2016年10月19日(水曜日)
10.19.・・・に見られたい。と思ったことはない。
私の左足は、
ドイツのマイスターが造ってくれた魔法の靴に守られています。
しかし、最近、困ったことに気が付きました。
足首の内転が進行しているようなのです。
ポリオの後遺症が残った左足は、細い骨で構成されており、
内転している足首の全体を
魔法の靴内側のグラスファイバーとクッションでくるむように支え、
歩けるようになっているのですが、
調子がいいので調子に乗って動き回っている間に、
内転の度合いが、この靴を使い始めた頃より進んでいるような気がするのです。
この足は使うことによって鍛えられることはありません。
使えば使った分だけ変形が進んでしまうだけで、
この魔法の靴は現状を著しく改善はしてくれていますが、
治療をしてくれている訳ではないので、それを忘れてはいけません。
私の日常は一歩一歩の痛みとの折り合いです。
何十年間もそうです。
でもこの痛みは他の誰にも分りませんので、
いちいち痛がっても何の足しにもならず、何の解決にもならないので、
「ま、いいか」で、出来るだけ無視します。
すると、何かの物事、特に仕事に集中している時は、まったく感じません。
だから、この足は私につきまとってきますが、
私の人生に大きな影響を与えているようなことはありません。
関係ありません。ただ、痛いだけです。
ただ、これが私の弱みであることは身に染みて知っているので、
出来れば他に気付かれないようにしたいと潜在的に思っています。
しかし、二三歩歩けばすぐ分ってしまうので、隠そうとは思いませんが、
出来れば分らない方がいいなとは思っています。
しかし雑踏の中を歩いている時は、
むしろ居直った気分で、びっこを引きながら”どけっどけっ”の気分です。
しかし弱味というものは微妙なもので、
気付かれたくないという気持ちと、
誰かが気づかってカバーして欲しいと気持ちと、
同情して余計な事をして欲しくない気持ちと、
入り混じって、自分でも勝手なものだと思います。
しかし、だからなのか。
自分が大きな弱みを持っていると思っているからなのでしょうか。
若い時から、金持ちに見られたいとか、
カッコよく見られたいとか、
ほとんど、思ったことがありません。
31年前、独立して会社を創った時、
一応、私は”社長”になった訳なので、
ホステスさんがいるような店で、
社長の名刺を見せたら”もてる”だろうな。
チヤホヤされるだろうなと思って、真っ先にキャバレーに行ったのですが、
どうしてなのか全くチヤホヤもされず、”もてる”こともありませんでした。
たぶん、社長なんてのは、
1人だけの会社でも、1人の社長がいる訳であり、
社長を名乗る奴なんざ掃いて捨てるほどいるので、
ホステスさんもいちいちチヤホヤなんてやってられなかったのでしょう。
キャバレーでの社長の名刺の威力の無さに、
私はがっかりして、懲りて、
31年前のあれ以来、キャバレーなどの飲み屋さんで、
”もてる”ことを期待して名刺を出すことは一度もなくなりました。
あれがトラウマになったのでしょうか。
私は女性のホステスさんに”もてる”ことは、金輪際ないと思っています。
こんなことはどうでも良いことですが、
いずれにしても、
私は・・・・に見られたい。と、思ったことがほとんどありません。
あったとしても、思い出せません。
自分を自分以上に見られたいと思わないし、
それどころか、
自分の本当の姿を判ってもらいたい、
自分のことを知ってもらいたい。
自分は・・・なんです。・とも、まったく思わないのです。
どこから見ても、
ただの太った初老のおっさんにしか見えない自分を、
それでいいと思いますし、それ以上になりたいとも思いません。
私は見たままのデブのおっさんです。
それで十分です。
車好きで自動車はずいぶんわがままをさせてもらいましたが、
その自動車が好きで乗っただけであって、
その自動車に乗っている自分がカッコイイと思って乗ったことはありません。
他人がカッコイイ自動車に乗っているのを見ても、
そいつ自身がカッコイイと思ったことはないので、
自分もそんな事がある訳がないので。期待もしません。
ましてや、自分以上の自分に見られたくて、
高価なものを身に着けたり、持ったりすることもありません。
他人が自分を自分以上に見たとしても、何の意味もないからです。
ただ、弱味があって、少しだけ普通ではないので、
弱味が解消して普通になれたらどんなにいいだろうと思ったりはします。
しかし、どうでもいいことです。
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