2008年02月06日(水曜日)
1840.三十三年会っていないもう一人の私
もう昔の話である。
たしか22歳のころ、私がガソリンスタンドに勤めていた時の事。
たまたま勤務していたガソリンスタンド店舗の成績がかなり上がって、
生意気盛りの私は「天狗」であった。
勤めていた会社はとても大きな会社の子会社で、
その親会社はガソリンスタンド(以後SSと言う)とは直接関係のない業界の会社で、
私の上司もSSの経験のない人であったからなのか、
その上司が出してくる指示は、普通の会社として常識的なことであったが、
SSしか知らない私にとっては理解に苦しむことばかりであった。
攻撃一辺倒の私のやり方は、
とにかく売上を上げること。
そのために使う経費や投資は上がった売上で吸収していけば良い。という考え方。
バブルの始まりころの日本ではそれを否定する人は周りにはいなかったが、
その上司からは、経費の節減を要求された。
そのころの私の感覚からすればそれは消極的であり、後ろ向きの姿勢でしかなかったのだ。
今考えれば、いくら実績を上げてもそれを上回る費用を使えば、不採算であり、
それは経営的観点からして間違っていることであって、決して許されることではない。
しかし、そのころの私は、いくら実績を上げても、
要求された経費節減のための指示を守らなかったため、
私はその上司から全く評価されず、そのことが私にはとても理不尽に思えた。
だから、本社の役員に
「○○所長とはうまく行きません。あの人は変です。」と訴えた。
その役員からは私は評価していただいていたので、その訴えを聞いてもらえると思ったが、
「そういう話は聞かない。」と突っぱねられた。
それは私にとって大変ショックなことで、
すっかり会社不信になったどころか、人間不信にすらなったものだ。
今考えれば、全く馬鹿なことをしたもので恥ずかしい限りだが、
そのころの私は天狗であり、学ぶ姿勢を持っていず、
上司の言うことも、役員の言うことも理解できなかった。
「俺は正しい。それを理解してくれない彼らが悪い。」と、
すっかり被害者妄想にとりつかれ、
仕事をする気にも、会社に出て行く気にもなれず、
朝、布団の中から
「頭が痛いから会社休むって電話しといてくれ。」と
連れ合いに言ったまま、布団にまたもぐりこんだ。何もかもいやになっていた。
そんなことが二日続いて、しょうがなしに店に出て行ったときには、
店のスタッフの誰もが、仕事をサボって自分で電話すらしなかった私の事を、
相手にしなくなっていた。
そうするとますます私は被害者妄想となった。
その時点で私は、今で言えば精神的に病気になっていたのかもしれない。
上司が指示した経費節減策はすでにスタッフによって実行されている。
その日、何がきっかけだったのか憶えていないが、
「クッソーっ」と思って、がむしゃらに仕事を始め、がむしゃらに売った。
みんなと一緒になんて思わない。ただただ、自分でがむしゃらに売って、
エンジンオイルもギヤオイルも売って、タイヤも売って、
エアコンも売って(昔、エアコンは後付けでSSでも売っていた)、売って、
次の日も売って、その次の日も売って、
店の皆とはほとんど口も利かないまま、自分の殻に閉じこもったまま売りまくった。
鬼のように売って、
とうとうその月は、その店のギネスを作った。
経費節減策も実行されていて、売上げもギネスだったので、
それまで販売実績は上がっても赤字続きであったその店は、驚くくらいの黒字を出した。
それで終わりであった。
誰もが驚いたし、その結果を賞賛した。
それで、何もかもが終わった。
バカな私は、みんなからスゴイスゴイと言われると、いい気になって、
被害妄想などどっかに飛んでいってしまって、また、あのクソ生意気で元気な天狗に戻った。
それからも、上司のことはあまり好きにならなかったが、
布団の中にもぐりこんで「頭が痛いから会社休むって電話しといてくれ。」
と言ったあのもう一人の私とは、
あれからもう33年間、会っていない。
あの時復活したクソ生意気な私は、独立してからは色々と懲りて、カドも取れて
55歳になり、今は、いくらかは自己反省もでき、学べるようになったかなと思っている。
Posted パーマリンク