2011年06月17日(金曜日)
2810.「やれっ!」で「やる」は「やらされていること」
上司が部下に対して「やれっ!」と言うことは簡単であるし、
たぶんその部下は「やる」だろう。
しかしその部下は「やらされている」に過ぎず、
その事については、
常に「やらされなければ、やらない」だろう。
だから、
その上司はいつも「やれっ!」と言い続けなければならないし、
部下がそれをやっているかどうか、ずっと監視し続けなければならない。
「やれっ!」と命令を発することは、
上司として簡単であるし、
また、そうしたくなり、
それが一番確実な方法だと思いがちだが、実は、一番不確実な方法なのだろう。
少なくとも継続はしにくい。
上司が部下に「やるべきだ」と説得するのも一つの方法であり、
その説得に部下が
「たしかにやるべきだ」と納得しても、
それが実は、「やりたくない」ことならば、
その人は「やるべきだ」と「やりたくない」の葛藤に陥り、
多くの場合、部下は「やりたくない」の欲望に負ける。
これは上司も部下も関係ない。
たとえば、私だったら、
「私はダイエットをするべき。食べるのを我慢すべきだ。」と十二分に納得しているが、
「食べるのを我慢したくない。食べたい。」という欲望に、
いつもほぼ100%近く、負けている。
しかしたまたま、うんと我慢できて、
奇跡的に5kgとか10kgのダイエットに成功して、
体が軽く感じて、その軽さが快感であり、みんなから「すごいっ!」誉められたら、
ひょっとして私はその後「食べたくない。我慢したい。」と思うかもしれない。
人の一番大きな動機は「やりたい。」だとすれば、
上司は、部下が「やりたい。」と思うように、いかにするかを考えるべきなのだろう。
部下が「やりたい」と思ったならば、
その事は、たぶん一番確実に実現するだろうし、
言い続けなくても、監視などしなくても、実現し続けるだろう。
だから、これが一番手間も時間もかからない最良の方法なのかもしれない。
しかし、もちろん、簡単ではない。
私に「食べたくない。飲みたくない。」と思わせるのは、至難の業であるように。
・・・・・
と、飲みながらこれを書いているのだから、
私の場合、まさに絵に描いたような自己矛盾である。
「やらされる」のではなく、
自ら「やりたい」と思って行動する人たち。
この活き活きした一人一人の表情を作り出す動機づけが私の目標。
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