2016年03月09日(水曜日)
3.09.私は正真正銘の”小物“です。
私は、会社の代表印はすべて自分で押します。
代表印は、代表取締役自身が「承認した。」という意味なので、
代表取締役の私が押さなければ、その意味がありません。当然です。
しかし、その昔、昔、
以前の管理の部署の責任者が、
「社則に、何かがあれば取締役管理部長が会社の代表印を押すことが出来る。とあり、
社長のお手間をおかけすることはないので、私が責任を持って押します。
何かおかしなことがあれば報告しますから、信用いただいて任せて下さい。」と、
私は代表印を押すことが無くなりました。
そして色々あって、
後任の責任者が出来た時、今度は、
「前任の責任者から、この会社では、
代表印は管理の責任者が押すことになっていると引き継ぎました。」と、
またしばらく、代表印を押すことなく、
代表印と銀行員が一緒になっていて、
銀行の出金伝票などに捺印が多いこともあって、
管理の責任者がどんな書類にも代表印を押していました。
その人も「変な会社だなぁ」とは思ったそうですが、
私もずっとこれはおかしいと何度も話しましたが、
この変な習慣は「社長が会社の幹部を信頼する大物の証」として、
くだらない太っ腹論が根を張っていたのかもしれません。
しかし、
当然のこととして、代表印は代表取締役が捺印する以外にあり得なく、
会社が株式上場を目指す頃になると、
規則として、代表印は代表取締役が押さなければならないと決められて、
私が捺印しても、捺印した書類が何であるかを記録して、
私がその記録にサインをする仕組みになりました。
社長として幹部を信頼して代表印の捺印を任せる”大物“ではなくなったわけです。
私は自分の代表印の捺印を幹部に任せず、
自分で捺印をする”小物“の代表になった訳ですが、
バカバカしいくらい当たり前のことです。
コーポレートガバナンスは、当然のことがいっぱい書いてあります。
コーポレートガバナンスの観点からしても、
「上司が部下を信用して、いちいち聞かずに部下に仕事を任せることが大物」
なんてことはありません。
そんな者は大物でもなんでもなく、職務に対して無責任であるだけです。
上司は、部下の行動と結果に責任を持つだけでなく、
上司は、部下のいちいちの言動に責任を持ち、
キチンと責務が果たせられることに責任を持つことが当然です。
だから、部下の仕事の言動のすべてを知っていることは、上司の責務であり、
顧客に対する義務です。
ITが発達した現代では、コミュニケーションを共有することで、
それを果たすことが出来ます。
私は、気が付いたら、ものすごく細かい事に口を出します。
若い社員が書いたメールの単語の使いかたにまで、口を出します。
私はこの会社の仕事の最高責任者なので、
すみずみの細かい事にまで、細心をはらいます。
正真正銘の“小物”です、
細かい事は気にしないような太っ腹の大物ではありません。
どんなに社員が多くなっても、すべての社員に関心があって、
つまらない事まで憶えていて知っています。
私は正真正銘の小物です。
仕事は、「任せた事」に字は似ていますが、違うので、
キチンと社員のすべての言動と結果に責任があるので、
“知らないこと”を徹底的に嫌い、知っていることで、いつも気を配って
責任を果たします。
会社が大きくなって、社員が多くなってくると、
多くの部下を持つ幹部が“大物”になって、
責任を持てないことまで任せて、知ろうとせず、
自分が知らないことを信頼の印と勘違いする者が出てきます。
「君だけに言うけど、・・」「私だけに言ってくれた・・」が好きで、
魂が閉鎖的になります。
細部に気が行かない大物は、ただ鈍くなっているだけのでくのぼう。
昼ごはんは、いつも、自分の経営するコンビニ、
セブンイレブンの、新メニューを試食するのだそうです。
鈴木CEOは。
私は正真正銘の小物で、
虫のように地面を這い、やることも細かいけど、
鳥のように広く見ることも、魚のように潮目を見ることも、少しだけ出来ます。
特に、お客様の気持ちが時々、ズキっと解かることがあります。
人々の多くが小物であるように、喜んで私こそは正真正銘の小物です。
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