2025年06月27日(金曜日)
06.27.「ひょっこり男」に懲役1年の実刑判決と、ニュースで見た。
「ひょっこり男」に懲役1年の実刑判決と、ネットニュースで見た。
この男は、走る車の直前に自転車で「ひょっこり」と飛び出して脅かす
その車はびっくりして、その自転車に当たるまいとして急ブレーキを踏み、
その自転車に当たるのを避けるが、
その驚く様子を面白がって、
日常的にそんなことを繰り返していたという。
そのひょっこり男の危険行為は悪質とし、
しかも全く反省の様子もないとして1年の実刑判決が言い渡された。
しかし、そのひょっこり男は、
誰か他人を傷つけるような危害を加えた訳ではなく、
自分を相手に傷つけさせるような事をわざとして驚かせただけで、
他人を実際に傷つけた訳ではない。
悪質な行為だが
たくさんの人を”驚かせる”という迷惑な害を与えただけなので、
それが常習犯で、たくさんの人に迷惑を与えたにもかかわらず、
“たった1年だけ”の実刑だったとも言える。
このひょっこり男はきっと不幸だったのだと思う。
きっと、世の中の皆が自分を不当に不幸にしているので、
その”仕返し”として、ひょっこり行為を繰り返していたのではないか。
そして、そのたびに「ざまあみろ」と、つぶやいていたのではないか。
だから、
このひょっこり男は自分が悪い事をしていたとは全く思っていない。
だから、反省など全くしていない。
悪いのは世の中の奴らで、
自分はそれに対して仕返しをしただけ、
あるいは、世の中の悪い奴らに罰を与えていただけ。
だから、判決の中にあったように「反省の様子もない」。
では、このひょっこり男が悪人かと言うと、そうではないのだろう。
少なくともこのひょっこり男は、自分を悪い人間とは思っていない。
少なくとも、
このひょっこり男は、
昔、イイ子であろうとした事もあったし、
みんなから喜ばれる存在であろうとしたか、
そう振る舞ったかもしれない。しかし、
誰もそれを認めて(誉めて)くれなかったし、結果も出なかった。
自分は、みんなの為になろうとしたし、喜んでもらおうともしたが、
誰も喜ばなかったし、
誰も、自分を必要としなかった。
だから、自分に出来る精いっぱいの仕返しである「ひょっこり行為」を、
あるいは自己主張である「ひょっこり行為」を繰り返したのではないか。
誰もが、人から必要とされる自分でありたいと思うし、
自分の存在を認めてもらいたいと思っているだろう。
しかし、
それが出来ない時、
自分を必要としない他人に対して仕返しをしようとするのではないか。
そんなことを、
「ひょっこり男」に懲役1年の実刑判決のニュースを見て、考えたのでした。
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