2008年06月22日(日曜日)
1949.“つくば”での決勝2レース
午前5時に起きて、つくばサーキットに向かったのは午前6時。
朝早くから皆さんご苦労様でした。
午後7時10分に車検があって、
すぐにドライバーズブリーフィング。
そして、8時25分から予選である。
今日一日だけで、予選と、2回の決勝レースをやるので、すべてが早い。
小雨の中、予選は8台中の5位。
私の実力から言えば上出来なのかもしれないが、
予選の途中6周目にスピンをしてスポンジバリアに突っ込んだ(車は無傷)あと、
そのあとのアタックをあきらめたあと路面が乾いてきて、
他の車が12周目ぐらいにベストラップを出していたことを考えると、
なかなか行けそうな気がした。
1回目の決勝は、午前11時25分から。
路面はすっかり乾いて、ドライコンディションである。
左後ろに日本自動車大学校という学校からのチームの若いドライバー?72がいて、
予選のタイム差はわずか0.1秒。
スタートに注意をしなくてはと思いながらも、
ローリングスタート直後、あっさりとアウトから差されてしまった。
これで、6位。
決勝は全15周。
そのまま、後ろから内科の藤尾先生と、外科の鈴木先生にプッシュされながら
何とか逃げ切って、6位で完走。
私を抜いていった?72からもそれほど離されず、
レース中のベストラップは私の方がわずかに速く、
2回目の決勝レースのスターティングポジションは、1回目の決勝と同じになった。
スタートでさえ刺されなければ、決勝で抜かれることはないように思えた。
急遽参加の阿部君は、ラップタイムを取ってくれたり忙しかった。
2回目の決勝は午後3時半から。
メカニックで下関から駆けつけてくれた小林君もちょっと一休み。
しかし、1回目の決勝がゴールする手前から雨が降り出して、
午後には本格的な雨になった。
コースは完全にウェットコンディションである。
ぶっつけ本番のウェットコンディションでの決勝は憂鬱であった。
1回でもスピンをしたらそれでレースからはこぼれてしまう。
出来るだけ慎重に、とにかくスピンしないように完走さえすれば、
それなりのポジションが得られるかもしれない。
そう思って、スタートから慎重に行ったら、
例の若いドライバー?72が、
スタート直後、私だけではなくアウトから三台ごぼう抜きを演じて、
なんと3位にまで行ってしまった。
また、6位である。
しばらく走ったら?72が、ピットレースからコースに出てきた。
ひょっとしたらあのロケットスタートがペナルティになったのかもしれない。
ということは、これは周回遅れか? とすると私は5位になったか?
いや、スタートでコントロールラインを超す前に前の車を抜いてしまったペナルティなら
ドライブスルーペナルティであり、周回遅れにはならないはずだ。
とすると、やっぱり6位である。
後ろからは鈴木先生が激しく追い上げてくる。
5位がどうとか、6位がどうとか考えている暇はない。
雨でツルツルに滑る路面を必死に捉えながら、6位を死守することに専念。
どうにかこうにか逃げ切って、
また6位である。
まぁ、実力から言って、6位は上出来である。
1回目の決勝レースでも、2回目の決勝レースでも、
たまたま前にいたから、後ろの二台が私を抜ききれなかっただけで、
これが逆だったら、私はこの二台を抜けなかっただろう。
それにしても若い子はすごい。
ドライブスルーペナルティを課されながらも、
猛烈に追い上げて、結局最終回、最終コーナーで三位に上がってしまった。
左から3番目の若い子が?72の鈴木君。
恐るべしである。
一回目の決勝レースをあと、すぐ後ろで私を激しくプッシュしてきた藤尾先生が、
「面白かった~」と声をかけてくれた。
レースの一番楽しい一瞬である。
私の唯一の道楽に付き合ってくれた、畠中君、小林君、阿部君。
二日間、たっぷり遊ばせてもらいました。
心から感謝します。
この写真はすべて畠中君が撮ってくれた。
だからすべての写真に彼の姿はない。
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