谷 好通コラム

2009年10月05日(月曜日)

2322.「いっしょに住もうよ。」

午後から東京に来て、ただ今、夜の11時前。
新幹線に乗って名古屋に向かっている。

 

本当は今日からの三日間、東京で連続して仕事のはずであったが、
刈谷市のおばさんが昨日亡くなったそうで、
明日の昼、お葬式に出るために、急遽、名古屋に戻ることになった。

 

約7年前に親父が亡くなって、
親父の兄弟5人すべてがいなくなった。
私のお袋は今でも元気でいてくれるが、
私の親の代はそのほとんどが亡くなってしまって、
残ったのは、お袋とお袋の妹とその連れ合いだけだ。

 

死ぬのは順番だと言うが、
私の前の代がほとんどいなくなって、順番の一列目に並びつつある。

 

人間生きている間に、それも現役の内に、
自分が死ぬ順番がどうのこうのなんて話をするものではないが、
会社を経営して、家族まで入れれば何百人もの人がこの会社に直接の関わりがあり、
その何百倍もの人が私たちの製品を使って、
この会社が提唱しているビジネスを行っていただいている。
そのまた何百倍もの人が、
キーパーコーティングなどご利用いただいているわけで、
単に、自分が死ぬのは自分の勝手と言うわけには行かない。
多くの人に影響を与えかねない自分の死に責任を持った考えを持っているべきなのだ。

 

昔でいえば、人生五十年とも言う。
現代医学の力でそれが八十年になったとしても、
五十年を人生の一つの区切りと考えるべきと思う。
自分の価値観と使命感でここまでやってきた事業が、
より多くの人にとっての幸せを提供できる仕組みと力を会社自体に構築して、
自分がいなくなっても、事業が持っている目的を遂行していくように
常に考え、常にそれを意識した上での行動でなければならないと思う。

 

自分の親の代が残り少なくなってしまった事に気がついて、
ふと、そんな事を考えてしまった。

 

 

東京本部事務所で明日の店長会議の打ち合わせをTV会議でやっていたら、
谷専務がひょっこりと現れた。
今日から東京に赴任するのだ。
しばらくの間、関東に会社の力を集中するために、何人もの人間が東京に集結しつつある。

 

去年の今頃は、私が本格的に関東に活動軸を置くため、
「俺は東京に住むことにした。」などと軽々しく宣言したものの、
帰巣本能に負け、私は東京に住居を持つ事に挫折した。
だからと言うわけではないが、
今年は、名古屋から、仙台から、広島からトップメンバーを東京に集結したのだ。
「集結」と言うよりも、
自分が出来なかった事をみんなにお願いして、
集まってもらった。・・・・・と言うのが正解だが。

 

谷専務は私の弟である。
事業を始めた本当の初期から一緒にやってきてくれた。
その彼が初めて東京に赴任するために住む家を探したのだが、
埼玉大学に通っている彼の長男が、
「こちらに住むのなら、一緒に住もうよ。」と言ったのだそうだ。
なんとうらやましいことだろう。
単身赴任生活が4年くらい続いている彼にとって、
関東で家族の一人との不意の共同生活が始まるのだ。
彼と彼の奥さんは喜ぶことしきりであった。

 

当然歓迎会である。
と言っても、私と彼とたまたま居合わせた賀来部長の三人だけだが、
両国近くの本格的中華料理(小さな店だがそう書いてあった)で、
何でも好きな物OKで、飲んで食べた。

 

本格的中華で豪華三昧、三人で計8,000円。
私たちはどうしてもこの範疇から抜けられない。

 

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    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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