に虹橋空港(上海市内の国内線空港)に行ったが、
南昌空港に霧が出ているということで、
延々と午後1時45分まで待たされた。
中国の空港はレーダーなどの設備が遅れているので、霧に弱い。
去年の大連空港で丸1日待たされたことを思い出した。

 

しかし今回は、待ち時間を空港近くのホテルに案内され、
レストランで昼ごはんも出た。
「ご飯が出る」と聞いた時、すごくうれしく思ったのは、
私の中国人化の始まりかもしれない。

 

南昌空港に着いたのは午後3時近く、空港の霧はほとんど消えていた。
現場には、午後4時近くに着いた。

 

“南昌”に中国で2番目の快洗隊がオープンする。
今度は頼さんが経営する店。
頼さんの上海の店で働いていた「黄さん」の故郷が南昌で、
黄さんが南昌に帰らなくてはいけなくなって、
それを機会に、南昌市に「快洗隊・南昌店」を作ることになったのだ。

 

上海から飛行機で南西に約1時間、江西省の省都である。
いわゆる田舎の都市であるが、
南昌市の人口は300万人で人間だけはやたらと多い。

 

快洗隊・南昌店は、
南昌市の中心に近い高層アパート(8階建てだがエレベーターなし)の
1階の店舗部分を5コマ借りて、洗車屋に改造したもの。

 

※11月に物件を見に南昌に来た時の写真。

 

 

※今回来たら、ちゃんと快洗隊になっていた。
ドキッとするほどかっこいい。

 

 

ここの周辺は、まるで洗車屋長屋。
同じようにアパートの1階部分を改造した洗車が十軒近く並んでいる。
それぞれのカラーで、色とりどりである。
洗車だけでなく、オイル交換をしたり、タイヤを打ったり、修理をしたり、
洗車を切り口にしたカーメンテナンスショップの有り方は、
今後の快洗隊が目指している姿と似ていて面白い。

 

 

この洗車長屋の中に、日本の快洗隊と同じカラーの店が出来たのは、
うれしいような、何かこそばゆいような、大丈夫だろうかとか、
複雑な思いがする。

 

今日、18日にオープンであった。
中国では“8”が最も縁起のいい数字なのだ。
頼さんも自分の結婚式の翌々日にもかかわらず、オープンをこの日にしたのは、
縁起を担ぐのと同時に、
2月9日の旧正月前の洗車繁忙期に間に合わせたかったため。

 

中国では、西暦での1月1日の正月はただのカレンダーが変わる日であって、
めでたいのはあくまでも旧暦でのお正月、
今年ならばそれが2月9日である。
旧正月の前は、日本の洗車の年末ラッシュと全く同じで、
洗車屋さんの一年の中でも最も稼ぎ時なのだそうだ。

 

今月10日から、
アイ・タック技研の石川誠と、沙が通訳を兼ねて、
南昌のこの店に研修に入っている。
当初、雪が降ったり、長い停電があったりで大変苦労したらしいが、
なんとか、何人かの技術合格者を出して、
開店に漕ぎつけた。

 

それにしても今回は、あらゆる意味において時間が無さ過ぎた。
スタッフの訓練も決して十分ではなかったし、
設備的にも不備が目立つ。

 

建築屋さんのレベルも、上海に比べてもかなりの差が有るようだ。
木目の床タイルもあちらこちらでブカブカしているし、
ガラスサッシの取り付けなど、どう見ても素人仕事。
「よくこんなんで金を取るわ」と思わずつぶやいてしまうほどだ。

 

それでも、この辺ではどこもこんなレベルの工事であって、
どの店もこんな感じのようだ。
田舎だと言ってしまえばそれだけなのだが、
結婚式を挙げて早々に南昌に駆けつけた頼さんは、さすがにがっくりして、
見ていても気の毒であった。

 

ただでさえ時間がないところに、
昨日、飛行機が大幅に遅れてとことん時間がなくなって、まさに“泣きっ面に蜂”だ。
それでも、頼さん、あたらこちらに指示を出しまくって、
スタッフに大声で檄を飛ばし、カッカしながらも、
17日の夜ほとんど寝ずに、
何とか次の朝までに、オープンにこぎつけてしまった。
大変でした。

