2025年08月14日(木曜日)
08.14. 我が心の暗黒の部分の話。
三十年以上前の話だ。
2軒目の店がオープンから1年間ガソリンを売れずに
洗車とコーティングだけで(正確に言うとタイヤ販売も少しあった)
1年間を食いつなぎ、その後、
コーティングの卸販売が始まって、
私と何人かの営業が全国を走り回り始めた頃、
1軒目の店、「JOMO(旧共同石油)高津波給油所」は、
順調に、ガソリンなどの石油販売が進み、油外収益も順調だった。
しかし、目の前にあった「ブランテ」という大きな喫茶店が急に廃業して、
その跡地に商社系の大きなガソリンスタンドが出来ることになった。
私達の「JOMO高津波給油所」は、たった150坪の小さな店だったが、
標準的店舗の3倍以上ものガソリンを売っていて、
油外収益の販売も優秀だったので、
コバンザメ商法的な意味で、
この繁盛して儲かっている店舗にくっついて
大きなガソリンスタンドを出す事にしたのか。
商社系のガソリンスタンドと言っても、
実際の運営は、地元の純朴な石油販売業者。
しかし、私は許せなかった。
私の店舗を脅かす形で出てくるこの店舗を絶対に許せず、明確に敵とした。
その敵の店は更地からの建設で
大きな商社の物件としてのSS建設なので、
建設地の表記の予定を見ると、ずいぶんゆっくりとした計画になっていた。
ならば、
こちらはすぐに今の店を壊して、
大急ぎでピカピカの新店を計画し、
設計して、申告して、超特急で建設してしまって、
(この店は元売関連会社からのリース。だから正しくは”建設してもらって”)
目の前の敵の店よりも一歩でも早くオープンして対抗しよう。
滅茶苦茶で、
建設会社にも元売さんにもとんでもない無理をお願いした。
今だったら絶対出来ない。
それでも「絶対に負けない」の一心だった。
そんな無茶は、沢山の人にご迷惑をおかけしながら、
沢山の人のおかげで、
奇跡的に、眼前の敵の店よりも1週間も早くオープンする事が出来た。
ひとまず勝ったのです。
眼前の敵の店名は「バナナステーション刈谷」と、工事の看板に書いてあった。
洒落た名前のつもりだろう。
しかし、ならば、敵店のオープンの景品は「バナナ」に決まっている。
だったら、一週間前にオープンする我が新店が、
先にオープンの景品を大量の「バナナ」として、
地元をバナナ漬けにしてしまおう。
しかし、これは、イヤガラセそのものではないか。
これには敵店は何の対抗策も打てず、無策のままバナナを景品でオープンした。
しかも、その店の燃料価格の看板は、
私達の店の看板よりも2円高かった。
というより私達は、敵店が出す値段より常に2円安く出したのだ。常に。
そんな、散々な目に合わされた敵店のオープンは静かなものになった。
また、とりあえず勝ったのだ。
敵店も、都度対抗して看板の値段を安くしてきたが、
敵店が下げた瞬間にこちらも下げて、
必ずこちらが2円安くなるようにした。
これは、私達が仕入れ値よりも安く売る事になっても絶対に譲らなかった。
眼前の敵店には1台もお客を行かさない気合で、
徹底的にやったのだ。
そして、その通り、眼前の敵店はいつもガラガラだった。
気の毒なぐらいガラガラで、しかも看板値段は絶望的な赤字価格が続く。
それに対して私達「JOMO高津波給油所」は、
以前よりも賑わい、出荷量は増えて、大繁盛だった。
1年ぐらいの不毛の戦いの後、
やがて、
敵店の純朴な地元業者は、失意のうちに撤退して行った。
我々が勝ったのだ。
しかし、この戦い
赤字価格で販売しての”売り勝ち”なのだから、
当然、赤字の金額ははるかにこちらの方が大きい。
まるで、自らを刺して出血の多さを競う血みどろの自傷戦争みたいなものだ。
しかし、それでも勝ちは勝ち。
しかし、
入れ替わりに次の運営者が来て、
また同じように自傷戦争のような救われない戦争を半年ぐらいやって、
次の販売業者も負けて去って行った。
また、出血の多さを競う血みどろの自傷戦争に勝ったのだ。
