2013年01月03日(木曜日)
1.3.「いや~ここの食事、本当においっしいんだわ。」
私の母が年末近くの日から有料老人ホームに入所しました。
13年前に連れ合いである父を亡くしてから、
ずっと「自分で出来るうちは自分でキチンと生活したい。」と、
私達と棟続きの家に住んでいながらも、
一切の手間をかけさせずに、自活していました。
しかし昨年の半ばから足の痛みを訴え
病院で検査をしてもらったところ、
手術をすればある程度は直ると言われて、
意を決して秋口に手術を受けたのですが、それは大変だったようで、
母は「もう二度と手術は受けん」と悔やんでいました。
それでも何とか収まってきていたのですが、
今年の初冬、「施設に入りたい。」と言い出したのです。
今までは自分で自分のことは全部やる。やれるところまで自分やる。
そう気を張って頑張っていた母ですが、
体の具合が自分の思うとおりにならなくなってきて、
食事を老人用の食材宅配サービスに頼るようになり、
買い物などもヘルパーさんに頼るようになって、
自分でやることが少なくなり、
気の張りがなくなったのか、
今度は「なんかつまらなくなって、さびしくなっちゃった。」そうなのです。
母の面倒は私たちが見るつもりでしたから、
「施設に入りたい。」と言われた時は、正直、ショックでした。
しかし、前々から母は、
週二回のデーサービスでお年寄りが集まる所に行くのが、
「ものすごく楽しくて、待ち遠しくてしょうがない。」と、
ニコニコと笑顔で言っていました。
母にとって、施設に入るということは、
それまで何でも自分でやる、父の墓と仏壇を守る、
という強い意志が、母の生き甲斐を支えていたのですが、
その緊張が解けた今、楽しい友達と一緒にいたいということなのでしょう。
すごく家庭的で暖かそうな、
ある有料老人ホームを私達と一緒に見つけ、
数日あとに体験入所を三日間やって、帰って来たときには
「すごく良かった。友達もすぐ何人か出来て、食事もものすごくおいしかった。」
と、すぐにでも入りたいばかりのことを言います。
それでも、感染症がないことを証明する為に
健康診断を受けなければならず、
10日以上待たなければならないことに、がっかりした様子でした。
それがやっと終わって、母は2週間前に引っ越しました。
そして、このお正月にホームに行き、母に会ってきたのです。
正直言って、私は、
母は私達に心配をかけまいとして無理しているのではないかとか、
母があんなに嬉しそうにしていたことを100%は信じていませんでした。
母の部屋で一時間くらい話したでしょうか。
開口一番
「いや~ここの食事、本当においっしいんだわ。」と、
母独特の三河弁混じりイントネーションで、真顔で言います。
それから、ホームの中であった友達とのエピソードを、
楽しそうに、身振り手振りを交えて、本当に何度も話します。
そのたびに私達も大笑いで、
母とこんなに大笑いしながら話をしたのは久し振りです。
母は、ずっと頑張ってきました。
尋常小学校卒業の父が、
熱心な勉強と努力で築いた技術で、
数百人の会社の役員にまでなったのは尊敬すべきですが、
父は会社の部下とお酒を飲むのが大好きで、
家にお金が余り残らず、いつも貧乏だったような気がします。
父が課長になっても、部長になっても、母はいつも内職をしていましたから。
お正月は、ずっと会社の人や業者の人が家に来て、
朝からずっと宴会です。どんちゃん騒ぎです。
何組も何組も来るのです。
その大変さに、母はしみじみと言います。
「お正月は毎日、宴会騒ぎだよ。お金がないのにねぇ。大変だった。」
今でもお正月が来るたびに、言います。
「昔は、お正月が来るのが怖くてしょうがなかった。」
そんな母が、父を失って、
でも一生懸命に気を張って自立した生活を守って、83歳になって、
やっと何も頑張らなくてもいい生活を見つけたのかもしれません。
家から母がいなくなって私達はさびしくなりましたが、
母がさびしくなくなったので、これはこれで良かったと思っています。
私は母に、
「いいかい、いつでもいいから、ちょっとでも帰りたいと思ったら、
とっとと帰っといでよ。いつでも大歓迎だからね。迎えに来るからね。」
と言いました。
でも母は「わかった。わかった。」としか言いません。
そして母のほうの家は、いつも掃除をして、
空気を入れ替えて、
仏壇にはいつも花があって、いつ帰ってきても、
元のままになっているようにしていますが、
母は、ホームの居心地が良くて、楽しくて、
ひょっとしたら帰ってきてくれることはないかもしれません。
たまには、ちょっとだけ帰ってくることはあっても、
家に住むことはもうないのかもしれません。
そう思うとさびしさをひしひしと感じます。
なら、しょっちゅう会いに行くことにしましょう。
思うのですが、母に限らず、
私はいいと思って、
自分の手元に置いて、自分で面倒を見たいと思いますが、
必ずしもそれが、その人の為に、いいばかりではないのかもしれません。
その人その人にそれぞれの価値観があり、
それぞれが求める、それぞれの幸せがあるのですね。きっと。
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