谷 好通コラム

2008年07月22日(火曜日)

1975.何が大切かを考えると

若い女性、とりわけ中学生、高校生くらいの
子供から大人になる過程の女性は、
あらゆる面でみずみずしさに溢れている。
しかし、精神的には早く大人に成りたい世代で、
自分を子ども扱いされるのが大嫌いだ。
だから、無理してでも自分を大人に見せたい気持ちが強く、
せっかくのみずみずしい肌に顔料を塗りたくって、わざわざ若い肌を隠し、
造った顔にしてしまう姿は痛々しい限りだ。
化粧をせずとも最も美しい年代を、
コマーシャルベースで塗りつぶしてしまう化粧品メーカーを憎く感じる。

 

また、不要に肌を露出しあらわにすることによって、
男性の性的な目を故意にひきつけ意識するのは、
自らの性的な成熟を誇りつつも精神的な未熟さを露呈することであって、
やはり、痛々しく、せつない。
自分の体が精神よりも早く成長してしまったので、
それに対する戸惑いなのか。
あるいは変わりつつある自分に対する嫌悪感の発露なのだろうか。
自分の存在そのものが、
子供から大人になっていく過程で、
それまでの自分以外になっていく不安からなのだろうか。

 

大切なものはなんだろう。

 

素の自分よりも、
化けて、自分以上の自分に見せる。
あるいは自分以外の自分に見せることに執着することは
自分を嫌いなのだからだろうか。
あるいは、自分自身が不安だからなのだろうか。
自分に自信がなく、
持ち物の価値で自分の価値を補おうとするのは良くあることだが、
物によって補われる自分とは、その物の価値よりも低いと言うことなのだろうか。

 

人は自分の価値を考えるとき、
他の人と比べて自分がどうなのかを考えるのが普通だが、
しかし「あの人よりも私の方がいい物を持っている。」とか、
「隣の人よりも立派な所に住んでいる。」とか、
「私の方があの人より異性にチヤホヤされる。」とか、
そんなことは、自分自身の価値とはまったく関係のない満足である。

 

「あの人よりも私の方がいい物を持っている。」に価値があるのなら、
私よりもいい物を持っている人がいれば、自分の価値はその人より低くなって、
自分の価値よりも低い人も、高い人も無限にいることになり、
自分の価値は見えなくなる。
「異性にチヤホヤされる。」ことがその人間の価値ならば、
たとえば女性は歳を取れば取るだけ価値が下がっていくことになる。
そんなことはない。
歳をとれば取るだけその生き様が姿かたちに現れ、人は美しくなる。
人の価値は他人に決められるものではなく、
自分の価値は、自分自身が自分の価値観で決めればいいことであって、
他人と比べて自分の価値を決めるものではない。

 

自分は自分以上ではなく、自分以下でもない。
ただ自分であるだけで、自分であることに価値が十分にある。
自分を自分以上に見せようとするところから、
自分自身の中に不安が始まり、
素の自分であることに言いようのない不安が発生するようになる。

 

何を持っているかで自分の価値は決まらず、
どう化けたかで自分の価値が変わるわけでもない。
「キレイになりたい」「豊かになりたい」は自然の感情であって、
もちろん否定するものではないが、
そこに自分の価値のあり方を求めるのは、
どうかすれば自分の否定になってしまうこともある。

 

その人の価値とは容姿でもなく、持ち物でもなく、金でもなく、成果でもない。
人の価値は他人との比較で決まるものでもない。
他人からの評価で決まるものでもない。
その人の生き様であり、どう学び、どう愛したのかによって決まるのではないか。
たくさんの人と会って、たくさんの人と縁が生まれて、そう思うようになった。
照れを隠さず言うならば、愛していると、そう思うようになった。

 

 

・・・・・・
なんちゃって、自分にあっかんべーっなのだ。

 

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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