 

この店最後までエアコンが入って来ず、
夜の温度はマイナスになったはずだ。
その中で、新婚の夫婦が何とか頑張っている姿は想像しただけで
その大変さ、一生懸命さが目に浮かぶ。
(私たちは先にホテルに帰っている。申し訳ない。)

 

私は、この店の持つ意味をキチンと説明したり、
いくつかの改善点とアイデアをいくつか挙げる。
石川君も、
このあとやらなければならない事を、項目に分けてメモにし、渡していた。
研修の姿勢について紗に色々話をしたり、
この店について何も出来ないながらも、それなりに仕事をしたつもりだ。

 

いよいよオープン。

 

オープニングセレモニーは、まず記念写真から。

 

 

セレモニーの出席者はこれで全員。
何の人脈も無い南昌において、
頼さんたちのスタッフは、快洗隊仕込みの洗車技術だけで勝負をしていくのだ。

 

がんばれ!
快洗隊・南昌店スタッフのみんな!

 

 

そして、中国でなくてはならぬ“爆竹!”
耳をつんざくばかりの爆音が明日の南昌店を励ますように、
延々と5分ほども続いた。

 

 

それから、私が挨拶をさせてもらって、
頼さんの挨拶。というより“檄”がスタッフに飛ぶ。

 

 

一通りのセレモニーが終わって、
すぐにお客様が洗車に訪れ始める。
この洗車長屋において、見た目にも異色の快洗隊・南昌店は、
キレイ好きのドライバーの興味を早くも引いていたようだ。
ひっきりなしに洗車客が訪れて、スタッフは南昌の車を洗い続けていた。

 

 

この大きなアパートの列の一番向こうの方、見えなくなるぐらいまで洗車屋さんです。
中国の洗車屋の文字通りど真ん中で快洗隊が動き始めました。
ちょっとドキドキです。

 

一ヵ月後に、また、必ず来ることを約束して、
後ろ髪を引かれながら、上海に戻ることにした。

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2005年01月18日(火曜日)

1101.観光客として豫園

16日の日曜日は観光の一日とした
今回の出張、息子の北斗が一緒に来ることになっていて、
一日ぐらい観光の日があってもいいかなと思って、そんな日程を組んだ。
しかし残念ながら、北斗は予定の日直前に風邪を引きドタキャンになってしまった>
ものすごく楽しみにしていたのだが、風邪では仕方ない。残念。
しかしいまさら、この日に仕事の予定を入れることも
相手に迷惑をかけるので、
そのまま観光の日にしてしまったわけだ。

 

考えてみれば、
私は、大好きなBANDOを何度か見に行った程度で、
上海では観光らしいことをしたことがない。

 

去年六月の2班での社員旅行でも、みんなと一緒に食事をしただけで、
観光にはまったく行っていない。
だから、ほとんどの社員が上海タワーに昇り、人民広場に行き、
豫園などを観光しているが、
私はそのどこも知らない。

 

逆にそれを自慢にするという屈折したものは精神的に良くないので、
今回の機会でぜひ“観光”をしようと思った。

 

行ったのは、「豫園」。
案内は上海の廣瀬君。

 

豫園は、宿泊の百楽門ホテルから近かった。
私の認識では、豫園は上海の郊外にあるものと思い込んでいたが
BANDOのすぐ近くで、
あまりの近さに驚いたぐらいだ。

 

豫園は想像していたものとは全く違うものであった。
もっともっとしょぼいものと思っていたのだ。
さすがに豫園は上海の観光地を代表するもので大迫力。
いつも、ものすごい人出で、歩くのもままならない大混雑であるそうだが、
この日は日曜日にもかかわらず普段の半分以下の人出だと、廣瀬君が言っていた。

 

それでも、この混みようだ。すごい。

 

 

通路の両側、中国風の立派な建物はすべておみやげ物屋さんとかレストラン。
よっぽど儲かるのだろう、圧倒的な存在感である。

 

