2006年08月13日(日曜日)
1450.仕事の分担と全体
会社の仕事は、その仕事の量と規模が大きくなっていくにつれ、
仕事を分化し、スタッフそれぞれが仕事を分担する事が必要になってくる。
いわゆる分業化である。
たとえば、私の場合、
20年前の会社創立当時から経理の仕事は、ほとんど自分でやって来た。
経理を担当する事務員さんが入ったのはやっと10年ほど前、
それでも肝心なことは自分でやって来た。
会社の規模が今の2分の1程度であった5年前ほど前に、やっと、
経理全般を経理専門担当に任せるようになったが、
資金繰りなどは全部私の頭の中にあって、
資金調達もすべて自分でやって来た。
私の頭の中に架空のレジカウンターのような物があって、
リアルタイムで、資金の動きが少なくとも半年後まで組み立っていたのである。
変な才能である。
だから、半年先までの資金調達の必要性を察知し、
余裕を持った調達を果たすことが出来て来た。
会社がまだ一軒のカソリンスタンドであった時、
資金繰りで大変苦労した時期があって、その時の苦労が、
「懲りた」経験となって、変な才能を目覚めさせたのかもしれない。
頭の中でのことなので、かなりアナログではあるが。
それが、会社の規模が大きくなって、また複雑にもなって、
会社の経理をすべて担当者に委ね、
資金調達の手配も担当役員と相談しながらやるようになってきて、
頭の中の資金繰りのレジカウンターがなくなったように、解らなくなってしまった。
もちろん提出された書類を見れば、一目瞭然に解るのだが、
半年先、一年先、あるときは2年先までのキャッシュフローが、
頭の中に自然にはじき出されることはもうない。
今は、きちんとした販売計画と、設備投資計画と、資金を策定し、
資金の調達計画をデジタルに立てている。
もちろん、その方が正確であり、
正しいことなのではあるが、ちょっとまどろっこしい。
資金計画が頭の中で自動的に計算されないと、
それが根拠となる設備投資計画が、頭の中で自由に変化しないし、
そうなると経営戦略も、
自由な発想の中で、自在に思いを巡らすという奔放さがなくなる。
会社の規模がある程度大きくなれば、身軽ではなくなるので、
奔放な経営を望む方が間違っている。
とはいうものの、型にはまった経営戦略を立てていては、
激しく変わる時代に勝って行くことは出来ない。
自分ではもうとても手に負えない量の仕事になっている経理の仕事、
分業して、見事に自分の仕事をこなしてくれている経理担当に感謝をしつつも、
その昔、自在の発想の元となっていた頭の中のレジカウンターが懐かしい。
この経理の話は一つの例えであって、
営業であったり、企画であったり、研修であったり、開発であったり、
すべてが分業化する中で、
一つ一つが見えにくくなってきていて、会社の全体像がくっきりと見えてこない。
全体がはっきりと見えず、局所的な状況を見ての判断からの戦略は、
多くの場合、どこかに無理がある戦略になりがちだ。
経営者たる者は、
一つ一つの分業のその現場に足を運び、
躊躇することなく、その中に参加するべきなのであろう。
分業化したことで、自分が楽ちんをせず、
一つ一つの中に入り込んで参加するべきなのであろう。
経営者たる者は、
決して事務所の中だけでものを考えるべきではない。
ましてや、パソコンの中だけで判断などするものではない。
たくさんのセクション全体を把握すべきであるし、
何はともあれ、現場に行くべきである。
そして、
経営者たる者は、
自分の会社だけでものを見、考えていてはいけない。
世の中全体を見て、あるいは外から会社を見て、客観的にならなければならないし、
特にお客様の側から自分を見、お客様の側から店と会社を見なければならない。
会社の内部ばかりを見ていると、
時代の流れを見失うどころか、
世間の心をまったく理解できない“井の中の蛙”になってしまう。
ましてや、机の上だけでものを考えたり、
パソコンの中で、物事を決めたりしては絶対にいけないのだ。
外へ出るべきである。
全体を見、現場の中に身を置き、外の世界に出て、世の中をつかむべきだ。
分業化は、進めば進むほど全体を見にくくする。
すべてのセクションの人たちが、
自分以外のセクションのことを我が事のように思い、
全体を思って、その中での自分のセクションの役目と、
すべき事を、
全体の中の一つの役割として見出さなければならない。
我、経営者として、
ますます外に行かねばという思いを強くした。
お盆の最中なので、
他の用件がまったく入る心配がない中、
中国とアメリカの合同のダイヤモンドキーパー研修に2日間フルに参加して、
実践の場の大切さを今更ながら実感し、
自分が現場から離れている事に対する危機感を、痛切に感じたのでした。
今回の研修一番の主役、開発の増田君。
身を惜しまぬ彼は、驚くほどの成長を見せてくれた。
※大連のコンさんと増田貴志。
※この話とは何の関係もなさそうだが、
レースは、たくさんの人たちが、それぞれ役割を持って、参加してくれ、
みんなの協力で成り立っている物なのです。
私たちのレースに欠かせない存在であるメカニックの人たち。
このレースでは、まず広島の山本所長と東名スポーツのメカさん
プロのメカニック・ば~やんこと小林君、快洗隊の結城君。後を向いている企画の国松君
私たちの?25キーパーインテグラのトップドライバー石川朗選手
毎回レースの写真を撮ってくれているカメラマン中村佳史プロ。
会社からの応援団
谷専務と池本常務
夫婦で応援
?見部長と奥さんの由美ちゃん
なんと4時間以上、ピットウォールに立ちっ放しで
タイムを計り、サインボードを出し続けてくれた山口からの大崎君と東京の富澤君。
今回一番の縁の下の力持ちでした。感謝!
