2023年03月21日(火曜日)
03,21.スポーツの試合で大声上げたのは久しぶりでした。
今日は午後からの仕事だったので、午前中は自宅にいて
週に二度のレストレーションという名の
年配者向けトレーニングを午前8時から受けていたのですが、
WBCの準決勝をやっていると聞き、
トレーニングをさぼりながらTVを見てしまいました。
私は特に野球が好きというわけでもなく、贔屓のチームもないのですが、
国別の対抗戦というのは、オリンピックと同じように妙に力が入るもので、
準決勝の試合が7回、8回と進んでくるにしたがって
トレーニングをほっぽらかしてトレーナーと一緒に盛り上がってしまいました。
そして、9回裏、
日本が劇的なサヨナラ勝ちを聞いた時には、
つい、大きな声で「やったー、勝ったーっ」叫んでしまったのです。
人類はみな兄弟、とは、
どこかの政治(宗教?)団体?ではありませんが、
世界中の人類のみならず、あらゆる生き物が
世界中で平和に暮らしていければいいと本当に思っています。
しかし、
日本×メキシコの準決勝戦では、
自然に日本チームを応援して、
日本が得点すると「ヨシッ」と思って喜ぶし、
メキシコが得点すると「クッソー」と思ってガッカリします。
今、メキシコから派遣されてきて、
愛知のLABO店舗で技術研修をしているメキシコ人スタッフがいます。
当然、メキシコ人なので
テレビでメキシコと日本が戦って
日本チームが勝つと皆が大喜びしている様を見て、どんな気持ちでしょう。
と言っても逆に、みんなが彼女に気を使ってコソコソ喜んでいたら、
かえって、彼女は気まずいでしょう。
だから多分、
そんな事は気にせずそれぞれが自国のチームを応援すればいいのでしょう。
ナショナリズムは戦争の元凶として、
戦後、国粋主義者が徹底的に排除されましたが、
1964年のオリンピックでは日本国中が
日本人選手と日本人チームを熱心に応援して、
日本人が金メダルを取ると、日本国中が爆発的に喜びました。
当時、12才の小僧だった谷 好通も、
女子バレー日本チームが優勝した時の興奮のテレビは今でもはっきり覚えています。
戦うと、競うは違うということだとは分かる。
競うは、
相手を負かすことはあっても殺しはしないが、
戦うは、
相手を殺す。さもなくば相手に自分が殺される。
だから、
競うは平和的で良いことだが、戦うは殺人を伴うので悪ということだろう。
しかし食物連鎖が、
強い者が弱い者を殺して食う事を、悪い事としていないし
「殺す」事そのものは自然の中では当たり前であることを示している。
そこには悪も善もない。
しかし食物連鎖としては
同じ種の間で殺し合うことをしないし、
人間のように、人と人が自分の意志ではなく権力者の強制で殺し合う現象は
明確に食物連鎖ではないので、自然の摂理からは外れており
だから、人と人が権力者から命じられて殺しあう戦争は、
自然の摂理とはかけ離れた異常な現象で、明らかな悪と言える。
なんてことを、
WBC準決勝戦で日本チームを夢中で応援して、
大逆転で勝って、大喜びをしている自分のことを思いながら、
午後からの会社行くまでの隙間のような時間にボーっと考えてしまいました。
人間も動物も、みんなが仲間です。
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