2012年03月30日(金曜日)
「素人は、玄人のやることに口を出すな。」の独りよがり
もちろんすべてではないが、
職人さんには「素人は、玄人のやることに口を出すな。」
という意識がありがちだと思うが、これは困った意識だ。
何年か前に、
販促ツール用に車の写真を撮ったことがあったが、
その時の照明のプロとそのチームがそうだった。
そのプロは、
中部地域で大切な撮影がある時には、
たいていの場合、照明スタッフとしてその人が呼ばれる程のプロ中のプロであった。
しかし、いざ撮影に入ると、
私は、その照明の人がこちらの言うことを
まったく聞いてくれないことに、強い苛立ちを持った。
私達が欲しい写真は、
しっかりとした「ツヤ」であった。
「ツヤのある車」の写真ではなく、「車のツヤ」の写真である。
似ているが、目的はまったく違う。
それを一生懸命説明しても「聞く耳持たず」で、
「車の写真を撮る時にはこういう照明が一番きれいに撮れる。」と、
自分が今までやってきた経験の中でしか考えず、
私の希望するツヤを表現しようとはせずに、
「素人は、玄人のやることに口を出すな。」
いかにも「素人はこれだから困るんだよな」と態度にありありと出す。
結局、こちらの希望する表現をしないまま、時間切れとなり、
照明のプロが「車の写真とはこういう照明」の写真のまま撮影は終わってしまった。
それでも水準的には恥ずかしいような写真ではなく、
少なくとも、私の知っている個人営業の広告代理店のように
ド素人の自分が撮った写真で済ますようなレベルのものではなかった。
それなりにきちんとした写真ではあったので、
最初の何年かはその写真を使った販促物を作り続けた。
いずれにしても、その後は、
あの照明の人とチームだけは絶対に使わないと決めていた。
また、写真、映像に関しては、あのチームを使ったその代理店も使わない。
ひょっとして動画の撮影も、
あの照明を使うならば、やっぱり使わないほうがいいと決心した。
あれから何年か経って、
一昨年、もう一度、車の撮影をする事になった。
どうしても、自分のイメージにある「ツヤ」を持った車の写真が
今後、必要になってくると強く思ったからだ。
自分たちでインターネットを調べて、
東京のあるカメラマンがピックアップされた。
そして、
そのカメラマンさんとチームを組む照明さんも一緒に来ていただいて、
色々と話をさせていただいた。
すると、そのカメラマンと照明さんは、
私がどんな「ツヤ」の表現を望んでいるのか、一生懸命聞いてくる。
そのカメラマンさんは、何百種類もの車の写真のサンプルを持ってきて、
私に聞く。
「この写真の中で、あなたのイメージに近いツヤはどれですか?」
で、私が
「これと、これと、これが近いですかね。・・・中でもこれが一番近いかな。」
と、答えると、カメラマンさんと照明の人は、
「う~ん、これか・・・。なるほど・・」
と、しばらくカメラマンさんが照明さんと話し合って、
「少しイメージが分かりました。・・
では、こんなツヤはきっと全く違うのでしょうね・・」
という質問に私が、
「いやっ? これはこれでいいですよ。」と答えると
そのカメラマンさんと照明さんは、
「えっ? これはOKなんですか。そうですか、じゃあ・・・・」
と、こんなことが何度も繰り返され、
そのためだけに東京から二度三度と来られて、
撮影のためのプランを組み立てた。
そして、いざ撮影の日、出来上がった「ツヤ」は、見事なものであった。
素人であるみんなが「ほーっ、すごいツヤだねー。」と感心した。
このカメラマンと照明さんのチームは、信頼できる。
私達が何を欲しいかを妥協することなく探し、
それを私達の期待以上の結果を持って答えてくれた。
これを本当のプロという。
プロは、そのことについては素人であるクライアントが、
本当に求めているものを捜し出す事に重きを置いて、それを実現しようとする。
「素人は、玄人のやることに口を出すな。」と言わんばかりに、
私達の求めるものを無視したあの照明のプロは、
プロ面をしたただの独りよがりである。
こんなことは良くあることで、
私達も、車をお客様の期待以上にキレイにする技術を持ったプロであるが、
それが、お客様の求めているキレイを差し置いて、
こちらの独りよがりのキレイの提案ならば、それはプロでもなんでもなく、
ただの独りよがりに没したくだらない職人まがいのニセモノである。
プロは素人のために存在し、素人に必要とされて初めて存在し得るものであり、
プロに認められることを求めるプロは、プロまがいのニセモノである。
プロはお客様という素人に認められて、初めて本物のプロと言える。
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