2023年04月29日(土曜日)
04.29.記念の6666.、連休初日、雨、KeePerラッシュ、大胆改装。
今日、4月29日は「海の日」
昭和天皇の誕生日で、昭和の時代は「天皇誕生日」として祝日だった。
その昭和天皇が「ハゼ」の研究で有名だったので、
それにちなんで、
昭和天皇が亡くなった後も「海の日」として祝日を残した。
そのおかげで
4月から5月にかけてのゴールデンウィークが今も成立している。
その4月29日は、私の亡父の誕生日でもある。
大正15年(1926年)4月29日、
1926年は、大正15年であると同時に昭和元年でもある。
だが、大正15年は12月25日まで続いたので、昭和元年は6日間しかない。、だから、昭和元年生まれの人は極めて希少であり、私もまだ会ったことがない。
父が1926年生まれだということは、
今も生きていれば、今日97歳になったということになる。
実際には75歳で亡くなっているので、あれからもう22年経ったということ。
かつ、私は3月18日に生まれて今71歳なので、
父が25歳の時に私は生まれたことになる。
そう考えると、あまり意味はないが感慨深いものがある。
しかも、その上に、
今回のこの話で、6666話目になる。
2001年1月に書き始めたので22年と4か月で6666話。
むむむむ。である。
その記念の日、私はやることがないので昼間っからこれを書いている。
ゴールデンウィーク初日の今日、雨は降っているが、
どこのKeePer LABOも大変忙しいに決まっているので、
うっかり行けば邪魔になるので、おとなしく家でこれを書いている訳だ。
毎年、毎月思うのだが、KeePer LABOの店舗は、
際限なく忙しくなってきて、
それに先回りして技術スタッフを増員し、
ハードの手直しを、ブースの倍増や構造の手直しなどで精力的に続けたので、
どこが行きつく先か分からないほど、まだ伸び続けている。
ちょっと前までは、
ごく少数のトップ店舗の象徴であり、
みんなの憧れの1,000万円/月が、
いつの間にか、ごく当たり前に全店平均の普通の数字になりつつあり、
本当にすごいことだと、驚いています。
店が忙しいのが分かっていながらうっかり立ち寄って
スタッフたちの写真なんか撮ったりすると、本当に、邪魔なんだろうなと思う。
だから、私はおとなしく家でこれを書いている。
しかし、
雨でも降ってくれば、
予約なしの飛び込みのお客様の数が減るので、
少しは余裕が出来るはずなので、ちらっとぐらいは行ってみたいと思っている。
ということで夕方、家の近所のLABO大府店に自分の車を持って行った。
EXキーパー・メンテナンスと、
フロントガラス超撥水コーティングを依頼したのです。(もちろん有料)
LABO大府店は、自宅から5分もかからないのに、
近すぎるからなのか、かえって意外と立ち寄りません。
久しぶりのLABO大府店は、雨の中なのに、
6台分のブースはビッシリで、洗車をしている車までありました。
大府市は人口9万数千人、
その住宅街の普通の生活道路に位置するLABO大府店で、
7人のベテランスタッフが無理なく働いて、
平月に1,000万円までには届かないがというレベルに来ています。
マーケットの濃さと可能性の大きさが想像できるようです。
左から、広報担当のなかおさん、土日だけLABOに入っています。
2番目の木村チーフはお客様からすごいお褒めの投書が入るのです。
次に信頼のとぐちさん。大黒柱田口店長、技術が得意のごとう君、
メキメキ力をつけるわしお君、大府店が大好きなみんなから頼られるかわかみ君。
もちろん、このスタッフ達だからこそ成し得ているのかもしれませんが。
私の車はシルバーのVOLVO XC60初回施工からほぼ3年ぶりです。
意外だったのはフロントガラスの超撥水コーティングが
1年耐久をうたっているのに、2年半は十分に使えたことです。
間欠ワイパーを多用したからかもしれません。
今計画している大型改装計画。
何度か手を入れたのですが、中々いい結果を出せていなかったLABO東郷店。
諦めずに、今度は最後の覚悟で思い切った手を
本気で打って見ようとしています。
マーケットは絶対にあるので、失敗しているままでは絶対に済ませません。
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2023年04月29日(土曜日)
04.29.他人からの評価を幸せとするなら、それは自分の人生か。
「人は褒めて育てよ」とは教訓としてよく書いてあるが、
私自身は、褒められて嬉しいとは思わない。
私は私として
私自身の価値観を持っているし、
他人は他人で、
その人自身の価値観があるはずだ。
だから、自分とは違う価値観を持った人から、
自分の価値観とは違う尺度で褒められたとしても、私は嬉しいとは思わない。
へ理屈のようだが、私は本当にそう思う。
しかし、だからと言って「人は叱って育てるもの。」とはもちろん思わない。
人は”絶対的な価値観”を持てるものでないと思う。
