2025年05月27日(火曜日)
05.27.本日新店キックオフ2軒「LABO明治通 尾久店」「LABO名取店」
毎年、期末に近づくと新店のオープンが続きます。
期末土壇場での駆け込みオープンというか、何というか、
4月の新卒入社に合わせてと言うか、何というか、
結局、計画性の弱さと言うか、何というか、
いずれにしても、今年もまた期末のドタバタオープンが始まります。
今日は、その中の2軒がキックオフミーティングです。
実は、明日もまた2軒のキックオフミーティングがあるのです。
さらに、もう2軒のFC店のキックオフミーティングが予定に入っています。
でも本当は、もうちょっと前の計画では
6月までの新店オープンはもう5軒ぐらいあったのですが、
それぞれバラバラの事情で7月以降のオープンにずれ込んでいます。
計画性の欠如と言ってしまえばそうかもしれませんが、
今の時代の工事は、べらぼうに費用が高くなっただけでなく、
工期も全くアテにならなくなっています。
時代がはっきりと変わったことを感じさせます。
腰痛がまだひどいので。
両方のキックオフミーティングに30分ずつだけ出席しました。
1軒目のキックオフは、
東京北区の「KeePer LABO明治通り 尾久店」
2軒目のキックオフは、
宮城県仙台市の「KeePer LABO名取店」
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2025年05月27日(火曜日)
05.27.四歳の時に罹った災いに、ここに至って追い詰められています。
私は四歳の時(69年前)に、脊椎性小児麻痺(ポリオ)に罹りました。
当時はこれが深刻に流行していて、
抵抗力の低い子供が、数十人に一人ぐらいの割合で発症した時代がありました。
だから、
同じ学年の中には必ず数人は私と同じようなビッコがいたのです。
(ビッコとは差別用語で使ってはいけない単語だが、本人が使うのはいいだろう。)
ネットで調べてみると、
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脊髄性小児麻痺(ポリオ)は、主に幼児期に発症し、ポリオウイルスによって引き起こされる病気です。主な症状には、片麻痺や四肢麻痺、筋力低下、肢体の異常な成長、骨変形などがあります。治療にはリハビリテーションや手術、薬物療法が含まれ、予防には予防接種(ワクチン)が有効です。
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私の場合は、私の父が大好きだった”魚釣り”に着いて行って、
池の水(この時はため池でのフナ釣りだった)に、
感染力の強いポリオウィルスがたまたまいて、
その池の水で手を洗っておにぎりを食べ、私が感染したと父が言っていた。
ポリオウィルスは感染力は非常に強いのだが、
これが感染しても症状が出ない場合が多く、
この時は、抵抗力のまだ低い四歳児の私だけがたまたま発症したらしい。
(父はこの事をひどく悔いていた。)
そして、ある日突然、足の神経がマヒして、歩けなくなった。
その治療の為に、
とても小さな体の母は、体だけはデカい私をおんぶして、
毎日、数キロ離れた国鉄の共和駅まで歩き、
電車に乗って安城厚生病院に1年以上通った。
その治療は、マヒした足に電気の刺激を加える痛いもので、
私は通院するのをすごく嫌がったが、
共和駅でオモチャを買い与えてもらって、ようやく行ったらしい。
貧乏だった我が家は、家族の食費全体よりも
そのオモチャ代の方が高く、とても辛かったそうだ。
私はそのブリキ製のオモチャの山を、虚しく憶えている。
しかし、
そのおかげで、私は左足のひざ下からの萎縮だけで済んだ。
しかし、私は幼稚園でも小学校でも明確にビッコであった。
昔の幼稚園や小学校ぐらいでは、皆、平気でビッコをいじめ、
逆に、私はいじめられても平気だった。私は確かにビッコだったから。
しかしビッコであっただけで、私は何も劣る訳でもなく、
中学校ではたまたま試験の成績が良かったので、
先生からミコ(あからさまな贔屓)を受け、
それを同級生からいじめられた事の方が深刻であり、つらかった。
これには、いじめた奴の代表格と学期末に決闘し
