2013年11月25日(月曜日)
11.25.人の気持ちになるということは、本当に難しいものです
人の気持ちになるということは、本当に難しいものです。
巨大な病院に入って7日目、
自分自身に全く問題がないわけではなく、
ある程度の問題意識があるから入院しているのですが、
現状はどこかに痛みがあるとか、熱とか、何か具合が悪い訳でもなく、
本当にピンピンです。
ただ単に、生活を整え、指導を受け、
検査の連続を実行しているだけの毎日です。
痛くも辛くも何ともなく、
外出も、私が外出時の食事を乱していないので、
担当医も信用してくれていて、申請すれば文句なしで認めてくれます。
しかし、こんな大きな病院なのですから、
毎日のように、どこかの部屋で誰かが亡くなっているでしょうし、
悲しみや、痛み、苦しみが病院中のあちらこちらにあるのでしょう。
でもその存在は、たまにしか伝わってきません。
昔、連れ合いが手術をしたその夜は、
麻酔が醒めた痛みでひどく苦しみました。
私もそばにいましたが、
でもその痛みも苦しみも部屋の外の誰にも気づかれなかったでしょう。
それと同じようなことだとは思うのですが、
病院を歩いていてもそういうことを察することは稀です。
しかし廊下を歩いていて、突然、
なにか悲鳴のような声が聞こえてくることがあって、びっくりしますが、
看護師さんたちは、驚いた様子もなく、
あわてず、仕事を淡々とこなし続けています。
そんな時、この大きな病院の中が、
私達がいつも生活している空間とは、
まったく異質な空間であることに気づかされます。
こり建物の中にあるはずの悲しみと、痛みと、苦しみが。
それがあることは間違いないのに、
それが伝わっては来ないので、つい、忘れているだけです。
苦しんでいる人のことを思うと、
現状、元気でいる自分が一緒の空間に入院していることが、
何か、申し訳なく、恥ずかしく感じます。
でも、それは自分の気持ちの問題であって、
本当に苦しんでいる人にとっては、どうでもいいことです。
「解かりもしないくせに・・・」と言われそうです。
人の気持ちは、
本当に解からないもので、
その人の立場に立っているつもりでも、
自分が解かっている事について、
その事を解かっていない他の人に伝える時、
いかに解かっていない人のつもりになれていないことすら分かりません。
難しいものです。
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2013年11月25日(月曜日)
11.25.こんなに腹が減ったのは、久しぶりです。
今日は午前11:30から腹部CTという検査が控えていたので、
朝食は、なしという予定になっていました。
ところが、検査室の都合か何かで、
検査を8:30から行うと連絡があって、検査が終わってしまいました。
検査室の人に「早く終わったから朝食を出してもらったらいいですよ。」
と、言われて内心「やった。」と思いました。
しかし、
病室に帰って、看護師の人に
「一応、”朝、欠食”の指示が出ているので、朝ごはんは、ありません。」
と、言われて、非常にガッカリしています。
昨日は、
長時間外出で富士スピードウェーにJAF.GPを見に行って、
決勝レースの結果がもう見えたな、と思った時点で、
レースがまだ走っているのに、とっととサーキットをあとにしました。
病院に午後8時までに帰ることになっていたので、
皆さんに挨拶もそこそこにして
サーキットの中が帰る車で混む前に出てしまったのです。
ところが、御殿場インターチェンジが思っていたよりも混んでいて
高速道路に乗るまでに1時間以上もかかってしまい、
高速道路に乗ってからもダラダラと渋滞していて、
結局、病院に帰り着いたのは午後10時近くになってしまいました。
そんなことで、夕食は軽く済ましていたのです。
なのに、
せっかく午前の検査が早く終わってしまったで、
朝ごはんが食べられると思ったのに、
「欠食”の指示が出ているので、朝ごはんは、ありません。」
そう言われて、
ひどくガッカリしています。
そのせいか、いつになく血圧までが高くて、
「へんですねー」と言われて、
・・・朝飯食えると思ったのに、”なし”っていうから、怒れているんだよ。
とは言えずに、ただ仏頂面です。
ほんとうに、こんなに腹が減ったと思うは、ひさしぶりです。
何年ぶりかです。
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