2011年02月13日(日曜日)
2720.約20年前の私と弟の先生、今の原点
約20年前、私は横浜に通った。
「研磨技術」と「コーティング」を学びに行ったのだ、
私は32歳の時に独立して、
一軒の築30年の古いスタンドを借りてガソリンスタンドを経営し始めた。
店を始めて最初の頃は1年364日、元旦を除いて1日も休まず働いた。
あの頃は商売が面白くて、あるいは難しくて、とても休む気にはならず働き続けた。
サラリーマン時代の経験はまったくといいほど役に立たなかったのは、
なぜだったのだろうか。
やることなすこと新鮮で、面白くもあったし、苦しくもあった。
初めの頃はいっぱい失敗もあったが、
やがて店が軌道に乗ってくると、二軒目の店が欲しくなったのは、
たぶん独立してから5年目であったろうか。
しかしあの頃は、「ガソリンスタンドの総店舗数の規制」があって、
やっと手に入れた土地にスタンドを建設しても、
ガソリンの販売が実質上出来なかった。しかしその規制もあと1年で解除になる。
それで、その新しい店を1年間だけ
「洗車とコーティング」の専門店として立ち上げることにしたのだ。
その時に、特別に「研磨とコーティング」の勉強をするために横浜に通ったのだった。
一応、横浜で決まっていた1週間のプログラムをこなして、
その後も何度か色々相談をしたかったし、技術を見て欲しかったりして、
何度も横浜に通ったのは、
なかなか洗車とコーティング専門店の商売がうまく行かなかったから。
今でこそ、専門店の立ち上げを何十件も経験し、
この手の店舗のオープン当初、極端にお客様が少ないことは当たり前と解ったが、
当時は資金的にもギリギリで、精神的にもまったく余裕がなく、
ワラをもつかむ心境で、横浜に通った。
二軒の店を少ない人数で運営していたので、
横浜に行くのにも1日しか店を空けられない。
だから、朝5時ごろ名古屋を出て、朝9時ぐらいに横浜に着き、
夜7時くらいまで、色々話しをして、作業もして、
それからまた350kmを車で走り、夜11時ごろ名古屋に帰る。
そんな生活をかなり続けた。
二軒目の店、洗車とコーティングの店も何とかお客様が定着して安定してきた頃、
一つの疑問を持った。
ポリッシャーと研磨剤を使って、
お客様の車の塗装を磨き上げ、拭き傷一つ残さないまでに、
何時間も何時かもかかって磨き上げ、
自分も納得できる完璧な状態に仕上がった車を、
お客様にお渡しする時、
二種類の人がいることに気がついたのだ。
一種類の人はマニアックな人で、
磨き上げた塗装を、食い入るように”近づいて”見る。
真剣に目を見開き、塗装を透かすように斜めに見て、
走っただけでうっすらと着くヘアーラインすら見逃さず、
完璧に無傷の状態になった塗装面を、まるで舐めるように見てため息をつく。
磨き屋として怖い相手だ。しかしこんな人を納得させた後の達成感も大きい。
もう一種類の人は、ごく普通の人で、
丹精こめて磨き上げた車を「完璧に仕上げました。」とお渡しする時、
「うわーきれいになった。すごいねー」と、
車から一歩二歩と”離れて”車全体を見て喜ぶ人たちだ。
ニコニコとして、車を全体に見て、きれいになったと喜ぶ。
こちらが「キズを一つ残らず取りました。」と、
塗装に顔を近づけて見せても、
お客様は「へぇ~キズがありました?」と、不思議そうにしている。
この人にとって、車がキレイになるとは、
車全体がキレイになることであって、
目を皿にして見なければ分からないような薄く細かいキズがなくなることではなかった。
そんな時はあとで
「まっ、素人には俺たちの技術は分からんだろうな。」などと言った。
しかしある時、
そんな自分の奢った言葉に、
自分たちがやっていることが、
マニアックな人にだけにしか分からないような技術で、
ひょっとしたら、自分たちの自己満足になってはいないのだろうか。
そう思えたことがあった。
「洗車とコーティングの専門店」を開いて1年目の頃である。
つまり、この頃、店が晴れてガソリンを販売できるようになり、
給油のお客様、つまり普通のお客様がいっぱい来店されるようになって、
店に活気が出ていた。
普通のお客様がいっぱい来るのならば、
マニアックな磨きを店の売り物にしていても、このお客様にはちっとも売れない。
「普通の人にいっぱい喜んでもらえるようなコーティングを作ろう。」
と思って、まず、
時間と体力と技術が要るポリッシャー作業をしないで、
何をすれば「手作業だけで」「お客様が店で待てる時間で」
どこまで車をキレイにできるかを考えた。
それが、今のピュアキーパーの原型である”Qシステム”の誕生であった。
「洗車とコーティングの専門店」が、ガソリンスタンドも始めて、
ガソリンスタンドのお客様にぴったりの
「手作業だけ」で「お客様が店で待てる時間」で出来るコーティングを作ったら、
それはそのまま、普通のガソリンスタンドでも十分に通用するコーティングであった。
やがて、一般に売られているケミカルなどで組み立てられた”Qシステム”は、
独自に開発した「キーパーコーティング」に進化し、
全国に紹介され、今では全国に約8,000の施工店がある。
キーパーコーティングに、
ボディガラスコーティングである
「ダイヤモンドキーパー」と「クリスタルキーパー」が加わった時、
それまでの「キーパーコーティング」を「ピュアキーパー」と呼ぶようになった。
約20年前、朝5時に名古屋を出て、夜11時過ぎに帰ってくる「横浜行き」を
何度も何度も繰り返していた頃、