ありがとう。
このディスプレーよく見ると、
トラブルを乗り越え完走したチームの2台が仲良く31位と32位に並んでいる。
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2006年08月13日(日曜日)
1449.日中米合同研修
八月十日に中央トレーニングセンターの披露会を開きました。
大変たくさんの方の御出席をいただき、ありがとうございました。
また、いっぱいのお花や、御祝儀、お祝辞、記念品をいただき感謝に耐えません。
おかげさまで、披露会を無事終える事が出来ました。
しかし、
八月十日にこれを開いたのは私の失敗であった。
十二日からたいていの人がお盆休みに入るので、
みんな仕事が忙しのに、
自分がお盆を休まないものだから、
つい、皆さんが忙しいことを甘く考えてしまっていた。
その忙しい時に、
披露会をやって、
しかも、2時からスタートというのに、
ちょっとした食事まで出し、
会を3時間以上も続けたのは、
非常識であった。深く反省をしている。
御出席いただいた皆様に、大変御迷惑をおかけし申し訳ないことをしました。
いつも、相手の立場に立って考えなければならないことを
みんなに言っている自分が、
集まっていただく皆さんの都合を軽く考えたのでは、
まったくお話にならない。
恥ずかしいことです。
相手の立場に立つということは本当に難しい。
つい、自分たちの都合で物事を考えてしまう。
反省です。
この日はこの夏最高の暑さで、
近くの揖斐川町では観測史上最高の39.1℃を記録した。
ここ大府市でも36℃以上になっていたらしい。
100坪以上ある大会議場は、倉庫棟の中二階にあって、
大型のクーラーを前日の夜からフル稼働して23℃まで冷やしていたのだが、
お披露目会が始まった午後2時、
お客さまが会場に入っていただくために、頻繁にドアを開けるようになってから、
一挙に29℃まで跳ね上がった。
暑い!
上着を着込んだお客様はどなたもそう思われただろう。
約140名の人の熱気で、会が始まった頃には30℃に届きそう。
あの日の最高気温がもう少し低かったら、
お客様ももう少し快適であったろうに、悔やまれる。
設備の披露なのだから、
2時間程度の会にしておくべきだったのかもしれない。
おまけに、トレセン、倉庫、事務所などの設備をご案内している時、
冷房していたトレーニングセンターのシャッターを少し開けて、
お客様を中に誘導したその時に、
たまたまシャッターが壊れて、空きっぱなしになってしまった。
あっという間に中は33℃以上に跳ね上がる。
せっかく冷房して、快適なトレセンをアピールする時に、
お客様の不快指数は最高レベルに跳ね上がったに違いない。
よりによって、あんな時にシャッターが壊れるなんて。
会が終わってから、
「あれを、こうして準備しておけば良かった。」
「あれが・・・だったら。」
と、「たら・れば」の後悔が次から次へと出てくる。
勝負の世界では、「たら・れば」は禁物であるが、
この場合の「たら・れば」は、
教訓として学習しなければならない「たら・れば」である。
「すべての真実が現場にある。」といつも言っている。
今日、中国から来ている頼さんたち四名とアメリカからのトニーが、
ダイヤモンドキーパーの集中研修を受けにきている。
その研修に私も参加しているのだが、
私にとって、まとまった時間の研修に参加することは稀であり、
改めてたくさんの事が分かった。
やっぱり現場に出ないと何も解らないなぁ、
机の上でだけでは何も分からないなぁ。何も見えてこないなぁ、そうつくづく思った。
現場で、実際にやってみて、
初めて解る事がいっぱいある。
思考の根拠、行動の根拠が現場の中になければならないことを改めて痛感する。
中国・上海のインストラクター喩さんと、
中国からやってきて日本の快洗隊鳴海店で現役の張君の
最新の快洗Wingを使っての“合作洗車”
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