2021年01月15日(金曜日)
1.15.私が仕事をやめたくないわけ
道路を車で走っていて、助手席に座っていた連れ合いが呟いた。
「あれっ、あの人、○○さんじゃないかな。ものすごく老人になってる。」
その人は私より10歳くらい年上だが、
5年くらい前まで、ガソリンスタンドで現役で走り回っていました。
私もあの人みたいに健康でい続けたいと思っていたのですが、
ガソリンスタンドを5年前にやめて、
ご本人も仕事が無くなったのですが、
その5年間に、一挙に10年以上もいっぺんに歳を取ったように、
ぱっと見た目から、いかにも老いぼれてしまっていたのです。
5年前まで現役で走り回っていたとはとても思えません。
私も仕事をやめてしまうとあんな風に老いてしまうのでしょうか。
その変化を目の当たりに見てしまった私達は、しばし無言になりました。
そういえば、二年前に腰の手術を受けてしばらく動けなくなった時、
しばらくと言ってもたった五日間ぐらいベッドに寝ていただけで、
足の筋肉がはっきりと判るぐらい弱くなったことがある。
リハビリテーションで復活しなければならないのだが、
それをいい加減にしたツケはいまだにあって、
運動能力は手術前にはまだ戻っていない。
週に二回、レストレーションという復活の為のトレーニングを受けているが、
それでも、上半身と体幹の筋肉は戻ってきても、
元々不自由だった弱い左足は、まだ元に戻るまでにはなってしない。
「動かない」ということのダメージは、
全く想像できないくらいに大きいもののようだ。
だから仕事を辞めたくないとするなら、
仕事は健康のための運動代わりで続けたということになるが、
それは、いかにも身勝手というものでしょう。
もちろんそんな効果もあるのでしょうが、
そんなことよりも、頭が動かなくなるのがもっと嫌なのです。
今まで仕事をしてきて、それなりの成果を出してきたが、
今度は、その成果を活かして、
自分の価値観で決めたやるべきことをやり遂げたい。
そうしてこそ、ここまでやって来た甲斐があるというものです。
しかしそれが、これからその段階に入るぞ。という時に
頭が動かなくなって、
自分がしっかり持っていたはずの価値観も鈍くなって、
やるべきことが出来なくなっていたら、それは悔しい事で、
これまで一生懸命働いて、ここまでやり遂げてきた意味が無くなる。
私は社会的にはそれなりの成功をして、自由になる財もある。
しかしそれが目的で頑張ってきた訳ではなく、
富を散財して贅沢をしたいなどとは全く思わない。
私は贅沢が似合わないし、贅沢を楽しむ価値観も能力もない。
贅沢な食べ物は太るし、健康にダメージをすぐにくらうので無理だ。
贅沢な服装は、絶対に似合わないことは本人が一番知っているし、
だいいち、服を選ぶことは何より嫌いで苦手だ。
乗りたい車に乗れれば、それで十分なぜいたくで、他には何もない。
やりたい事は、大体決まっていて分かっているが、
頭がボケて、意思が無くなったら、結果として実現しないだろう。
だから体の健康だけでなく、頭の健康と意思の明確さを、
しっかりと維持して行く為にも仕事はやめたくないのです。
もちろんそのことが、
この会社のより発展と進化の為に役立つことが必要で、
今以上に、私は一生懸命働くことが必要です。
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