観光はお土産を買わなくてはならない。
私は屋台のおみやげ屋さんで「ミニ連凧」を買った。

 

屋台のお姉さんは、1個120元だと言う、
それでも電卓を出してきて、それを0.8掛けで96元でいいと言うが、
中国の値引きはそんなものではない。
私が、0.3掛けの36元だというと、
「お話にならない」というような顔をする。
それでも・・・なんだかんだと1分位駆け引きして、結局、2個で100元で収まった。
それでも0.4掛けとちょっとになったわけだ。

 

私は駆け引きが下手なのでそんなものだが、
私の知っているある女性は、ホテルの売店で実に上手に駆け引きをして、
0.2掛け以下にまで値切ったところを見ている。
中国ではいちいち値切って買わなくてはならないのが大変面倒だ。
私は値切るのは苦手だし好きではない。
(その割には、よく値切る !(^^)!)

 

屋台でミニ連凧を売っていたお姉さん。

 

 

それにしても、門前のおみやげ物屋さんなどの建物は、
それ自体が立派な観光施設であり、歴史的な建物と見まがうばかりの威容だ。
中国人のすさまじいばかりと商魂とエネルギーをひしひしと感じる。
こんな建物が、多分500メートル四方ぐらいに広がっている。
大規模観光施設だ。

 

昔の中国建築様式の建物に、見慣れたロゴマークがあった。
「スターバックス」「マクドナルド」「MOSバーカー」「KFCケンタッキーフライドチキン」
ファストフードの名だたるFCがかなりある。
中国人はフランチャイズ好きでもあるのだ。

 

 

あらゆる民芸品のみやげ物屋、中華料理レストラン、食材屋さん、
貴金属細工、宝石屋、仏具、おもちゃ屋、骨董品、漢方薬、
そして駄菓子屋、
私たちは、この駄菓子屋さんでかなりの駄菓子を買った。
どれも甘い菓子で、カロリーたっぷりである。

 

 

しかし、この中でも人気があったのは、
「南翔饅頭店」
饅頭といっても、あんこの入っている饅頭ではない。
ショウロンポウが有名な店で、
特に“蟹肉入りショウロンポウ”が一番うまいという。
中国に長く住んでいる廣瀬君も、
「絶対、ここのショウロンポウが一番うまいです。」と太鼓判を押していた。

 

 

店に入って食べるのには、延々たる行列に並んで1時間~2時間
お土産としてテイクアウトしても、やっぱり1時間ぐらいは並ばなくてはならない。
とにかく大行列をしなければ買えないのだ。
中国の人は行列が平気なようだ。
これでも、いつもの半分の人手であり、行列も半分程度だという。
※ここに写っている人たちほとんど全部、ずっと向こうの方まで行列です。

 

 

昔、長島茂男監督が、この南翔饅頭店のショウロンポウの話しを聞いて
この行列に並んだ事があったという。
30分ぐらい経っても、ほとんど列が動かず
「こりゃだめですね。あきらめましょう」と、あの声で言って
残念そうにこのショウロンポウを諦めたそうだ。

 

そんなことを聞けば、
ますます南翔饅頭店のショウロンポウとはどんなにうまいのだろうと、
想像がたくましくなってしまう。

 

と、廣瀬君が言う。
「ここは本店で、別に支店があるんですよ。
何故か、みんな意外と知らなくて、この本店よりかなり空いています。
そちらで食べた方がよっぽど早いですよ。
味は、間違いなく一緒です。
僕は両方のショウロンポウを食べていますから、絶対、間違いありません。
うまいですよ~~~っ。」

 

これで決定、
すぐに豫園の庭園をじっくりと見物して、
その後は、廣瀬君の言う「南翔饅頭店の支店」とやらに直行することになった。

 

豫園の庭園は、
中国式の庭園で、想像していたより遥かにきちんとしていて、
なかなかのものであった。

 

 

