2010年01月11日(月曜日)
2399.有ったものが無くなった時
今日ある若者と話していて思ったこと。
今まで有ったものが、
それが無くてはならないものとずっと思っていたのに、
ある日突然、それが無くなった時、
初めて、無いなら無いでも何とかなることに気が着ついて、
今まで、それが、なぜ無くてはならないものと思い込んでいたのか分からない。
そんなことがある。
むしろ、
有ったのでしなくて良かった事を、
無くなったので、しなければならなくなったことで、
有った時には出来ないと思っていた事が出来るようになることもある。
あるいは、有った時には分からなかった事が、分かる事もある。
あるいは、自ら有ることが必要があると思って有り続け、
自らを犠牲にしてでも一生懸命に有り続けたのに、
ある時、有り続けることが出来なくなって、無くなったら、
その方が相手の力を引き出すことになって、かえって良くなることもあって、
無くなったことがお互いのためであったことに気が付くこともある。
今有るものは、
有ることが当たり前であり、
無くてはならないもののように思えても、
有ることで、自らの出来ることや、自ら力と可能性を封じていることもある。
今有るものを失うことは不安である。
しかし、有ることが当然の今、失い、無くなる明日が見えないので不安なだけで、
明日は、今日とは違う日なので見えないのが当たり前なのだから、
見えないという理由だけで、
今有るものを失うことを無用に恐れる必要は、実は、無い。
大きな志をいだくならば、
今の自分を大きく超える大きな志に向かって、
自ら生きようとするならば、
今有るものが有ることで得られる安心と安全の元で生き続けることは不可能だ。
今有るものを失う不安と、
今有るものが無くなることによって得られるかもしれない自らの未知の可能性と、
どちらが自らにとって必要なのか、欲しいのか。
自分で決めるしかない。
今有るものが惜しくて、無くすことを恐れていては、
今有るもの以上のものは得られない。
しかし、今有るものを失うことで、今有るもの以上のものを得られるとは限らない。
今有るものを、今以上に大切に育てることが、最も有意義であることもある。
自分で決めるしかない。
自分の人生の目的が何であるのかで決めるしかない。
志とは、人生の目的そのもののことなのだから。
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