だから、絶対的に正しい人もいず、
人を抑圧し殺して良い理由もなければ、それをしても良い正しい人もいない。
だから独裁者はその存在自体が間違っているし、
正しい独裁者という存在はあり得ない。
また人が唯一正しい存在、
最高の存在であるという訳でもないのだから、
人間の都合や勝手で、
人以外の種を滅ぼしてもいい理由はないし権利もない。
話がそれたので、戻す。
多くの人は褒められることを嬉しいことであり、誇らしいことだと思う。
それも、褒めてくれる人が上の方の人であればあるほど、
あるいは。公な立場から褒められると、さらに嬉しいしそれを誇りとする。
むしろそれが普通で、
私は、褒められて嬉しいとは思わないと書いたが、
きっと、私の方がへそ曲がりなのだろう。
多くの人が、上の人から褒められる事を進んでする。
それはおかしなことでも、
間違ったことでもない。
自分も絶対的な正しい存在ではないのだから。
他人の考え、評価を受け入れることは正しいし、そうあるべきだと私も思う。
しかし、他の人からの評価、
例えば上司から褒められることを”目的”にして、仕事をすると、
自分はそれでもいいかもしれないが、
褒められるのを目的にすることを受け入れられない部下、あるいは仲間は、
その人と目的を共有することは出来ないだろう。
本来、
共有すべき目的は、その仕事の目的そのものであるはずだ。、
仕事の目的とは
例えばそれが農業ならば、作物が良く実り、
それを食べる人が喜んでくれて、
その作物の売り上げで、家族やみんなの生活を支えることだろう。
しかし、
例えば、大昔の小作人は、
丹精込めて作物を育てても、
高い小作料や年貢を納めたら手元に残るのはほんの少しで生活は苦しい。
でも、その作物を誰かが、おいしく食べて
喜んでくれることが一つの救いだったと、何かで読んだことがある。
そういう小作人は、きっと、
庄屋さん、お代官様、お殿様から褒められる事を”目的”にして、
作物を造ったのではないのだろう。
もう一つ例えば、
他人からの評価でも、
それがお客様からの評価ならば、
仕事の目的が、お客様に選ばれ、買われ、
使って(食べて)喜んでいただくことで、そしてリピートすることだから、
それを目的とするのは、仕事の目的そりものだから、
仕事の仲間とも、上司とも、経営者とも共有できる。
しかし、
自分の上司が、
社長の顔色ばかり見ていて、
みんなで考えて、良しとして選択した物が、
社長の好みと機嫌だけでボツとされても、
その上司は何らの主張することもなく、隷属的に従ったとしたら、
その上司は、部下たちからの信頼はまったく得られないだろう。
他人からの評価そのものを自分の目的にする人とは、
いつも人の顔色を見て、
いつも人からの自分の評判を気にしてばかりいる人は
自分自身の価値観がないのではないかと疑ってしまう。
他人の価値観で自分が評価されることを
自分の目的にしていること自体が、
むしろ、おかしいことに自分は気が着いていない。
しかし、そういう人は意外と多い。
たとえば、
上の人(or権力)におもねり、従属的or隷属的になることで、
その上の人から可愛がってもらいたい(特別扱いして欲しい)と思う人がいる。
そういう人は、見え透いたご機嫌取りみたいなことを言ってきたり、
自己犠牲みたいなことをわざわざするので
気持ちが悪くって仕方がない。
だから、気が着かないふりをしたり、冷たくすると。
「報われない・・・。」と、つぶやき、
勝手に裏切られたと思い込んで、勝手に反撃してくる。
こんなのには、ずっと気が着かないふりをしてやり過ごすしかない。
逆に、
他人に対して、
とりわけ自分の部下に対して、
強圧的、支配的な言葉と態度で、自分に従属的にあることを求める者もいる。
普通によくいる。
いわゆるパワハラと呼ばれる場合に多いが、
言葉上では、注意深くパワハラになることを避けていても、
自分の立場が高くなったら、当たり前のように支配的になる人は普通にいる。
そして、必ず、そんな人の下には、
人から褒められ、可愛がられる事が大好きな隷属人間が、集まって来て、
組織はゴマすりと忖度ばかりの集団に堕ちて、一挙に弱体化する。
威張って、自分にご機嫌取りをするような人間ばかりを重用するような人は、
そこまでの人であり、
それ以上に上がっていくことはない。
逆に、そんな人をどんどん上にあげていってしまうような組織は、
内側にだけ強く、外には全く力のない弱い組織になって
遅かれ早かれ必ず衰退するか、破綻する。
他人の価値観での評価で、
自分の人生を決められたくないし、決めたくない。
自分自身の価値観で
自分で、自分を動かすことが出来る自分でありたい。
だからこそ、
自分が快楽を求めたり、利己に走ったりもせず
あるいは自分を絶対的な善であると勘違いするような独りよがりにならず、
自分が正しいと勘違いをせず、
公平な価値観を持ちたい。
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