2008年10月18日(土曜日)
2040.カジノの中と、外の世界では
商売の中で一番効率よく金(かね)を儲けるのは
それは間違いなく「金(かね)」を商品にする商売だろう。
金を貸すのもよし、不動産投機、株式投機、
先物商品取引、クーポンスワップ、信用保証債券などなど、
すべて金を投資して、
金が金を生んで、金が儲かる。
しかしその儲けは、必ず誰かの損(あるいは支出)から出てくるのであって、
誰かが損をした分、誰かが儲かる仕組みだ。
だから、
私はそれらのすべてが「博打」「ギャンブル」であると思っている。
暴論であるが、たとえば私はそう思っている。
たとえば保険でも、
ある意味、博打であるかもしれない。
保険料より保険金の方が大きければ、保険加入者の勝ち。
保険料の方が保険金+経費よりも大きければ保険会社の勝ち。
ただし保険の場合は「安心」という付加価値があるので単なる博打とは言えないが、
勝ち負けの構造で言えばやはり一種の博打であると思う。
たとえば株式で言えば、
株を買った時の値段よりも、
売った時の値段の方が高く、売買の経費を引いてもおつりが来れば、
その株を買って売った人の勝ち。
株を買った時の値段よりも、売った時の値段+売買経費が低ければその人の負け。
まさしく博打だ。
誰が勝っても誰が負けても、株式の売買手数料が発生するので、
証券会社の儲けとは、博打の胴元としての儲けと似ている。
いずれの金融商品でも儲かるか損をするかは、
「相手次第」あるいは「運次第」。
誰が勝っても負けても胴元には手数料が入る。
これを博打といわずに何を博打と言うのか。
私はパチンコで勝ったことがほとんどないので、今はまったくやらない。
マージャンでは勝ったことがないまま憶える前にをやめてしまった。
競輪、競馬、競艇にいたってはまったくやったことがない。
情けないことにジャンケンまで私は弱い。
とにかく私は、博打という博打に極端に弱いのだ。
だから過去のバブルの時でもいっさい株もやらなかったし、
不動産投資もしなかった。
バブルの真っ最中、
賭場にどんどんお金が流れ込んで、誰もが博打に勝てる時代、
周りの人が「株で○○○万円儲かった。」とか、
「マンションの転売で儲かったお金で、マンション一軒ただで手に入った。」とか、
「マネーゲームをしないのは損だ。バカだ。」と言われても、
いっさい、マネーゲームには参加しなかった。
私は自分がギャンブルに弱いことを知っていたから。
そして賭場から客が一斉に引き上げ、つまり金が引き上げられ、
賭場に残った客の誰もが負け始めた時、
つまりバブルが崩壊した時、
私は賭場に入場すらしていなかったので、
まったく損をしなかった。
しかし、私に先見の明が決してあったわけではない。
ただ単に、自分がギャンブルに弱いことを知っていたのでやらなかっただけ。
特にプロのトレーダーが主役の株式市場や先物市場で、
私のような素人なんかが勝てるわけがない。
ギャンブルは、アマチュアがプロに勝てるようなことは絶対にあり得ないから。
だから、
バブルの時代真っ只中でも、バブル自体を感じなかったし、
バブルが崩壊しても、まったく何も困らなかった。
そういう意味で、
私には世界レベルでの金融市場そのものが壮大なカジノ街であるように思える。
そう思うと、
サブプライムローンの崩壊に始まった今回の世界の金融危機も、
世界レベルのカジノから客が一斉に帰り始めた現象で、
カジノの中で飛び交った掛け金が、
カジノから消えただけのような気がするのだ。
だから、
カジノで儲けた一部の客が落としていく金で
商売をしていたカジノの外のある一部の店の客が減るだけであって、
ガジノと関係なく商売をしている圧倒的多くの店は、
カジノの中のゴタゴタには、ほとんどその影響を受けない。
ただ、商売の為に金を借りているので、その金の動きが鈍くなるのは困るが。
それを返済し続けられるだけのビジネスの力があれば問題ない。
原始的に考えれば、
お金は物々交換の不便さを解消するために、
便宜的に発生したものであって、
そのお金がギャンブル的に動き、
金融市場として膨れ上がっていく事自体がバブルであって、
それがしぼむことで、人間の社会全体が崩壊することはない。
(自らが作り出した付加価値)=(得られるべき報酬)の原始的な経済方程式は、
カジノの外に在る圧倒的な世界で、
動ずることのない方程式として在り続ける。
カジノの中のドタバタ騒ぎに、
カジノ外の世界の人は何の恐怖心も持つ必要はない。
とばっちりを食わないように気をつけるだけでいい。
カジノの外でビジネスを行っている者は、
今までどおりCSとESを追求し続けることのみであると思うのだ。
我々は昔のあの運動会のお弁当の味を決して忘れてはいけない。(?)
なんちゃって。関係ないか?
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