2023年05月28日(日曜日)
05.28.AIが人類を滅ぼす訳ではないが、人は死にAIは生き残るか。
私は22年前の、2001年に
カティープン スピルバーグ監督作品「A.I.」という映画を見ました。
ちょうど、
私がこのブログ「谷 好通コラム」を書き始めたその年です。
この映画をどこで、誰と見たのかはまったく憶えていませんが、
映画好きの私が生涯のうちで一番感動したと断言できる素晴らしい映画で、
現実的な未来を見事に言い当てていて、しかも、その上で、
人類滅亡から2000年後、
人類を超越した生物ともいえる透明の軟体ロボットが、
何千mも深い氷の中から
2000年前の「人類を”知っている“<
最後の人型A.I.」を発掘して、
その記憶を読み取る中で
母とロボットの愛に感動するという哲学的な結末は、
不条理ではありつつ涙なしでは見られなかった。
そんな22年前の映画「A.I.」を思い出させられたのは
たまたま読んだ記事の文章があったのです。
その文章に私はすごく抵抗もありつつ、納得せざるを得ず
考えさせられる所が多いので解説などせず、あえて、そのまま載せたい。
東洋経済新聞の記事にあった。
題名 「技術革新はすばらしい」と考えるのは大間違いだ。
小幡 績 :慶應義塾大学大学院教授
前段、略
かつての娯楽は小説だった。
それが漫画になり、アニメになり、ゲームになる。
想像力を働かせる部分が減り続ける。
直接的に五感に訴えるから、思考ではなく反射だ。
だから、われわれの思考力は明らかに衰退し続けているのだ。
この結果、
コミュニケーション能力も低下し続けている。
想像力を働かせる部分が減り続けている。
(病的な妄想は、想像力ではなく、反射に基づく幻覚に近い)
その結果、
相手の気持ちがわからない、相手の立場に立てない。
だから、怖すぎてどうしていいかわからないから、空気を読む。
空気を読むとは、想像力ではなく、周りが自分に関心を持たないように
(反射的な意味での)、目立たないように、波風を立てないことなのだ。
要は、音を立てないで、反射的な反応による攻撃を避けるために、
死んだふりをしているだけなのだ。
この結果、コミュニケーションはゼロになる。
誰も、他人の気持ちがわからなくなっている。
この行き着く先は、自分の気持ちもわからなくなってくるということだ。
昨今、若者のボキャブラリー不足が指摘されることがある。
なんでも「神」になってしまう。
しかし、これは語彙力の問題ではなく、感情そのものの問題である。
感覚が鈍くなっているために、出来の悪い原始的なAIのように、
単純なパターン認識しかできず、
自分で自分の感情がわからないから、数個のパターンに当てはめる。
そして、これまでにない自分の心の動きを発見すると、戸惑い、
それにふたをして、既存のパターンに逃げ込むか、パニックになってしまう。
しかし、これは現在の日本の若者に限った話ではない。
人類の誕生から、いや人類がある程度「進歩」してからは、
人類は動物としての感覚、感性、能力をずっと失い続けているのだ。
言語の発明は「人類が人類たるゆえん」とされることが多い。
だがその結果、
言語に頼らなくては人間同士で意思疎通ができなくなってしまった。
言葉にしないとわからなくなってしまったのである。
AIによって思考を放棄、自ら滅亡の道を歩む
だから、動物の集団としては極めて能力の低い集団になってしまった。
協力ということも、動物たちは本能的にできるのに、
人類は契約やインセンティブに基づかないと行えなくなってしまった。
道具の発明により素手や素足の能力は衰え、
車が発達したことにより脚力は落ち、
機械の発明により職人の技術レベルは低下してきた。
コンピューターの発達により、
ブラックボックスとつき合うことに危機感を抱かなくなり、
1人では何もできないことになってしまった。
そして、いよいよAIによって、
思考することを自ら放棄することによる快楽と利便性に身を委ね、
自ら滅亡の道を歩むことに嬉々として群がっている。
カーボンプレートなしではマラソンを走れなくなったわれわれは、
裸足で金メダルをとったアベベ・ビキラ選手から100年も経たない間に、
動物としての能力を誰がどう見ても大きく低下させているのであり、
今や地球上で最も弱い動物になっているのである。
しかも、その弱い人間という動物が、
ほかのすべての生物を支配している(という錯覚に陥っている)ため、
ほかの生物の環境を壊し、自らも持続不可能になろうとしている。
新種の感染症の頻繁な流行も、他の生物の環境を破壊したことから来ているが、
これを自ら止めることはできない。
技術「進歩」を止めることができないように、膨張を止めることはできない。
これだけ繰り返せば誰の目にも明白だろうが、
技術進歩が善である理由はどこにもない。
良い技術進歩もあれば、悪い技術進歩もある。
そしてそれは、良いものを残して、悪いものを排除するということはできない。
なぜなら、
その技術進歩は目先の欲望や利益により求められて起きているものであり、
それを避けるという行動は人類にはできないからだ。
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