南翔饅頭店の支店は、豫園からタクシーで15分ほどのところにあった。
普通の街角に、普通の饅頭店として、普通に営業をしている。
一見何の変哲もない中華饅頭屋である。
廣瀬君が店を覗き込んで、
「ラッキーですよ。すぐに座れます。」と嬉しそう。

 

早速、中に座って、ショウロンポウを注文。
もちろん一番うまいという「蟹肉入りショウロンポウ」である。

 

しばらくしてやってきたショウロンポウ。
一つのセイロに小ぶりな「蟹入りショウロンポウ」が八つ。

 

そこで正しいショウロンポウの食べ方。

 

まず、レンゲの上にショウロンポウを一つ乗せる。
そして、レンゲの上のショウロンポウの横腹の皮の薄いところを箸で破る。
そうすると、肉汁が出てきてレンゲに溜まる。
その肉汁をそっとすする。
この肉汁がうまい!

 

 

この行為は、肉汁を別に楽しむという意味と同時に、
この肉汁を出さずにショウロンポウを口の中に入れると、
肉汁がいっぺんに口の中に出て、
口の中を“やけど”してしまうのだ。

 

肉汁の濃厚な美味さをじっくりと楽しんだ後、
おもむろにショウロンポウ本体を口の中に放り込んで、食べ始める。
幸せな時間だ。
蟹の味と香りが肉の旨みと相まって、ほんとにおいしい。
この幸せは、先月、上海蟹を食べた以来である。

 

豫園はショウロンポウの味として、私の頭にインプットされてしまった。

 

ところで、
前回の社員旅行では、
豫園に来た時は、誰も買い物を楽しむ間もなく、
通路を通って、中のレストランに直行し、食事をしただけで、バスの戻ったそうだ。
時間がなかったのか、
しかし、バスには決まった予定を時間通りにこなすようには言ってなかったはず。
一つ一つの場所をしっかりと見せてやって欲しいと言ってあった。
急ぐことは何も無かったはずなのだが、
少なくとも豫園においては、
豫園という庭園を見ることもなく、
どちらが主役なのかわからないほどのおみやげ屋さんを楽しむわけでもなく、
世界一のショウロンポウに挑戦するわけでもなく、
ただ単に当たり前の昼ごはんを食べただけで帰ってきてしまったという。

 

たぶんバスを使ったせいだ。

 

観光バスは、旅客運賃としての料金は安くても、
提携のレストランで飯を食わせることによって、ピンハネをし、
何よりも、団体観光客専用のみやげもの屋に連れて行って大きくピンハネをする。
それで利益を上げているのだが、
私たちは、あのペテン土産物屋には絶対に連れて行くなと注文を着け、
自分たちのスケジュールで、バスを依頼した。

 

それで、こちらの注文を出来るだけ短時間に済ませるだけ済ませて、
強引にペテン土産物屋に連れて行ったようなのだ。
豫園だって、昼飯の予定だけ済ませれば後は全部省略して、次へという具合だ。
だから、誰からも何の感想も出なかったわけだ。
それで時間を無理やり作って、ご指定の土産屋さんへ直行という具合だったらしい。

 

だんだんその実態がわかってきて、
また腹が立ってきた。
これは日本の旅行代理店の自立性の無さにも起因している。
表面的な旅行代金を安くするために、
現地の観光会社を甘やかしてしまっているのだ。
いい加減に、団体の観光客を食い物にする悪習を辞めなければいけない。

 

そこに気がつかなかったことで、社員旅行のみんなにも、本当に悪いことをした。

 

そんなことを思いながら、
あ~あ、くたびれたと、ホテルの近くのマッサージ屋さんに行って
みんなで本物のマッサージさんに全身をほぐしてもらい、
上海で初の観光客としての一日が終わったのでした。

 

上海の早いうちの夜景
いつもの百楽門(バイラーモン)ホテルの、いつもの部屋から。

 

 

これは、16日から17日にかけて書いたものです。
17日はもう“南昌”に来ていて、
南昌の結構いいホテルに泊まったのですが、
インターネットがどうしても繋がらないので、明日の夜上海に帰ってから
コラムに上げます。

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