谷 好通コラム

2012年07月19日(木曜日)

「いじめ」の話

今日は広島→名古屋、本社→名古屋→東京と新幹線に計4時間15分乗った。
だからメールもたくさん打てたし、こうやって今日二つ目の話も書いている。

 

「いじめ」の話。
大津の中学生徒がいじめが原因と見られる自殺をことで、
テレビがワイドショーなどで大騒ぎをしているが、
実際には類似のことは毎年何百件とあるらしい。
自殺にまで追い込まれなかったが・・という話は何万件とも。

 

事を荒立てたくない学校や教育委員会が、
「いじめが原因で自殺したとは限らない」で封殺しているようだ。
親も恥ずかしいこととして、あまり騒ぎ立てないことも
いじめが原因の自殺が表に出ない一つの要因であると何かに書いてあった。
私も中学校一年生の時、
あれはいじめの一種だったのかなと思う経験がある。
先生に訴えても何の効果も無かったことが強く印象に残っていて、
いじめにあっている子達の救われない思いがよく解る。

 

いじめられても、
いじめられている本人は、
「これはただのおふざけなんだ。」「ただの冗談なんだ」と、
そう自分に言い聞かせて、
何をされてもヘラヘラしていなくては、自分が救われない。
だから、その様子を見て、
先生たちも「ただふざけているだけ」と思ってしまうのかもしれない。
というより、そうして置いた方が面倒ではないと思うのか。

 

陰湿ないじめから脱出する方法はただ一つ、
逆襲するしかない。私はそう思い込んでいる。

 

子供の頃から体の大きかった私は、
一年生の終業式に、
いじめの中心になっていた男子を呼び出して、
けんかをふっかけて、思いっきり締め上げ、叩きのめして痛めつけた。
それで、無限のように長く感じられたいじめから脱出する事が出来たが、
それをやった私を先生は嫌った。

 

それまでは私のことを可哀そうと思ってやさしかった先生は、
それなりには気を配ってはくれたものの、いじめには全く効果が無かった。
だから、逆襲することで、いじめを自分で解決した私を、
先生はその時から何故嫌ったのか、
いまだに理解できないでいる。

 

いじめはだいたい、精神年齢が実際の年齢以下に低い子がやること。

 

人類は高等な頭脳を持っていて、
生き物の中で唯一ミラーニューロン、すなわち共感性を持っているので
人類が人類たる由縁となっている社会性、
すなわちお互いを思う気持ちを作りあげている。

 

しかし、精神年齢の低い子供は、
相手の痛みを感じる能力も低いので、
弱い子をいじめることで相手が傷つき、苦しんでも、
その苦しみを感じることが出来ず、
いじめることで、落ちこぼれている自分の存在を主張することになる。

 

もう一つの見方は、
勉強一辺倒の学校の世界で成績が悪いことは、
「要らない人間」であることを毎日突きつけられていることなので、
いじめをやる子供は、
誰かをいじめて、誰かから恐れられ、憎まれて、
自分の存在を確認するしかなくなっていることも悲しい事実だ。
暴走族が爆音を立て、
他の通行を邪魔することによって
人の迷惑になる事をわざわざやり、
「どうだ、うるさいだろう。怖いだろう。嫌な俺はここにいるぞ。」と
悲しい自己主張をしていることに似ている。

 

 

そう考えると、いじめをする子も悲しい存在ではある。
しかし、この悲しい存在を救うのは、叩きのめすしか方法はないと、
私の経験の中のおいてだけではあるが、そう思いこんでいるところがある。
しかしそれを学校の先生がやると犯罪になるので、
先生はどうしようもないのだとも思い、
出口の無い迷路のような、憂鬱な問題だ。

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2012年07月19日(木曜日)

昨日の話の”補足”「目的と手段と行為」の関係

昨日の話が、言葉足らずによって解りにくい部分がありました。
補足をします。

 

昨日の文中に、
「上席の役職を持った者の仕事とは、
部下を管理監督することではありません。
仕事をサボらないように見張ることでもありません。
ましてや自分の勝手な評価で叱ったり褒めたりすることでもありません。
部下がやる気を出すように鼓舞する事でもありません。
もちろん威張って部下を服従させること、
俗に言う”束ねる”なんてことが仕事でもありません。」

 

と、ありましたが、
上席の役職を持った者の仕事として、
上記の”行為”を否定したものでありません。
“目的”を果たすための”手段”を実行するために、
上記の”行為”は成されるべきでしょう。
しかし、その”行為”自体が上席の役職を持った者の仕事になっていたのでは、
本来持っている”目的”を果たすための”手段”にもならないと思うのです。

 

そして、その本来の”目的”とは、
前話の言葉を引用するならば、
「役職として上に立つ者の仕事とは、
与えられた職責を果たし、与えられた部署の仕事を成功に導くことです。
部署の仕事の成功とは、部下が成功することに他なりません。
最前線での成功なくして部署の成功はありえないのですから、
上司の仕事(の目的)とは、部下を成功させること。
言い方を変えれば、部下に成功してもらうことです。」

 

そしてその”目的”を実現するために”手段”が存在します。

 

“手段”とは、
仕事を、闘いにたとえるならば、
「コーチは、選手に
敵よりも強い道具を作り、与え、
その使い方を教え与え、
筋力をつけるトレーニングで力を与え、
戦い方の訓練をして技術を与え、
選手の健康のために生活と環境をコントロールして、
良いコンディションを与え、
効率よく安全に闘いの場に送り出す。
そして闘いの場において敵の分析をして、作戦を立て、
闘いの途中では闘いの状況を判断して、戦術を与え、・・」

 

手段は、目的を達するために具体的であり効果的でなければなりません。

 

具体的かつ効果的な”手段”を講じるために、
色々な”行為”、
つまり叱ったり、褒めたり、鼓舞したり・・・・が発生するのでしょう。
目的が明確でなく、
目的を達するための手段としてでもなく、
行為そのものを仕事としているとしたら、
職責を持った役職者としては、
それは違うのではないだろうか。という意味です。

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    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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