2014年10月19日(日曜日)
10.19.どうしても消えないボケが手を変えると不思議に消える
大切な文章をたくさん書いています。
文章を書くこと自体は、たとえばこのブログやタイムスの記事などを、
普段から書いているので、そんなに苦労するわけではないのですが、
いつもより固い言葉で文章を書かなければならないので苦労しています。
言葉の言い回しばかりに気を使っていると、
肝心な文章の内容がおろそかになりがちで、どうもいけません。
でも今は、黄色蛍光ペン添削で安心してスピードを上げて書いています。
黄色蛍光ペン添削とは、
固い文章に慣れた人がいて、
私たちが書いたすべての文章をチェックし、
黄色蛍光ペンで添削してくれていることを指します。
私たちがいくら慎重に書いたつもりでも、
違う目で見ると、不適切な部分が浮き彫りになって見えるのでしょう。
いっぱい黄色の蛍光ペンで添削が入ってきます。
これはありがたいことで、
おかげで、私たちはあまり文章自体の不具合を気にせずに、
どんどん書き進んで、黄色蛍光ペン添削に送れば、
ちゃんと添削されて返ってきます。
おかげで、ものすごく速いペースで書くことができました。
本当に助かりました。
これに似たようなことが昔あったことを思いだしました。
もう20年くらい前のことでしょうか。
そのころは私も、回転式のシングアクションポリツシャーで、
コンパウンドを使いながら行う”研磨”、”磨き”をやっていました。
塗装を微細なコンパウンドで磨き、薄く削って、
テカテカに艶を出す磨きは、魔法の技術のように思えて、
熱中してやっていた時代がありました。
今の磨きは、自己粉砕型のポリッシュで、
最初はコンパウンドと呼べるほどの大きいパウダーが、
磨いているうちに潰れ、壊れてだんだん細かくなり、
最終的には、”ポリッシュ”と呼べるような超微粒子になる粉で磨きます。
だから磨きを、1種類のパウダーだけで最初から最終仕上げまで済ませます。
しかし昔は、
そんな便利なパウダーはなく、
最初は「粗目」から始まって「中目」「細め」「超微粒子」と、
何段階かに分けて、何度も磨いて、仕上げていったものです。
「粗目」で塗装の荒れを取り、
でも粗目の磨き傷が残るので「中目」で粗目の磨き傷を取って、
でも中目の磨き傷が残るので「細目」で中目間磨き傷を取って、
最終的、「超微粒子」で鏡面状態を作り上げる
という気が遠くなるように面倒な作業をしていました。
(今は、自己粉砕型のパウダー一発で磨き上げてしまうのですから楽です。)
昔は、一台の車を一晩かかって磨いたこともあります。
しかし、最終段階の超微粒子の磨きで「ボケ」が出て苦しんだ事がありました。
パウダーを細かくしていくと、
表面の凸凹がだんだん小さくなっていって、
最後にはほぼ平らな状態になって鏡のようになるので鏡面加工というのですが、
最後の段階で、傷でもない、凸凹でもない、
霧がかかったようなボケが出ることが稀にあったのです。
これを取ろうと超微粒子を使って、
細かい目のスポンジを使って、ポリッシャーの回転速度を上げたり下げたり、
抑える力をうんと弱くしたり、パウダーに霧吹きで水を加えたり、
いろんなことをやって「ボケ」を取ろうとするのですが、
ボケが取れないどころか、余計にボケがひどくなったり、
深夜、どうすればいいのか分からなくなって、
泣きたくなるような気分になったものです。
そんな時「手を変える」と、ぱっとボケが消えることがありました。
「手を変える」とは、ただ単に磨く”人”が変わることで、
決してうまい人に変わるということではありません。
誰でもいいから、違う人にちょっとだけ変わってみると、
今までの苦労が嘘のように、不思議にボケが消えてしまうことがあるのです。
人が変わることによって、力のかかり具合が微妙に変わるのでしょうか。
うまい下手にかかわらず、人が変わるだけで解決してしまうことがあります。
いまだに、あのボケがなんだったのか分りませんが、
“人”、”手”を変えることによって一挙にボケが消えることを経験してから、
他のことでも、
何かで行き詰ったら「手を変える。」ということをよくやるようになりました。
何かの仕事を進めていくうちに、
どうしても解決できないことや困難があったら、
同じ人が、同じ発想で、同じ能力をもって、
“もっと頑張る”のではなく、
躊躇なく、
”手”を変える、つまり”人”や、”手法″や、”発想”や、”方向”を変えると、
意外なほどうまく行くことがあります。
それは今までの経験の中で何度もありました。
「ボケが出たら、手を変えると、簡単にボケが消える。」から学んだことです。
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