2005年11月08日(火曜日)
1281.人の吸う煙草は・
昨日、1000軒を越すチェーン店を持つある外食産業の本部に行ってきた。
直接ビジネスにつながる話があったわけではないが、
このチェーン店は、
店舗の在り方、接客のあり方、商品の品質のあり方など、
大変共感する部分が多かったので、気になっていたのだ。
とりあえず、本部の人と会ってみたいと思って、
紹介してもらって行ったものだ。
応対していただいたのは、
若い課長さんであった。
いかにもご自分の会社に誇りを持ち、
この会社と店が好きで好きでしょうがないという感じ、
この方とお話をして、
商売というものは、
当たり前のことを当たり前のように、
きっちりと実現していくことなのだと改めて思った。
組織を作っていく方法も私たちの会社と似たところがあるが、
そのスケールは二桁も違う。
私たちの会社と、
大きなチェーン店を持っているこの会社とでは、
物事を実現する精度とスピードがまるで違うのかもしれない。
そういうことかもしれない。
あるいはそれだけのことかもしれない。
色々考えさせられた出来事であった。
ところで、
私は今、東京行きの新幹線に乗っている。
午後からの研修に出席に話をさせていただくためだ。
今回の研修は3日連続の研修となる。
新幹線に乗る時、
以前は、なるべく「禁煙車」に乗る事にしていた。
タバコは吸いたいが、人が吸ったタバコは煙たい。
だから禁煙車に乗る。
そして、タバコを吸いたくなったら喫煙車に行って、一本吸って、
禁煙車の自分のシートに戻ってくるというわけだ。
実に自分勝手なやりかたである。
でも、最近は「喫煙車」に乗っている。今もそうだ。
ちょっと前に聞いた話で、
もうすぐ、新幹線から「喫煙車」が無くなるという。
つまり、新幹線の列車の中ではタバコを吸う場所が無くなってしまうらしいのだ。
飛行機と同じだ。
だから思った、
「喫煙車が無くなってしまうまで思いっきりタバコを吸っておかなければ。
いずれは、新幹線でタバコを吸えた時代があったことを
懐かしいと思うようになるかもしれない。」
飛行機でタバコが吸えなくなってから、
もう10年ぐらい経つのだろうか。
若い人には信じられないかもしれないが、
かつての飛行機では、後部のかなりの数の座席が“喫煙”席になっていて、
機体後部の方に行くと、タバコの煙が充満していたのだ。
その頃までは、
飛行機でタバコが吸えるのは、世界の常識であり、
当たり前のことであった。
今でも飛行機の席の上のほうに、
「NO SMOKING」のインジケーターランプが付いているのは、
その頃の名残である。
昔は、飛行機の中ですら堂々とタバコが吸えた。
もっと信じられない話では、
20年くらい前までは、
世の中でタバコを吸ってはいけない場所自体が無かったことだ。
街でタバコを吸ってはいけないところはなかった。
レストランでも、本屋の中でも、風呂屋でも、床屋でも、美容院でも、
何と病院でも、スーパーマーケットでも、デパートでも、野球場でも、
何処でも必ず灰皿がおいてあった。
在来線の満員電車の中でも禁煙ではなかった。
新幹線に“禁煙車”が出来た時にはびっくりしたものだ。
家の中でも、
タバコを吸ったら女房が怒るなんて家は何処にもなかった。
子供は、お父さんの吸うタバコの匂いが
お父さんの匂いだと思っていたし、
ケムイなんて思ったこともなかった。
そんなことを思い出しているのは、
今、せっかく喫煙車両に乗っているのに、
タバコが空っぽである事に気が付いて、
車内ワゴン販売が来たら、タバコを買おうと思っていたのに、
車内販売からタバコの販売が廃止されたと言われたのだ。
つまり、
私は、今、喫煙者に座っているのに、
自分が吸うタバコがない!
人が吸ったタバコの煙を、ガマンしているだけなのだ。
くっそ~~頭に来る。
イライラする。
こんなくだらないことを書いていたら、
うっかり「富士」の駅通過時に寝てしまった。
前日ちょっと遅く、今朝早く起きたので、睡眠時間が短かったのだ。
小田原駅手前で目が醒めて、あわてて後ろを見たら、
富士山がかろうじて見えた。
いずれにしても、新幹線から見た久しぶりの富士山である。
今日はきっといいことがあるに違いない。
朝早起きしたのは、
朝、快洗隊鳴海店に、アメリカから日本発上陸の機械が搬入されて、
2ヶ月ぶりにアメリカから来ているトニーが通訳に入って、
アメリカのメーカーから派遣された「ラリー」と、
先日一緒にアメリカに行った機械のスペシャリスト日本の「内田」さんが、協力して
機械の組み立てを始めたのだ。
朝一番でそれに立ち会ってきたので、朝早起きになった。
この機械は、
日本の機械とはまったく違うタイプであり、
日本の洗車を変えてしまうかもしれないだけの意味があるものだと思っている。
詳しくは、出来上がってからまとめてレポートする。
荷降ろしと、組み立てには、
アイ・タックの開発部3名が、お手伝いとして参加している。
今はお手伝いであっても、そのうちには、
きっと内田さんを助ける組み立ての主力メンバーになってくれるはずである。
アメリカ、アイオワ州ディモインからやってきてくれた「ラリー」と、
ロス アンジェルスからの「トニー」。
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