2007年07月25日(水曜日)
1686.ああ全車禁煙車両
朝7時32分発の新幹線に乗って大阪に向かっている。
新大阪駅には8時36分に着く“ひかり”号だ。
“のぞみ”号ならば、名古屋⇒新大阪間は53分ぐらいで行けるが、
この“ひかり”号は1時間04分かかる。
切符を買う時点では7時34分発の“のぞみ”号に乗るつもりであった。
それに乗れば新大阪8時27分着で約束に間に合う。
しかし、その列車がN700型で全車禁煙車両であると言われて、
7時32分発の“ひかり”に変えた。
6分の遅刻だ。
朝が早い出発であったので、
朝ごはんを家で食べずに、
列車の中で駅弁を食べようと思っていた。
朝ごはん後のあの一服のうまさを思うと、やっぱりタバコが吸いたい。
健康促進法とやらで、世の中がどんどん禁煙になっていく。
東京以北の新幹線では、すでにすべての列車が全車禁煙車両になっている。
東海道新幹線、山陽新幹線でも、
新しい型の列車であるN700型車両から順次、全車禁煙車両になっていくらしい。
すべての新幹線が禁煙になるのは時間の問題だ。
飛行機でタバコが吸えなくなったのはもう10年以上前のことだろうか。
その昔には、普通の在来線で、しかも満員電車の中ででも、
タバコは吸うことが出来た。
もちろん満員電車のラッシュの中でタバコを吸うのはマナー違反であったが、
それでも違法ではなかった。
今ではとても考えられない事だが本当だ。
男性のほとんどはタバコを吸うのが当たり前であり、
吸わない男がいれば、何か特別な理由があったものだ。
日本においてタバコは当たり前の文化であり、日常であったのだ。
大のタバコ嫌いの私の娘だって、
彼女が小さい時には、私のタバコの煙の中で育ってきた。
それが何で、こんなにまでタバコが嫌われるようになったのか、
私は憶えていない。
カレーのCoCo一番屋も、
つい最近まで11時から午後2時までの昼間時間だけ禁煙だったのに、
いつの間にか終日禁煙になった。
あの牛丼の吉野家まで終日禁煙になってしまったのは、ショックだった。
屋内でタバコを吸える施設はほとんど無くなり、
「路上喫煙禁止」の場所もドンドン増える。
おまけに、名古屋ではタクシーの中まで禁煙になってしまった。
一体どこで吸えばいいのだ。
先日、親父の七回忌の法要で、
弟の息子達、私の甥っ子達と久しぶりに会って話をした。
甥っ子の弟の方は静岡大学に行っている。
私「今、キャンバスでタバコを吸える場所は少なくなったんだろ?」
甥「学校はほとんど禁煙ですよ。喫煙場所はほんの何箇所だけです。」
私「君はタバコを吸うのかい?」
甥「もちろん吸わないですよ。」
私「学校でタバコを吸う人は少数派なんだろうね。今は。」
甥「ほとんど吸ってないですね。」
私「一体、何人のうちの一人が吸っているのかい? 五人に一人? 10人に一人?」
甥「う~~ん、二十人に一人ぐらいかな。クラスに二人ぐらいしかいないから。」
私「・・・・・・」
甥「??・・・」
ちょうど六年前に死んだ親父は、
死ぬ五年ぐらい前に喉頭がんで放射線の手術を受けた。
親父はヘビースモーカーで、
手術後、医者からタバコを吸うのを禁じられても
それでも、親父はタバコをまた吸いはじめた。
母は涙を浮かべて「タバコなんかやめようよ。」と訴えたが、
それでも親父はタバコをやめなかった。
それが原因かどうか分からないが、間もなく喉頭がんが再発して、
また放射線でガンを焼く再手術を受けた。
この手術は楽に見えるが、本人はそれなりに苦しいらしい。
再手術後、さすがに、親父はタバコをやめた。
「喉を焼いたら、タバコがうまくなくなったから」と。
しかし、
しばらくしたら、今度は胃がんが見つかった。
これは、十年以上も前に出来始めた古いもので、すでに末期であった。
喉頭がんよりも、はるかに前からのものだ。
一度は開腹手術をして小康状態を取り戻したが、
やがて、死んだ。
死ぬ前に小康状態で家に帰って来ていた時、親父はぼそっと言ったことがある。
「タバコ吸っときゃ良かった。禁煙なんかするんじゃなかった。」と。
タバコなんかやめても、
人間、何で死ぬか分からない。
どうせなら、とことん吸ったろうか。
だって、タバコって本当にうまいんだもんね。
特に朝飯あとのタバコは。
ただでさえ人気の無い“ひかり号”。
しかも喫煙のグリーン車には、
名古屋から新大阪まで、ずっと私一人で座っている。
誰も吸わないのか、こんな美味しいタバコを。
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