2010年05月18日(火曜日)
2503.外側なので価値観が違うのか
昨日からドイツSONAX、化学研究所のピッチ博士と、
輸出担当のクリーガー部長がやってきている。
彼らとのミーティングは非常にビジネスとして役に立つことは事実だが、
ドイツ語と日本語なので必ず通訳を介する会話となり、
非常に手間がかかる。
こちらが日本語で話したことを、
日本のSONAXの窓口である吉村さんが
私たちが話したことをドイツ語で相手に話し、
相手がドイツ語で返事をする間、
つまり自分が話をした時間の2倍近くの時間を、
意味がまったく分からないドイツ語がやり取りされるのを聞いているしかない。
当然、相手も同じことなので、
そのタイムラグの間、お互いに集中力を保つのがなかなか大変なのだ。
特に今回は、相手が二人なので、
向こうの話を日本語に通訳し、こちらが日本語で返事をしている間の時間に、
向こうの二人が雑談を始めてしまうと、
気が散ってしまって、会話が成り立たなくなってしまうこともある。
私は今、以前はよく行った中国とアメリカに行かなくなっているので、
通訳を挟んだ会話というものに慣れがなくなっていて、
まどろっこしさを久しぶりに感じていた。
しかし、会話がなかなかスムーズに成り立たないのは、
言葉の問題だけではなく、
価値観の違いも強く感じるのだ。
彼らが住み、働いているドイツバイエルン地方の街は美しい。
ヨーロッパの長い歴史が作り上げてきた石造りの文化は、
何百年クラスの建物が当たり前のように存在し、
それだけではなく、
人々の心に長い歴史の中で培われてきた誇りと重みを持っている。
彼らにとって、彼らが住む歴史ある街と文化が、
最高の誇りであり、権威なのであろう。
それは実際にあの街を見て、人々を見て、暮らしぶりを見ると、
彼らの価値観の中心があの街にあり、
あの文化と人々の暮らしに絶対の誇りを持っていることを感じる。
だから、あの街、あの国、あの文化の外側は、私たちを含めて、外側なのだ。
中心から同心円を描いている世界の真ん中に自分たちの文化があって、
中心から離れれば離れるほど、外側になっていくのではないか。
違う文化が陸続きに存在する大地で育んできた文化は、
戦いの歴史であり、その戦いの中で、
余計に、内側と、外側をはっきり作るような価値観を作ってきた気がするのだ。
私たち日本人が、ふるさとに郷愁を感じながらも
そこに自分の価値感の中心をふるさとに見出せないのは、
他の文化との戦いの歴史を持っていないからなのかもしれない。
ある時は、ドイツ人の態度を強圧的と感じるのは、
彼らが私たちを「外」の人間と見ているからなのかもしれない。
それが悪いという意味でも、良いという意味でもない。
違う文化が、違う価値感を持っているということだけなのであろう。
だからこそ、
コラボレーションしてお互いの役に立つのかもしれない。
違うものをも持った者がコラボするからこそ、
お互いに違うものを吸収してパワーアップする効果があるのであって、
同じような文化で同じような価値観を持った者同士がコラボしても、
プラスの効果は期待できないかもしれない。
そういう意味で、アイ・タック技研㈱とSONAXのいい関係がもう10年以上も続き、
お互いにプラスの結果になっているのだろう。
からだのでかさ、声のでかさ、態度のでかさと
その頑固ぶりには、横柄さすら感じるのは、
文化の違いが要因になっている私たちとの違いなのであろう。
長い付き合いの中でたくさんの事がありながらもいい関係が続いているのは、
二人とも、ほんとにいい奴には違いない。
いい奴に違いないが、やっぱりでかい。体も、声も、態度も。
それでいい。だから彼らのことを好きなのだろう。
今日の朝、名古屋から東京に向かう新幹線から
久しぶりに「くっきりの富士山」が見えた。
そのせいで、今日はやっぱり幸運のかたまりであった。
当然今夜も飲む。
東京タワーに近く六本木はずれのドイツバーで。
ここは日本に住むドイツのサッカーファンがたむろするバーだ。
中はサッカーのグッズが所狭しと置いてある。
真ん中奥にはオリバー カーンの№1のユニフォームの実物があり、
その上に、見たことがあるカーンの写真が。
カーンが私たちのCMに出演してくれた時の写真を
パネルに入れてプレゼントしたところ、
カーンのユニフォームの上に飾ってくれたのだ。
タフガイ、Mr.クリーガーがパクリ。
Mr.増田はギブアップ。
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