谷 好通コラム

2006年02月23日(木曜日)

1350.歩きにくい人たち

今、上海に向かう飛行機の中。
今回はトニーと一緒である。
乗っているのは、いつもの中国東方航空。
(シーズンオフなのか、航空チケットが往復5万円とずいぶん安かった。)

 

上海浦東空港に午前10時過ぎ(現地時間)に到着してから、
上海郊外に移動して、午後から大きなドライブショップに行き、
キーパーのデモンストレーションをやるのだが、
一つ心配がある。
足の調子が悪いのだ。
それも弱い方の左足の膝の関節が腫れているような感じで、
そんなに痛くはないのだが、全体に圧迫感があり、動きが鈍い。

 

多分、先週の土曜日の富士スピードウェーで、
レースカーによるスポーツ走行をしたことに原因があるのだろう。
ただでさえ運動不足の硬い体に、
ストレッチなどの準備運動も何もせず、
いきなりレースカーに乗って、全力で走ったのは不注意であった。

 

その日は何ともなかったのだが、
翌日の広島から福岡・熊本への日帰り出張で少し歩いたのが引き金になったのか、
中部空港に帰ってからの途中で足の異変に気が付いた。
あれから3日、状態は変わらない。
相変わらず大して痛くはないが、腫れた違和感があって非常に歩きにくい。
大したことはないと思うのだが。

 

私は4歳のころに脊髄性小児麻痺にかかって、左足が弱い。
本当はもっと重症になっていてもおかしくなかったらしいのだが、
お袋が大変苦労して、毎日、病院に連れて行ってくれて、リハビリもうまく行き、
膝から下の筋肉が少ないだけの軽い後遺症で収まった。
小児麻痺の後遺症としては、かなり少ない方であり、
本人も全く苦にしていない。
歩く時少しビッコを引くが、普段はほとんどそれだけである。

 

それでも長く歩くのは苦手だし、立っているのはもっと苦手で、
身障手帳には「1000m歩行可能」と書いてある。

 

体重が90kgをオーバーしていて、
足が弱いからと言って、体重が普通だったら今よりうんと楽なはずである。
だから、それは100%本人の責任であるので、
同情することも、哀れんだりすることも決して必要ない。
しかし、歩くことが苦手であることは事実であって、
人が普通に歩くよりもかなりゆっくりとしたペースで歩くのだけは勘弁してもらっている。

 

分類で言えば、私は「歩きにくい人」である。
私は「体が不自由」なのではなく、ちょっとだけ「不便」なだけなのだ。

 

そこで思うこと。
昨今、さかんにバリアフリーが叫ばれ
体が不自由な人たちのための街づくりが着実に進んでいるが、
足が少し弱い人には、
新しい建物が出来るたびに、だんだんツライ街になりつつあることも事実だ。

 

一言で言えば、
街が新しくなればなるほど、
何もかもが広くなって、たくさん歩かなくてはならない街になっていくこと。
新しい街になればなるほど、
“ゆとりの空間”なるものが重視されて、
どこに行っても、とにかく、たくさん距離を歩かなくてはならなくなった。

 

車椅子が登れるようなスロープを造ったり、
駅にエレベーター・エスカレーターが設備されることはいいことだと思う。
私も荷物が多い時、疲れた時には
多少時間がかかってもエレベーターに乗ることもある。
全国のお年寄りが助かっているに違いない。
(若い者が“楽するために”エレベーターに乗るのは、ちょっといただけないが、)

 

点字ブロックも、ボストンバックを転がしながら歩いている時などは
邪魔になることもあるが、
目が不自由な人にとってどうしても必要な物なら、仕方がないと思う。
身障者用のトイレも、身障者、お年寄りだけでなく、
子供連れのお母さんも重宝しているのだそうだ。

 

しかし、歩きにくい人にとっては、
たくさん歩かなくてはならない街になっていくことが、大変苦痛なのである。

 

たとえば空港。
小牧の名古屋空港から、常滑沖の中部国際空港に変わって、
駐車場から飛行機に乗り込むまでの歩く距離が2~3倍になったような気がする。
とにかく空港といえば、以前の空港から新しい空港になると、
“余裕の空間”が素晴らしく多く取ってあって、
歩きにくい人にとっては、大変ツライ空港になる。

 

空港だけではなく、駅とか、スポーツ施設、商業施設など、
新しい街づくりに関わるものは、いずれも、必ず“余裕の空間”が取ってあって、
その広々とした空間を、元気な人たちが闊歩する。
しかし歩きにくい人たちにとっては、ツライ空間となる。

 

それにしても、
椅子はもっともっと置くべきである。
いずれの施設にしろ広い空間はいいとしても、
あまりにも座って休憩する椅子が少なすぎる。

 

そのただでさえ少ない椅子に座っている健康人が、
カバンを横の椅子に乗せて2つの椅子を占領しているのには本当に腹が立つ。
「座りたいので荷物をどけてもらっていいですか?」と言って、
「ああ、すいません、気が付きませんでした。ゴメンナサイ。」
なんて言う人はまずいない。
ブスッと黙って、仕方なく荷物をどける程度で、中にはこっちを睨む人までいる。
とにかく絶対的な椅子の数をもっともっと増やすべきだと思うのだ。

 

“歩けない人”よりも、“歩きにくい人”の方が圧倒的に多い事を忘れるべきではない。
歩けるけれど、歩くのが少しツライ人の方が圧倒的に多い。
何かの都合で車椅子生活になってしまった人はお気の毒であり、
社会が助けていかなければならないのは間違いのないことだが、
そのために投じている社会資本は莫大なもので、
「歩きにくい人」のために、
椅子をもっと多く置くぐらいのお金は、それよりも桁違いに小さい物ではないか。

 

椅子を置くと、空間の美観を損ねると言うなら、
その空間を、座る椅子もないので、
苦痛にゆがんだ表情をして、
無理して歩いている「歩きにくい人」の存在が美しいというのか。

 

椅子が多いと溜まり場になったり、
ホームレスがたむろするようになってしまうと恐れることない。
椅子があっても彼らは床に座り込んで溜まり場とするし、たむろしている。
彼らが占領してしまうような数よりも
圧倒的に多い数の椅子を置けば良いだけではないか。

 

街中椅子だらけの景観は、人間にとって優しい景観だと思うのだけど、
間違っているだろうか。

 

足がいつもより不安な時に、
ついそんな風に思ってしまった「ちょっと歩きにくいのデブ」の独り言です。

 

余談ですが、ドライブスルー洗車は、
実は、足の不自由な人にも大変好評なのです。

 

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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