2006年06月28日(水曜日)
1425.霧の金門橋と坂道
朝起きて、食事をしている間に霧がすっかり晴れ上がったので、
大喜びで街に出た。
トニーは、「ゴールデンゲートブリッジ、金門橋をぜひ海から見ておくべきだ」という。
ただ、街からは霧がすっかり晴れ上がっても、
金門橋あたりは晴れているかどうか解らないという。
サンフランシスコは、とにかく霧がつきまとうのだそうだ。
観光船に乗った。
サンフランシスコ湾内を一周一時間の見物だ。
観光船が止まっていた埠頭に、変な船が止めてあった。
旧式の潜水艦だ。
第2次世界大戦当事に使われていたものだろう。
何でこんな物があるのか?
しかも、まだ動かしているらしい。
アメリカとは全くよく解らない国である。
観光船で防波堤を出たらすぐに金門橋は見えるはずであったが、
やはり湾の出入り口は海流の動きが激しく、霧が出やすいのか、
橋の周辺だけが霧にすっぽりと被っていた。
それでも、近づくにつれて徐々に橋の姿がはっきりと見えてきて、
橋脚柱の上の方までは見えなかったが、
迫力たっぷりでじゅうぶんに圧倒される。
この橋は、100年以上前に15年かかって作られたものであるという。
そう思っただけで感動である。
橋をくぐったところでUターンして、
湾の真ん中にある刑務所島を見る。
今は観光客に解放されていて、平和な物である。
この写真の中にカモメとアザラシが写っているのですが、
絶対に見つかりません。
私も一部を極端に拡大してやっとわかりました。
(だったら載せるな!の声が聞こえます。)
トニーはこのサンフランシスコで奥さんと知り合い、結婚したのだそうです。
その奥さんがどうしても見せようとしてくれた「いろは坂」
坂ばかりのサンフランシスコで最も厳しい坂をジクザクの道にして、
その隙間に植木をいっぱい植えて、とてもきれいになっているので名物になっている。
実際に使われている道です。
※ミニクーパーが降りてきたところです。
半端な角度ではないサンフランシスコの坂では、
こんな恐ろしいような駐車の仕方が一般的だそうです。
よくひっくり返らないものですね。
見ているだけで恐ろしくなってきます。
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2006年06月28日(水曜日)
1424.サンフランシスコ
ヨセミテから、サンフランシスコに向けて出発したのは午後4時ごろ。
私とトニーが交代で、
延々と山道を降りて、フリーウェーをひた走って、
サンフランシスコの近くオークランドにまで着いたのが午後8時過ぎ。
外は相変わらず暑く、クーラーを入れて走っている。
サンフランシスコの町に到着したのは、
午後9時を回っていた。
サンフランシスコは丘の上が霧に覆われており、驚くほど寒かった。
いつものことだという。
サンフランは非常に特殊な地形になっていて、
半島状になったサンフランの沿岸で、
平均温度13゜Cという非常に冷たい寒流と、
暖流がぶつかり合っていて、
霧が発生しやすい環境であり、日常茶飯事のように霧が出るらしい。
そして、その寒流のせいで温度が極端に低いのだ。
ヨセミテから帰ってくる途中の牧場地帯は摂氏40゜Cを越すような厳しい暑さであったが、
それがサンフランシスコに入った途端、
冷たい霧と共に、温度も極端に下がって多分22゜Cぐらいしかなく、
ジャンバーを着なければならないほどであった。
加えて
サンフランシスコは、坂の町である。
街中、“激しい坂”が縦横にあって、
ケーブルカーが、たくさんの観光客を乗せて走っている。
今回泊まったホテルは、丘の一番上にあって、
寒い霧にうっすらと覆われひときわ寒かった。
晩御飯を食べに外に出たら、みんな長袖である。
ケーブルカーの上り口のレールの様子がよく解る。
次の朝6時に起きたら、外はすっかり霧で何も見えない。
何も見物できないか?
でも、朝少しPCをやってから朝食を取ってきたら、
すっかり霧が晴れて、はるかかなたまで見通しが利くようになっていた。
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