2019年04月05日(金曜日)
4.05.本当の意味「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」
「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」とは、
生まれた時に人に与えられた機会は、
すべてに均等であるべきとしたのは、
民主主義の基本であり、
全ての人が同じく機会を与えられるべきで、
しかし、
大人に育つ段階で、勉強をするかしないかは本人の自由、
本人の選択するところであり、
その結果、
賢人になるか、愚人になるか、
富んだ人になるか、貧しい人になるか、
その差が出来るのは当然であるとして、
むしろ、積極的に、
賢人と愚人の差、富む人と貧しい人の差を是認している。
だから「学べ」「学び続けよ」と学問のすすめとしている。
「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」とは、
一見、原始共産主義的に聞こえる部分があるが、
そうではなく、
根本の部分、生まれた時点においては、
全ての人が、人として平等であっても、
その後、育っていく過程において、
如何に学ぶかよって、その差は大きく着くものであり、
如何に学かはすべての人に平等に与えられた自由である。とした
明快な言葉である事は間違いない。
しかも、これは人が幼少から学生までの成長の間の、
学校においての「お勉強」にとどまらず、
大人になって、社会に出てからにおいて、
実践的かつ実戦的にその人が「学ぶ」力が有るかどうかで、
むしろ、学生時代の「お勉強」よりも、
社会において、
いかに学び実践的な力を身に付け、発揮することが
賢人、愚人、貧富の差を大きくしていくものだ。
そんな例をいやと言うほど知っている。
逆に、その学習をやめる瞬間もある。
「もう解かってしまった時」である。
自分がある程度上のポジションになった時、
自分が「上の人」と認識した時、
自分が「偉い人」と認識した時、
自分が「立派な人」と自覚した時、
自分は上にいるので、
周りから学ぶべきものが見えなくなって、学ぶことを止める。
せっかく幸運にも良いポジションに着いたのに、
それがかえって裏目に出て、
学ぶ事を見失ってしまうと、その人はそこですべての成長が止まる。
そんな人も、いやと言うほど見てきた。
成長する組織の中で、
上のポジションを与えられることで、
より上の学びの機会を得て、学んで、より成長する者もいれば、
上のポジションに与えられたことによって、
うっかり勘違いして、威張り、偉ぶって、
あるいは、ばかっ丁寧な言葉を使いだして
本当の素直な謙虚さをもって学ぶことを見失ってしまう者もいる。
むしろ、こういう人の方が多い。
多くの人が、簡単に、解かってしまい、高慢に転げ落ちて行く。
思い出そう
「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」
おじ機会をもって生れて来た自分が、
「学ぶ」ことによってここまで来れたのだから、
だからこそ、
もっと学ばなくてはならない。
自分はまだ何も解かってなんかいない。
まだ、ぜんぜん知らない事ばかりで、
もっと知りたい。もっと出来るようになりたい。
せっかく天が、
人と同じ機会を与えてくれたのだから。
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