谷 好通コラム

2022年05月28日(土曜日)

05.28.明日の鈴鹿戦は優勝しそうなので、明日の話を今日書きます。

今日のLABOはカンブリアの影響で忙しく、すごい実績報告が次々来ます。

それにも増して大きな影響はKeePer PRO SHOPで、

前週の3倍のコーティングと予約があったというPRO SHOPの話も聞いた。

すごい事になって来たものです。

しかし、それはそれとして、

明日は、

スーパーGT第3戦の鈴鹿戦です。

前の富士戦では最初トップを走っていたのに、不運な最後で悔しい結果でした。

しかしこれで、第1戦の岡山戦も含めて今現在ポイントはゼロなので、

当然、ウェイトハンディもゼロ。

優勝を狙える車の中では唯一のウェイトゼロで、

ライバル社よりも圧倒的に軽い車重で、この鈴鹿戦を戦う事になっている。

案の定、今日の予選では、

我らが#37KeePer TOM’Sは2位という絶好のポジションを得た。

しかも1位は#19 Weds sportなので充分に勝負になる。

だから、明日は#37優勝の確率が高い。

だから、明日は、鈴鹿戦の優勝の事を書かなくてはいけないので

明日書くと前話で書いた話を、今日、書いてしまう事にします。

明日予定していた題名「私が引退する時の決まっているストーリー」の話。

「私は死ぬまで働いて、バタンと倒れ、そのまま死ぬ。」と、

最近は、そう言っていますが、その前、

まだ、会社が上場する前、それどころか、

二十年ほど前から、酒を飲むたびに言っていた話です。

 

フィクション「稚内の安宿の薄っぺらな布団に包まれて」

 

谷 好通は仕事が大好きなので、

70歳を越しても、75歳を越してもまだ仕事をしている。

それも、いまだに細かい所に首を突っ込んで、

いちいちグチグチと文句を言う。

老害そのものだ。

 

しかし皆が迷惑をしていても、知ったことではない。

「この会社は、俺が思ったように造って、思ったように育て上げてきた。

だから、俺が好きなように潰したって、誰にも文句は言わせん。」とは、

迷惑を通り越して、ほとんど犯罪的な存在だ。

 

しかし、ある時、自分の孫ほども若い可愛いおネエちゃんと縁があって、

谷 好通はいい年こいて、そのおネエちゃんに夢中になり、

仕事をほったらかして、

とうとう「駆け落ち」をしてしまったのです。

おいらくの恋は、悲しいくらいに切なくも、はかなく、

しかし谷 好通は、人生の中で、

最も華やかな成功の日々よりも幸せだったのです。

 

流れ、流れて北の最果ての街「稚内」に流れ着いて、

無情にも持ち金は使い果たし、

会社幹部から止められていたクレジットカードはどれも使えず、

一文無しと同じになった谷 好通は、

真冬のある日、その若いお姉ちゃんにも愛想をつかされ、

逃げられてしまいました。

 

次の日、

稚内の寒い隙間っ風が入る安宿に一人取り残された谷 好通は、

ぺらっぺらの薄い綿布団にくるまって震えて寝てしまい、

体温を奪われて、翌朝、静かに凍死していたのです。

でも、谷 好通の死に顔は、とても安らかで幸せそうでした。

 

 

三十二才で独立してから、仕事のことしかまともに考えず、

一年365日、仕事ばかりして満足していた私は、

昔、こんな仕事男とは正反対の堕落した人生の終わり方に

変な憧れのような思いを持って、

酔っ払うと、大笑いしながらよく話をしていました。

 

今はもう、こんなバカな話を全くしなくなったのは、

それどころではなく、

輪をかけて仕事が面白くなっているからなのでしょうか。

 

それとも、不意に、

駆け落ちしたくなってしまうような可愛いおネエちゃんが、

まだ、現れてくるのでしょうか。

 

でも駆け落ちは、もう面倒臭いので、絶対しないと思います。

昔は、何度も話をして大笑いしてきたこの話も、

面倒臭いので、もうやめときましょう。

 

 

では、明日、鈴鹿で優勝を見届けてきます。

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2022年05月28日(土曜日)

05,28.あの相談の行列は、ほんとに「面倒くさい」のです。

カンブリア宮殿の画像の中で、

会議室のドアの外に出来る行列の場面がありました。

あれは、あの場面を「造って」撮影したのですか、

造ったと言っても、無いものを捏造したわけでもなく、

人数は大抵の場合もっと少ないですが、ああいう場面は実際にあります。

というより、

皆、あんなに行儀よく並んで待っているのではなく、

私の姿を見ると押しかけてきたり、エレベーターで待ち伏せされたり、

色んな部署の奴が喫煙室にドカドカと入ってきて

「ちょっと見て欲しい」「相談いいですか」と、無茶苦茶です。(楽しいのですが)

 

しかし、彼らは、

何かの許可をもらいに来たり、

指示を仰ぎに来ている訳ではなく、

ただ、本当に相談や報告(ほぼ世間話?)を、しにくるだけです。

そんな時は、細かい事まで言って応えますが、

皆は、その通りにするかどうかは判りません。

というより知りませんし、いちいち憶えていません。

特にデザイナーたちは、

私が何をどう応えても、

「○○○にした方がいいと思ったので、こんな風にしました。」と、

平気で私の答えをボツにして、自分が良いと思ったように書いて来ます。

だから、私は受けた相談に乗って、意見を言っているのであり、

決して指示をしているのとは違うのです。

 

あの番組の中での相談の行列場面を見た方が、

「この会社では、あんな細かい事までいちいち代表の許可がいるのか」と、

心配をされていましたが、

ご心配なく、私がそんな面倒臭い事をする訳がありません。

 

私は、起業以来、何から何まで全部知っていなければ気が済まず、

何から何まで自分が考えて、指示して、

指示通りに事が進まなければ気が済まない、いわゆるワンマンでした。

 

社員の顔と名前も一人残らず知っていて、

給料から何から何まで見て、知っていました。

しかし、

社員が300名越した時分から目が届かなくなり、憶えられなくもなり、

面倒臭くなって、手を抜き、何気なくサボるようになってから、

かえって会社の物事が早く進むようになって、

私も、こまごましたこともあまり考えず、気を八方に配る事も無くなって、

かえって、物事を大局的に考えられるようになったみたいで、

物事が非常にうまくスムーズに進むようになったのです。

 

もちろん、その頃には新しく社長と専務の経営陣を決め、

会社運営の執行を全権委任するようになっていたので、

私は「面倒臭い」を連発して「手抜き」しても許されるようになっていました。

その方が、本当にうまく行くのです。

(その頃、私も体を壊したのでちょうど良かったのですが。)

 

それから、面倒くさがることに味をしめて、

あの行列のような相談の時でも、

「面倒くせいな。」と、ブツブツ言いながら応えているのです。(ほんと)

 

そういう意味で、この会社は私がいなくなっても本当に大丈夫なのです。

仕事を面倒くさがる手抜きがいなくなるだけで、

デザイナーたちも相談相手がいなくなって、

彼らが、もっと自分で考えるようになるだけです。

 

次の話では、昔から決まっていて、古い人なら知っている

「私が引退する時の決まっているストーリー」をお話しします。

 

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    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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