さらに、次なる三番目の敵は、
その商社本体直系の石油販売会社だった。
その資本力は底知れず、
いつまで自傷戦争をやったらケリが着くのか分からない。
お客様が来れば来るだけ赤字垂れ流し、血まみれの戦いがいつまで続くのか。
この時点でやっと私は戦意喪失し、
撤退を決心した。
こう書いてくると、私がその店頭で戦ったかのように聞こえるが、
実は、私はKeePerの営業と研修で全国を走り回っていて、
この戦争に、現場ではほとんど関わっていない。
(現場には若い店長とスタッフ達、そして妻を置いていた。)
この戦争での出血を埋める為にも、私は外で稼がなければならなかったのだ。
逆に言えば、
外での稼ぎ(KeePerの販売)があったから、あの不毛の戦争が出来たのだった。
一時期、私は、
全国を歩いてKeePerの優位性を説きながら、
自分の店は、眼前の敵と血みどろの安値戦争をやっていたのです。
眼前の二番目の敵に勝った後、三番目の敵が大会社の直系会社と知って、
戦意喪失、撤退を決意した私は、
私達の店の持ち主である元売関連の会社に「撤退」を、告げに行った。
「店に置いていた妻が精神的な病になってしまった。これ以上続けられない。」
(もちろん妻は精神病などになっていた訳ではない。嘘だった。)
私は、自分の意地だけで始めた戦争の為に、
莫大な資金を投入してもらって、
超特急で新店に建て替えてもらい、
自分の勝手に赤字安値戦争を続けて、2回、敵を追い出して、
しかし3回目の敵には勝てそうにない。と、撤退を言い出した。
しかも、店舗にいた自分の妻の精神状態が悪化したことを理由にしてきた。
断れない上の元売関連の会社は、しぶしぶ撤退を受け入れ、
その元売関連会社が直接運営をする事になった。
となると、この戦争は、
元売関連の子会社と、商社関連の子会社との戦いの形になって、
こうなると、上の世界での話し合いになったようで、
この戦争は、数か月のち、両店とも閉鎖という形で終わってしまった。
新築で建てたばかりの眼前店は、
わずか築2年で壊してしまった。
「くっそ~、絶対に負けないぞ。」から始まったこの戦い。
実際に私の会社が戦ったのは約1年半。
2軒の店舗新築、
1年半の赤字安値戦争、
何億円のムダ金が散ったか分からない。
この戦争に関わった誰も得をせず、誰一人として幸せにならなかった。
「絶対負けないぞ」と頑張って、
戦いに二回は勝った私の会社も、決して勝者ではなかった。
ただ不毛の戦いそのものには負けなかっただけで、決して勝者ではなかった。
後になって気が付いたのだが。
あの1年半の戦い、その前の数か月も含めて、
私は”敵”と一度も話をしなかった。
目の前にいても、たった一度もコミュニケーションを取らなかった。
ただ、ただ、負けない。
私を勝とうとする敵に対する憎しみだけで、
莫大なお金を無駄にして、
たくさんの人を巻き込んで、苦しめて、
戦って、勝って、勝って、疲れて、戦う気力を失って、卑怯に逃げた。
この間、私は誰の幸せも願わなかったし、勝つ事、負けない事しか考えなかった。
何よりも驚きなのは、
敵と一度も話そうともしなかったことだ。
私は、直接の戦いの相手が、
地元の純朴な石油販売業者さんであることを知っていたのに。
相手と話そうともせずに、
相手に勝つ事しか考えなかった。
戦争で、敵を殺す事しか考えないように。
我が心の暗黒の部分です。
不毛の戦いの後、両方共の店が閉め、
片方の店は壊してしまったが、
もう片方の、私達の店(だった)は、閉めたまま放置されていた。
その空いている店を、
図々しく安く買い取って、
始めたのが「洗車屋 快洗隊 刈谷店」、
今のKeePer LABOの1号店の原型です。
だから、
KeePer LABOには元々「安値赤字戦争への怨念」が詰まっているのです。
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