2025年07月26日(土曜日)
07.26. 富士山の写真いっぱいあるよ。
昨日、2か月半ぶりに東京に行く時、
新幹線の中から富士山を見るのが楽しみだったのに、
富士山のところだけ雲がすっぽり被っていて、見えなかった。
星占いは良かったのにすごく残念だったとこのブログに書いた。
そうしたら、静岡の人が
「富士山の写真いっぱいあるよ。」と8枚も送ってくれました。
私は、このブログを始めた24年半前の当時は、
このブログにも、誰でも何でも言える掲示板を付けていました。
当時はアクセス数も少なかったのですが、
それでも毎日誰かが掲示板に何かを書いてくれて、
私も欠かさず返信を書いたのですが、
中に、匿名だとまるで人格を失ったかのように、
人を傷つけるような悪意に満ちた事ばかりを書く人もいて、
それにまともに対応していると、消耗し、ツラくなったことがあってから、
掲示板を外してしまったのです。
人は、匿名で、自分を隠せると人が変わったように狂暴になることがあります。
普段は、どちらかと言うと控えめで、
人にご機嫌を取りに来るような人でも、
匿名になると突然、
自分の人格を失ったかのように
無神経に人をなじり、残酷にそしって、無礼に、
自分はいかにも大物(あるいは絶対的な善人)のように言う人がいます。
そんな人からのバッシングで自殺する人もいて社会問題になっています。
私はそんな(自殺に追い込まれてしまうような)繊細な神経は、
良くも悪くも元々持っていませんが。
しかし
「富士山の写真いっぱいあるよ」というのは、
初めてかもしれません。うれしいですね。
毎日誰かとお会いする機会があって、
その中には「ブログ読んでいますよ。」とおっしゃって頂くこともあります。
毎日多くの方にお読みいただいてありがたいと思います。
そして、たまには、こんな嬉しいレスをいただくと、本当に嬉しいものです。
このブログを続けることによって
何か深く伝えたいことがある訳ではありませんが、
自分の考えを文字にする事で、
自分自身も考えがまとまり、新しい気付きもあったり、
多くの人から共感をいただいたり
仕事の上でも大きな力になっています。
また自分の間違った認識も、文字にした時に初めて気が付くこともあります。
あるいは、ここに書いたことによって、
人から間違いを指摘されて正す事が出来たり、
私の生活と仕事にとっても、もう欠かす事の出来ない存在になっています。
年取って体が不自由になり、
PCに文字を打てなくなったら、とても寂しいと思います。
それでは早速、
いただいた富士山の写真7枚とご愛息の写真まで、
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2025年07月26日(土曜日)
07.26. コソコソすればする程、ボロが出てくる。
とある犯人が、
犯行現場に証拠を残してしまったのではないかと不安になって、
犯行現場に確かめに来たところを、
被害者に見つかって捕らえられた。
あるいは、張り込んでいた警察官に捕らえられる。
そんな
「犯人は、かならず現場に戻ってくる。」とは、
何かに書いてあったことを前に読んだことがあります。
あるいは、
自分で悪い事をしたと自覚のある者は、
その悪い事をしたのは自分ではない。と、わざわざ言いたくなるのだそうだ。
あるいは「犯人は○○だ」と、
いなくなった人間を犯人に仕立て上げようとする。
そんなことをしなければバレなかったものを
わざわざするのでバレることになる。
いかにも、三流推理小説に出て来そうなストーリーだ。
しかし、困るのはその犯罪が愚行過ぎて、
その犯人をよく知っている者にしか信じられない事。
その犯人をよく知っている者ならば、
その犯人らしいバカバカしさであっての
いかにもその犯罪であると理解できるのだが
その犯人を知らない人には、
その犯罪が愚行過ぎて。
そんな事をする者がいること自体を信じられない。
しかし、その犯人が、
証拠を残していないか不安になって現場に現れたことで
全てのつじつまが合って、
犯人が彼であると判ったとしても、
それを実証する事とは別なので、
その後、
どう扱うべきか。
実証するために彼を追い詰めて問い質すのか。
更なる証拠集めを進めるのか、
あるいはすでにある証拠の精査を進めるのか。
はたまた、泳がして、さらに尻尾を出すのをじっくり待つか。
三流推理小説ならば、
ここから
人々が思いもよらぬ奇抜な新証拠が出てくるか、
あるいは、
まさかと思うような証人がヒョコっと出てくるか。
あるいは、あるいは真犯人が出てくるのか。
三流推理小説”作家”ならば、
ここから
人々が想像もしないような驚きの結末を、一生懸命考えるのだろう。
さて、現実はどうなるのだろうか。
「現実は小説より奇なり」とも言う。
面白いが、バカバカしい。
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