暴力的に勝って、私は問題児にはなったが、友達は増えた。
中学校でも高校でもビッコは誰も気にせず、いじめにもならず、
運動会の50m走とマラソン大会で必ずビリになるだけで、それだけだった。
おまけに高校では勝手に柔道部に入って、
ビッコゆえの変則柔道で対外試合には滅法強く、
「黒帯」を取って、名古屋の市制大会ではベスト8にまでなった。
大学をやめて社会人になってからも、
それをハンディと思う事もなく、
それを理由にして自分の仕事を制限したことはない。
ただ妻と結婚する時、自分のハンディは詫びた。
社会人になってしばらく経ってから、
「身体障がい者」の認定を受けると、
自動車取得税と自動車税が免除になることを知って、
これはイイと、早速「身体障がい者4級」を取った。
(今はいろいろあって「2級」に出世?している。)
これはJRの乗車券も半額になるので、今でも便利に利用している。
カーレースにも出た。
最初はAE111「レビン」、
クラッチが着いていてクラッチワークに苦労したが、
その後は「電磁クラッチDSG」クラッチ無しの「ゴルフGTI」で、
全国のサーキットを何年も回り、何十戦ものレースに出て戦った。
私は学校の頃、
徒競走もマラソンも必ずビリだったので、
たまには、前を走る車を追い抜けるカーレースは、私の至上の快感だった。
32歳で起業し、激しく活動し、
日本全国をくまなく走り回り、世界の国にもいっぱい出て行って、
数えきれないほどの人とお会いして、
あらゆる活動に自らのハンディを感じさせることなく生きてきました。
しかし、
ここに至って行き詰っています。
ひざ下が委縮している左足は、足首の関節が徐々に変形してきて
歩きにくくなってきていたのですが
それはドイツの名人が造る装具の靴に助けれられて
活動範囲が復活したこともあったのです。
しかし、
ここに至って、
いよいよ変形が進み、一つの限度を越して
足を地面に着くだけで捻挫のような力が足にかかり
装具を着けても左足をまともに地面に着けなくなってしまったのです。
そこで「車いす」を多用するようになりました。
外での移動はもちろん。
会社内でも、家の中でも今は車いすを使っています。
それはそれで、かっこ悪いが、と割り切ればいい事なので、
どうって事は無いのですが、
車イスを日常生活の中で使い始めると、
体の下半身の筋肉がガクッと落ちて、腰を支える筋肉が少なくなります。
それを取り返そうと筋肉トレーニングをしていたら、
ちょっとやり過ぎたのでしょうか
5年前、手術を受けた「脊柱管狭窄症」が、
前よりひどい症状で再発?しているようなのです。
人は歩くことによって健康を維持しているところがあって、
私の場合、障害があった左足の変形が進んで歩くことが出来なくなったら、
下半身の筋肉がみるみる落ちて、それを補おうとトレーニングをしたら、
ちょっとやり過ぎて腰を痛めてしまったのです。
そうしたら、そこから破綻が始まったように全体がガタガタになって、
たぶん脊柱管狭窄の再発で
腰の激痛で起き上がることすら出来なくなってしまいました。
痛み止めの薬を服用可能なギリギリの量まで飲んでいるので、
短時間ならば、いすに座っていられるようにまではなっていますが、
あとは、何も出来なくなっています。
(これを書くのも短時間ずつ何回にも分けて三日がかりで書きました。)
とにかく医療の手に身を任せるしかなく、
自分では何もできなくなって、
ただ、ただ、じっと痛みと不自由を我慢しているだけです。
もちろん、腰痛が原因で死んだ人間はいないので、
復活出来るのは当然ですが、今は、
ただ、ただ、じっと痛みと不自由を我慢しているだけです。
多くの方に予定を変更して頂いたりして、
ご迷惑をおかけしています。
本当に申し訳ないのですが、
今は、とにかく医療の手に身を任せるしかなく、
自分では何も出来なくて、
ただ、ただ、じっと痛みと不自由を我慢しているだけです。
復活までにあと何か月もかかる訳でもなく、
いわゆるケガの一種ですので、
長くても、一週間、二週間レベルで復活出来るはずです。
どうかご容赦いただき、
よろしく、お願い申し上げます。
谷 好通
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