私たちは今のキーパーの原点を必死になって習っていた。
あの原点があったからこそ、今がある。
私たちは途中でポリッシャーを使わないことに活路を見出したが、
あの頃に習った「研磨」そのものを否定したのではない。
あの芸術的な「平」を作る研磨は、あれはあれで大きな意味があって、
大きな付加価値を生み出すすばらしい方法だ。
しかし、車をキレイにする技術に欠かせない必須のものではなく、
それがなくても、車をキレイにすることは十分に出来る。
少なくとも、私を含めた圧倒的多数である普通の人の感性のキレイにとって、
「研磨」はそれを実現する一つの方法ではあっても、
必須ではないことを
私は気がついただけのことである。
そのことによって、私は研磨技術を決して愚弄するものではなく、
軽んじるものでもない。
研磨とコーティングの技術は、私達の原点であり、ふるさとでもある。
20年前の私と弟が横浜で必死に学んだ頃の先生と今日一緒に食事をした。
私達の大恩人である。
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2011年02月13日(日曜日)
2719.顔と顔を合わせてのコミュニケーション
人という字はお互いに支えあっている様子を表している。
人は孤独では生きていられない。
なんて、いまさら分かったような事を言うつもりはないが、
たくさんの人がいて、その中で楽しくコミュニケーションを持ちながら暮らすのが、
普通の人間の豊かな生活の姿のイメージだろう。
今はIT(Information Technology)が発達していて、
さまざまな方法で人とのコミュニケーションを取れるようになっているが、
やっぱり人間は、
顔と顔を突き合わせての付き合いが、
一番濃いコミュニケーションなのだろう。
従来からドイツSONAXとは、
サンプルのやり取り、テスト結果の交換、メールでの会話を、
ドイツ語の翻訳を通じて頻繁に行ってきたが、
最後の最後は、
開発の増田課長をドイツ・ノイブルグのSONAXへ派遣し、
向こうの開発責任者ドクターピッチと直接に顔を合わせて、
一緒に実験をし、その結果を共有することで、
一つの製品を完成させることとなった。
結果は上々で、
何十種類とやり取りをしたサンプルでは解決できなかった次元で、
満足のいくものが出来そうなところまでたどり着いたようだ。
今回の訪独の話の中で、
増田課長がドイツに一度も行ったことがなかったことを初めて知った。
SONAXの開発責任者ドクターピッチは何度となく日本に来ていて、
増田課長ともかなりの回数、直接話しをしている。
三年前には、「温度の高いところでの実験が必要だ。」なんて口実をつけて、
ピッチが増田課長と”沖縄”に行き、共同のテストをやったくらいで、
だから当然、増田課長もドイツに行ったことがあるのが当然のように思っていた。
それが一度もなかったということは、
サンプルとメールのやり取りで、
ある程度の事が済んでしまっていたということだろう。
しかし、やっぱり最後は、
直接話しをして、詰めていかなければいいものは出来ないと感じた。
他の用件もあったので、彼にドイツに行ってもらった。
もう一つ、彼のドイツ訪問の目的は、
現場レベルでの親交を深めてきて欲しかったことだ。
会社と会社との表敬は、経営者レベルでのことだが、
それは取引上のことであり、今のアイ・タック技研とSONAXとの関係は、
いくつかの製品を共同で開発をするレベルになっているので、
実際にその仕事に携わる人たちが、
円滑に仕事が進むよう、親しい関係を構築することは大切なことだ。
そんな目的もあったので増田課長には新婚の奥さんにも同行してもらった。
個人的な家族づきあいは欧米の親交の常であるからだ。
ドクターピッチも奥さんのクラウディアさんと愛娘を連れ立っての食事を、
二度も持ってくれたそうだ。
おまけに、SONAXホフマン社長との食事会にまで招待されたそうで、
嬉しい限りである。
遠い地の人と直接会うのは時間もコストもかかるが、
それ相応に十分な意味があるようだ。
私も実にたくさんの人と会う。
会ってお話をすることによって、新しい発見がたくさんある。
色々な現場にもよく行く。
写真や文章では解らなかったことが現場にはいっぱいあって、
お客様と直接接している現場にこそ真実があると、いつも思わされる。
ビジネスを進めるために、またそのスピードを上げるために、
ITの活用は絶対に必要だが、
基本は人と人とのコミュニケーションであり、
直接、顔と顔を合わせて、生の声で話し、表情などで相手の感情までを感じつつ、
ダイレクトなコミュニケーションが一番濃厚であり、
最も大切なコミュニケーションであることには違いない。
メールのやり取りでなかなか進展しなかった問題が、
ドイツに行くことによって、今までにない進展を得ることが出来たようだ。
彼から来る報告や相談のメールは非常に多い。
私も彼も本社にいる時、私が仕事の用件が終わって帰ろうとすると、
「一つご相談があるんですが・・・」と、
エレベーターまで追っかけてくることがたびたびある。
仕事に対する真剣さと、だからこそ彼の報告と相談は濃厚で、
だから、私は彼の仕事のことをよく知っている。
だから、本当に仕事を任せられる人間の一人である。
ドイツから帰ってきて、成田から直接愛知の会社に帰ってきて、
その行動と結果を役員会で報告する増田課長。
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